ATD(The Association for Talent Development)
ATD-APC24インサイトレポート〜これからの人・組織の価値創造とHRの未来を考える〜
研究員 菊地美希 中野広基
2024年10月28日~11月1日に、台湾の台北市にある台北国際コンベンションセンターにて、世界最大規模のタレント開発に関する非営利団体であるATDの主催によるATD Asia Pacific Conference & EXPO2024が開催されました。本レポートでは、基調講演や各セッションを通じて感じたタレント開発の傾向と事例、得られたインサイトを紹介していきます。
ヒューマンバリューがATD-APCに参加するのは、2014年以来10年ぶりとなり、今回は2名のメンバーが参加しました。
下記の目次にあるように、大きく3つのパートに分け、ATD-APCで話されていたポイントや問われていたこと、得られたインサイトをまとめていますので、関心のある領域をご参照ください。
〜目次一覧〜
① ATD-APC24とは? 今期のテーマと特徴
② キーノートセッション(基調講演)から得られたインサイト
・多様化する世界におけるジレンマ(対立)を統合するリーダーシップとは?
・AIによる業務の効率化・自動化が進む中で、人間が生み出す価値を探求する
・Human capabilityを通じて価値を創造する、HRの役割の進化
③ ATD-APCの特徴的なセッションについての共有
・AIを活用したタレント開発の状況と新たな働き方の探求
・台湾におけるHRのトレンド(2025)
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① ATD-APC24とは? 今期のテーマと特徴
ATD-APC24は、ATD(Association for Talent & Development)がアジア太平洋地域にて開催する、人材・組織開発及びタレント開発に焦点を当てたカンファレンスです。2024年10月29日から31日の3日間で2000名を超える方が参加し、100社を超えるスポンサー出展企業が集いました。

スポンサー企業一覧
開催国の台湾といえば、フォックスコン・TSMC・デルタ電子などに代表される電子機器、特に半導体産業が非常に強い国です。例えば、台湾のフォックスコンは、米アップルのiPhoneを含む多くの製品を受託製造する主要な製造パートナーです。また、ITやデジタルの分野では、2024年に退任されましたが、コロナ下において「マスクマップ」を開発し、そして史上最年少で初のデジタル担当大臣となったオードリー・タン氏も有名です。
このようにITやデジタル産業が盛んである印象が強い台湾で行われた今年のATD-APCのテーマは、「Empowering Future Talent(未来のタレントをエンパワーする)」でした。生成AIをはじめとするテクノロジーの発展が急速に進む中で、人々の未来や働き方にどのような影響があり、どのように進化する可能性があるのかについて共有するセッションが多く、台湾の特徴が反映される内容構成でした。
ATD-APCは5つのセッション会場で行われ、スポンサー出展ブースが併設されていました。会場にはリラックスして過ごせるように、飲み物が用意されていたり、スポンサー企業の方が参加者に向けて花を配る場面なども見受けられ、全体的に和やかな雰囲気に包まれていました。
また、会場数が多くないこともあり、セッションで顔見知りになった参加者同士が別のセッションでまた再会することが多く見受けられ、3日間の中でコミュニティが広がっていくような感覚もありました。
初日のオープニングでは、参加各国から1名ずつがステージで開催の挨拶を行い、全員で記念撮影をするなど、開催の喜びを分かち合い、国境を越えたインクルージョンを感じる雰囲気で始まりました。
そして最終日の11月1日には、ATD-APCならではの特徴の1つである、台湾企業を訪問するカンパニーツアーが実施されました。今年は、デルタ電子・TSMC・ホンハイ精密工業の3社から選択可能となっており、ヒューマンバリューは、デルタ電子とTSMCの2社に訪問しました。
