ATD(The Association for Talent Development)
ASTD1999概要
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人材開発の動向-’99からのトレンド
過去の産業革命を上回るスピードで社会が劇的な変化を遂げている真っただ中、私たちは2000年を迎えました。中でも、情報技術の変化は消費生活や産業構造に影響を与えるだけでなく、共同体やコミュニケーションのあり方、そして経営観のあり方の変革にも大きな影響を与えています。
昨年弊社では、米国で5月に開催されたASTD国際会議を始め、ロンドンで開催されたナレッジ・マネジメント会議(6月)、コーチング会議(9月)、そして米国で11月に開催されたシステムシンキングの国際会議に参加してきました。そうした中で、人材開発、マネジメントに関する1999年の特徴的傾向として挙げられるのは、「パフォーマンス、およびその測定への関心のさらなる高まり」「ラーニング・オーガニゼーション(学習する組織)的な考え方の浸透」「Webを活用した人材開発の動き」の3つではないかと考えています。
今回のリポートは、この3つのテーマに焦点を当て、1999年のASTD国際会議とシステムシンキング・コンファレンスで議論された内容を振り返ってみます。そして、2000年を迎えた今、何が問題になっており、人材開発のあり方やマネジメントを探求する海外の人々が、何を目指しているのかの傾向を描いてみたいと思います。
’99ASTD国際会議
『’99ASTD(1999年度ASTD国際会議&EXPO)』は、1999年5月22日~5月27日の間、米国ジョージア州アトランタのGeorgia World Congress Centerにおいて開催されました。
この大会は53年前に始められたもので、「人的資源開発に関する世界最大の会議&EXPO」として知られています。この会議には、世界中のHRD管理者や専門家が14,000人以上出席し、EXPOには、訓練開発に携わる575社のブースが立ち並び、そこに参加することで世界の最新動向をつかむことができます。
会議は、5日間にわたって催される250余のセッションと40余のフォーラム、および数々のイベントからなっています。プレゼンターは、アメリカン・エキスプレス社、ボーイング社、ゼネラル・モータース社、インテル社、ゼロックス社等々、世界のトップ企業において訓練開発に携わっている人々が中心となっています。
’99年の全体的傾向
’99年のASTD大会の全体的な傾向としては、次のようなものがうかがえました。1つは、’99年の特徴的傾向でも挙げたように、「パフォーマンスおよびその測定への関心の高まり」であり、人材開発においては特にトレーニングの効果測定に注力をしているという点です。もう1つは、「人材開発におけるWBT(Web Based Training)の展開」です。
ここでは、この2点に絞って、’99ASTDの報告を行います。
セッションからみるパフォーマンスおよびトレーニングの効果測定重視の傾向
パフォーマンスやトレーニングの効果測定に対する関心の高まりは、’98年のASTDでも見られた傾向でした。’99年の大会では、それがさらに進展し、トレーニングの効果測定をROI(Return of Investment)という形で、明確に表現する方法が模索されており、測定方法の基本的な枠組みはできあがりつつあるようでした。企業の業績を判断する重要な指針、材料として知的資本が注目されているのにあわせて、今日では、トレーニングは投資と考えられるようになってきています。それを受けて、投下資本効率が問われているわけです。トレーニングの成果をきちんと測定し、その結果、効果が認められれば、ますますトレーニングに資金を投入できるようになり、トレーニングの質も改善できるといった良い循環を回すことができるのです。また、トレーニングが投資ということになると、どこに投資をするかということも重要になるので、トレーニングの前段階として、ニーズアセスメントの重要性も高まってきています。
それでは、主なセッションの紹介を行いながら、パフォーマンスとその評価についてみていきます。
1.「パフォーマンス・コンサルタント」の定着
パフォーマンス重視の傾向の1つとして挙げられるのが、「パフォーマンス・コンサルタント」という名称のさらなる定着です。近年トレーニングに対する認識が、トレーニングからラーニングへと変化しています。そして人々の関心は、単に学ぶだけではなく、さらにそこからどういったパフォーマンスを生み出すかということに移ってきているのです。このことを受けて、企業の内外において人材開発や研修に携わる人々がトレーナーではなく、「パフォーマンス・コンサルタント」という名称で呼ばれることが多くなってきました。
「パフォーマンス・コンサルタント」の草分け的存在で今も中心となって活動しており、昨年のASTDでアワードを受賞したデイナ・ケインズ・ロビンソンとジェームズ・C・ロビンソンの夫妻は3年連続でセッションを担当しました。’99年の大会では2つのセッションを受け持ち、そのうちの1つでは、3年間の研究の集大成をわかりやすく解説し、もう1つのセッションでは、「パフォーマンス・コンサルタント入門」としてパフォーマンス・コンサルティングの基本的プロセスを紹介しました。具体的には、パフォーマンス・コンサルタントの呼び名から、仕事の中身、必要とされるコンピテンシー、態度、そして、パフォーマンス・コンサルタントの仕事のプロセスで必要なテクニックなどです。
それらの内容からは、パフォーマンス・コンサルタントが、単なるはやり言葉ではなく、新しいコンセプトとして現場で受け入れられ、その具体的な方法論もかなり定着している様子がうかがえました。
2.トレーニング評価の重要性の高まり
もう1つの傾向が、トレーニング効果についての具体的な測定方法が確立されつつあるということです。もともとトレーニングの効果測定は、ドナルド・カークパトリックが提唱したトレーニングを評価する「レベル4」が出発点となっています。
カークパトリックは、以前からトレーニングを次の4つのレベルで評価することを提唱してきています。
1.反応レベル
受講者はプログラムをどの程度気に入ったか。
2.学習レベル
どのような原則・事実・テクニックが学習されたか。どのような態度の変化があったか。
3.行動レベル
プログラムを受講した結果、職場での行動にどのような変化が起きたか。
4.結果レベル
コスト削減・品質向上・生産量の向上などの観点から、プログラムによってどのような目に見える結果が得られたか。
(「The ASTD Training & Development Handbook」より)
’99ASTDのセッションでは、カークパトリックの「レベル4」モデルに、5つめのレベルとしてROIレベルを加えたものなど、様々な応用モデルが紹介されました。その中の1つとして、トレーニングハウス社のスコット・パリーは、トレーニングの評価として下記の4つを挙げています。
リアクション:受講者の反応
ラーニング:受講者の理解度
アプリケーション:受講者の実践度
リザルツ:成果、ROI
このセッションでパリーは、トレーニングのための資金と組織のサポートを勝ち取るために、トレーニングへの投資の方法やどのようにして利益回収計算を行うかということを紹介しました。さらに4つのトレーニングの例を挙げて、研修効果を測定できるデータを詳細に示し、それにかかる7つのコストを明らかにするチャートを提示しました。
パリーのモデルでは、トレーニングの前にまずニーズアセスメントを行い、次に、トレーニングの効果として何を測定するのかを定めます。たとえば、プロジェクト・マネジメントがテーマであれば、プロジェクトの予算・時間、それらの超過に対するペナルティ、ゴールを修正した回数、問題の発生回数など、かなり細かい設定が紹介されました。さらに、トレーニングにかかわるコストの計算を行います。コストは大きく分類すると、(1)コース開発費、(2)学習教材費、(3)研修備品費、(4)会場費、(5)研修交通費・宿泊食事代、(6)人件費(研修期間中の受講者の人件費・スタッフの人件費・講師謝礼)、(7)研修期間中の生産性の減少分、に分けられます。
そして、ROIを分析するためには、次に挙げる実行性に影響する5つの変数を考慮する必要があるとしています。
・準備時間(立ち上げまでの)
・棚上げ時間(変化への抵抗)
・利益を回収するまでの期間
・受講者の数
・コースの期間