デルタ電子では、世界の各拠点が一体となり、パフォーマンスを生み出していけるよう、コアバリューを体現し、実践するための取り組みについて伺いました。また、TSMCでは、毎月何百名と入社する方々に向けて、AI チャットボットによるきめ細やかなオンボーディングが用意され、これまで人が行ってきたオンボーディングをAIに代替することで効果を生み出しているといった先進的な取り組みを伺うことができました。

訪問したデルタ電子の外観
今年のカンファレンスの全体テーマは、「Empowering Future Talent(未来のタレントをエンパワーする)」ですが、このテーマの背景には、今世界中で注目され、ATD-APC24でも大きく取り上げられていたAIの影響が大きいと考えられます。
今回のカンファレンスでも、AIに関するセッションが全体の3分の1以上を占めていましたが、これまでのようなAIの導入のあり方に関する議論を超えて、具体的な導入が進む中で、実践から見えてきたインパクト、バイアスなどの留意点、人材開発における創造性の発揮といった課題について語られていることが特徴的でした。そうした中、HRに関わる私たちがAIに代表されるテクノロジーを活用しながら、自らの役割を進化させ、未来のタレントをエンパワーしていくことが主題になっていたように思います。また、これまでのAI関連のセッションでは、AIの組織導入の可能性やそれによる職業の変化についての予測が多かったのですが、今回は具体的な導入事例に基づく議論が中心でした。そして、そうした議論だけでなく、HRの役割を進化させるためのAI活用について探求する場でもあったように思います。
② キーノートセッション(基調講演)から得られたインサイト
多様化する世界におけるジレンマ(対立)を統合するリーダーシップとは?
ここまで述べてきたバックグラウンドを踏まえながら、次は3つの基調講演から得られたインサイトを紹介していきます。
最初の基調講演は、社会や企業を取り巻く環境を俯瞰するところからスタートしました。
現在、SDGsや人的資本など、中長期的な価値創造の重要性が高まる中、パーパスと短期的利益、社員のウェルビーイングと生産性、多様性と一貫性といった、さまざまなジレンマに日常的に直面することが多くなり、事業運営の難易度が一層高まっているように思います。
こうしたジレンマに、私たちはどのように向き合えばよいのでしょうか。また、ジレンマを越えて未来を切り拓くリーダーには、どのような視点やアプローチが求められるのでしょうか。
Fons Trompenaars(フォンズ・トロンペナーズ)氏による基調講演「Leadership as a Catalyst(変化をもたらすきっかけとなるリーダーシップ)」は、それらの問いについて考える上でのヒントとなるようなセッションでした。
ピンク氏は、多くの混乱や変化に見舞われる現在において、次に何が起きるのかを予測することはそもそも不可能であると述べます。その上で、私たちは今、複雑な問題を整理する「グレート・ソーティング(偉大な選別)」の段階にあるとのことでした。
トロンペナーズ氏は、異文化マネジメントやリーダーシップ分野で世界的に活躍する思想家であり、特に「七次元モデル(Seven Dimensions of Culture)」の提唱者として知られています。このモデルは、個人主義 vs 集団主義、感情表現 vs 感情抑制といった文化的価値観の多様性を明らかにするとともに、それが引き起こす葛藤を解き明かしています。
セッションは、人間は「二極的思考(Xか、それともYか)」に陥りがちであるという指摘から始まりました。その上で、トロンペナーズ氏は、こうした二極的思考によるジレンマを乗り越え、対立する要素をつなげることで持続可能な成果を生み出すことを提案しました。そして、その具体的なステップとして、下記の「Dynamic 6 Step Process(ジレンマ統合の6ステップ)」が紹介されました。
<参考>
◾️Dynamic 6 Step Process◾️
- efine Action Points(行動計画を定義する)
- Identify/Elicit Dilemma(ジレンマを特定・引き出す)
- Chart the Dilemma(ジレンマを図式化する)
- Stretch the Dilemma(ジレンマを引き伸ばす)
- Make Epithets(ジレンマのエピソードやキャッチフレーズを作る)
- Reconcile the Dilemma(ジレンマを統合する)
この中でも、トロンペナーズ氏は、ステップ5の「Reconcile the Dilemma(ジレンマを統合する)」が最も重要であることを強調しました。価値観が対立した際に、避けたいリーダーシップは「どちらか一方だけを選ぶ」ということ。そうではなく、「X(片方)を活用して、Y(もう片方)をさらに得るにはどうするか?」という視点で物事を捉えることの重要性を伝えました。例えば、「現地法人の柔軟性」と「グローバル基準としての標準化」というジレンマが生じた際、お互いの視点を生かし合い、より高い価値を生み出していく方向性を探るということです。
また、トロンペナーズ氏は、リーダーシップにおいてだけでなく、「イノベーションとは、常に対立するものをつなげることであり、それにより、持続可能な結果を生み出すことができる」と述べ、昨今さらに重要性の高まっているイノベーションにおいても、多角的な視点を取り入れ、対立する価値観を統合することの重要性を語りました。
今回、トロンぺナーズ氏が基調講演で最も主張していた、「対立する2つの概念の一方のみを選択するのではなく、統合する」という視点は、ヘーゲルの弁証法(正・反・合)を想起させるものにも感じました。それは、矛盾や対立を否定するのではなく、統合して新しい価値を生み出すという点で共通していますが、トロンぺナーズ氏の提案する、「X(片方)を活用して、さらにY(もう片方)を得るには?」という問いを日常において実践することは、新たな道を模索するアプローチになると感じました。そして、そうした統合的な視点を持ち続けることは、仕事におけるリーダーシップだけでなく、個人のキャリアや日常の選択においても、より豊かな未来を創る一歩にもなり得るかもしれません。
AIによる業務の効率化・自動化が進む中で、人間が生み出す価値を探求する
2日目の基調講演では、コロンビア大学ビジネス心理学教授であるトマス・チャモロ=プレムジッチ(Dr. Tomas Chamorro-Premuzic)氏が登壇しました。講演では、AIが当たり前のように業務で活用される時代において、人の可能性を引き出す環境づくりをいかに行うかについて、ビジネス心理学の視点から多面的に論じられました。
まずトマス氏は、AIによって労働環境がどのように変革するかについて論じ、AIが大量のデータを活用することで、業務プロセスにおける予測、洞察、実際の行動までが自動化されると述べました。例えば、自社の営業のアプローチ先のデータを分析して、成約の確度が高い見込み客を予測し、そこへメールを送付するという一連のマーケティング活動も、AIによって自動で行われるような環境を紹介していました。
そして、AIによって強化される人間のバイアスが、そうした環境づくりに与える影響について語られました。私たちには自分自身のバイアス(偏りや傾向)があり、AmazonやSpotifyなどはそれに対応することで、個々人の好みに最適化したサービスを提供しています。一方、私たちは自分の好みに合わないサービスを拒否することもできます。こうした状況から、AIが私たちのバイアスに影響を与えていると批判しても、実際には私たち自身のバイアスがサービスの利用を続けさせ、その結果としてバイアスがさらに強化されていると述べていました。
さらに、トマス氏は、世界的な傾向として、人々が自己中心的でナルシシズムの傾向が強くなっていることを、以下の具体例を挙げて紹介していました。自己愛性人格特性を測定する「ナルシシスティック・パーソナリティ・インベントリー(NPI)」という心理テストの中の「私は有名になる運命にある」という設問に、1950年代では20代の約20%の人が「はい」と答えたのに対して、80年代には50~60%になり、現代では85%に増えていることが示されました。アジアでも、欧米諸国に比較すれば少ないものの、その割合は継続的に増え続けているとのことです。
こうした環境の中で、デジタル・トランスフォーメーションの成功にはテクノロジーの導入のみならず、人材のリスキリングが不可欠であるが提起されました。トマス氏は、AIはIQの戦いでは人間に勝利しているが、感情的知性あるいは関連するスキルや共感、思いやり、自己認識や自己制御、創造性といったEQの側面では、人間に軍配が上がると話していました。これを受けて、人の好奇心を育むことや、潜在能力を解放すること、文化の違いに敏感になることが今後重要になるという考えが共有されました。またアジアの人々は謙虚で深い自己認識があり、先に述べたナルシシズムや自己中心的、自信過剰とは対照的な人格特性であると述べました。