そして、計測すべきベネフィットを大きく分類すると、1.時間の減少、2.生産力の向上、3.品質の向上、4.個人のモラル向上、を挙げています。
こういったトレーニングのROIを測定する方法のセッションは、’98年から多く見られるようになってきましたが、今回のパリー氏のプレゼンテーションは、その緻密で実践的な項目の提示において1つの頂点を示しているように思われます。しかし現実には、そのすべてを活用することは難しいでしょう。企業は、このセッションで紹介された項目を1つのテンプレートとして活用し、実践場面ではどの項目を使うかを、コースのねらいや状況に合わせて選定する必要があると思われます。
以上紹介したように、パフォーマンスの評価、およびトレーニングの効果測定に対するニーズは年々高まっていますが、効果測定そのものにかなりの労力が必要であることは否めません。そもそも、すべてのトレーニングについて測定するべきなのかという問題もあります。そこで、どのような研修を評価の対象にするかについての基準が必要と思われます。今後、日本の企業においても研修効果の測定が強く求められるようになるかと思いますが、それを行うには研修の立ち上げの段階から、いつ何を測定するのかを決めておかないとうまくいかないことに注意しておきたいものです。
人材開発におけるWebの活用
’99ASTDの大きな特徴のもう1つが、人材開発におけるWeb活用の進展です。
1.日常的になったインターネットの利用
1998年での米国の家庭におけるパソコン普及率は37.0%になっています。そして日本では11.0%、日本国内企業での普及率は80.0%です。(平成11年版 通信白書より)
台湾では今年から小学1年生から全員が英語を習い、小学4年生から全員がパソコンを習うそうです。こういったインフラを学習に利用しようという試みは数十年前からなされてきましたが、ITの進展とともに学習理論も大きな変化をしてきました。
CAI(Computer Assisted Instruction)からCBT(Computer Based Training)に言葉が移り、さらに最近ではWBT(Web Based Training)という言葉がよく使われるようになりましたが、それらは単なるはやり言葉ではなく、背景に学習のしくみに対する大きな概念の変化があることが日本に正しく伝わってはきませんでした。見かけのハードは同じでも、背景にあるソフトの概念や理論は、10年以上の遅れをとっていると断言してもよいのではないでしょうか。
今日の日本の企業でも、メールアドレスを個人がもつようになり、イントラネットを活用できる体制を取っているところが増えています。企業の研修開発を担当される方々は、このインフラを研修に活用する検討を行う必要があるかと思います。
なお、ここでのWBTとは、「文字や画像、音声などさまざまなメディアにハイパーリンクが貼られたドキュメントを手元のコンピュータの画面に表示し、それを通して自分で行う学習や訓練」をいいます。
2.Webを利用したトレーニング
’99年のASTD国際会議では、Webを用いた人材開発を扱ったセッションが数多く見られましたが、その代表的なものとしてディベロップメント・ディメンションズ・インターナショナルのチーフ・テクノロジー・オフィサーであるピーター・ウィーバー氏がWBTについて語ったセッションがありました。
セッションの中でウィーバー氏は、WBTを使う人たちがそれを好んでいるかどうかで、学習の効果に違いが出るかについての調査結果を紹介しました。まず、集合教育とWBTについて、単純に「どちらが好きか」を尋ねた設問では、「集合教育のほうが好き」と答えた人が圧倒的に多かったそうです。ただし、これにはいくつかのバイアスがかかっているという指摘がされていました。それは次のようなものです。
・人間は社会的な学習者である。
・人によっては、ある程度の緊張が学習には必要であると感じている。
・集合教育に出かければ、日々の雑用に忙殺されないですむという思いがある。
・コンピュータを使って1人で学習していると、マネジメント層が納得してくれない(「仕事をさぼっている」という偏見をもっている)。
3.WBTによるコスト削減
しかしながら、学習のためのコストについてみるとWBTは非常に高い削減率を示していると指摘しています。ネットワークOSの「ネットウェア」でおなじみのノベル社において、「サーティフィケーション・クラス」と呼ばれる3日間の技術認定コースを実施した場合、’96年頃では参加者の移動・宿泊の費用と、仕事から離れている間の機会損失といったコストを別にしても1人当たり1,800ドルかかっていたそうです。しかし、Webを活用することで、現在このコストは、1人当たり700ドルから900ドルの範囲ですませられるようになったとのことでした。
また、シスコ社ではインストラクターが前に出て話す、いわゆる講義形式の研修に、1人当たり1,200ドルから1,800ドルのコストがかかっていましたが、Webを使うことで120ドルにまでコスト削減ができたそうです。
こうしたことを踏まえ、ウィーバー氏は、「学習にコンピュータを使うからといって学習に対する動機づけが極端に下がるわけではなく、コストが大幅に削減されるのだから、WBTをやった方が得策だ」と提言しています。
4.WBTの今後
『TechLearn Trends』という雑誌の’98年5月号に掲載されたアンケート結果では、大企業の92%が’99年中にWBTを導入すると言っているのだそうです。また、企業がWBTを導入するのを助けるスタートアップカンパニーも出てきており、WBTは確実に成長していると、ウィーバー氏は述べていました。
優れたコンテンツの配信
またWebにおいては、学習のためのコンテンツとそれを配信するためのテクノロジーの関係が一層深くなり、切り離せなくなっています。質の高いコンテンツと高い技術の両方が求められるわけです。
コンテンツということでは、WBTをよりよいものにしていくために、現実への適応性がある学習内容とテストの機能を備えておくこと、そして学習効果をどうやって測定するかを考えておくことが大切になってきます。さらに、「ポスト・ラーニング」という呼び方で、学習内容の更新を含んだ学習後のフォローが必要になるとのことでした。
技術的な面
技術的な面に注目すると、学習内容をネットワークで届けるための「プッシュ技術」がさらに注目を集めるようになるであろうとのことでした。
Webで使われる新しい言語としては、今後XMLやDHTMLが伸びてくるとの予想が示されていました。
そして、ネットワークを使ってより円滑に学習するために欠かせないものとして、データ送受信の速度が今後問題になってくるとのことでした。もちろん、要求したデータがすぐにコンピュータの画面に表示されたからといって、学習がより促進されるわけではありません。しかし、画面表示の時間が長引けば、学習者の心理的ストレスとなり、学習の妨げになるでしょう。
また、データ量が大きい場合は、圧縮して配信することになりますが、その際のより効率的な圧縮技術や、より速いデータのやり取りの方法などが世界的に注目されてくると思われます。
たとえば、ウィーバー氏が紹介していた技術の1つに、ADSL(Asymmetric Digital Subscriber Line:非対称デジタル加入者線:一般家庭に引かれている既存の電話回線を使って高速のデータ伝送を実現する方式)がありました。私たちがASTDに参加していた’99年の5月の時点では、ADSLという言葉を知らない人の方が多かったようです。しかし、その後ADSLを使って高速で低料金のインターネット接続を可能にした「東京めたりっく通信」が、新聞・雑誌などで話題になったので、今では記憶にある方も多いかと思います。
5.答えは風のなかに舞っている
セッションの最後にウィーバー氏は、米国のシンガーであるボブ・ディランの「風に吹かれて」という曲を会場に流し、「インターネットやネットワークの未来については、答えが風の中に舞っているようなもので、結局のところ誰にもはっきりと読み取れないんです」といった冗談を言って、参加者の笑いを誘っていました。確かに、変化が激しいテクノロジーの未来をはっきりと捉えることはできないでしょう。しかし、どういった傾向・動きがあるかを押さえておくことは重要なことだと思われます。
ウィーバー氏も、WBTを活用していくための重要事項の1つとして「テクノロジーの分野を継続的にモニターしておくこと」を挙げていました。
「HVDリポート Vol2 No.1(2000年1月1日発行)」より抜粋