ただ、東アジアでは西洋欧米より資格によって示されるハードスキルが重視される傾向があり、感情的知性や創造性、謙虚さといった力は評価されづらい点があることに懸念を示していました。加えてトマス氏は、ミドルマネジャーが組織の戦略の実行と成否や、組織のエンゲージメントを左右する重要な役割を担っていることから、彼らがコーチとしてダイバーシティ&インクルージョンやAIを理解した上で、リソースを配分し、人々の創造性、好奇心、感情的知性の育成やコーチングをすることがこれからは重要であると述べていました。
トマス氏の基調講演は、人とテクノロジーの向き合い方を模索する中で、本来の人間らしいあり方や振る舞い、人の営みを考えるような機会になったのではないかと思います。AIによる業務の効率化だけでなく、トマス氏がミドルマネジャーへの投資を増やして、メンバーやチームの創造性、潜在能力を発揮するコーチになることが大事ではないかと話していたように、自分自身や共に働く仲間がそれぞれの創造性や潜在能力を発揮すること、また組織として人の可能性を解放できるような環境をつくり、そこで働く人たちと協働と共創を生み出すようなワクワクする取り組みが、今後の大切なテーマの1つのように思いました。
セッションでは、フォガーティ氏のリードの下、それぞれ自分にとって意味のある言葉を1つ選び、その言葉にまつわる思い出を3つ書き出し、周りの人とシェアするというエクササイズが行われました。それは短い時間でしたが、自分が大切にしている価値観やビリーフを振り返り、再構成していく内省的な時間であった気がします。
Human capabilityを通じて価値を創造する、HRの役割の進化
3日間のATD-APCを締めくくった基調講演は、「現代HRの父」とも言われるデイブ・ウルリッチ氏の「Delivering Impact: How HR Creates Stakeholder Value ni a Rapidly Changing Workplace(インパクトの創出:急速に変化する職場環境でHRがステークホルダーに価値を提供する方法)」でした。人的資本経営やESG経営の重要性が世界的に高まり、「人」についての捉え方、AIやアナリティクスといった技術の進化により、スキルやキャリアの捉え方も変容する今、その領域に直接関わるHRの役割を進化させる、まさにHRに関わる私たちが明日からの歩みを再考するための締めくくりにふさわしいセッションだったように感じました。
セッションの冒頭では、次のような問いが提示されました。
「私または私たちの組織は、”Human Capability”(人間の能力)を生かして、すべてのステークホルダーにどのように価値を提供できるだろうか?」
今回のセッションでは、HR(人事)の役割を再構築し、単に社内にサービスを提供するだけでなく、市場や外部ステークホルダーに対しても、価値を創造する存在へと進化させる必要性が説かれました。ウルリッチ氏は、HRが市場での成果を意識し、外部志向(Outside-In)のアプローチを取ることの重要性を強調し、これを新時代のHRに求められる視点として位置づけました。
では具体的に、HRはどのように仕事を再構築していくことができるのでしょうか。ウルリッチ氏は、HRの役割を「市場と職場をつなぐもの」として再定義し、仕事そのものを新たに創造していく必要性を提起しました。そして、HRの方向性や施策を検討する際には、経営陣の成果目標であるOKRから会話を始めることが重要であると述べました。これは、これまでのHRは経営の後ろに控える、経営をサポートする存在という側面もあった中で、そうではなく、共に成果を達成する「経営のパートナー」となっていくことが求められていることを伝えています。ウルリッチ氏は、このマインドセットの変革こそが、HRがビジネスの中核となり、価値を生み出すための第一歩であると強調しました。
また、本セッションのテーマでもあるHuman Capabilityを通じて価値を実現していくための4つのポイントとして、ウルリッチ氏は「社員の人材開発(Developing Employees)」について、以下のように紹介しました。
- トレーニングの設計や実施に、顧客や投資家などのステークホルダーを含めること
- 市場の変化に合わせてプログラムを迅速に変更すること
- あらゆる場所で学ぶこと
- 教える人や参加者の多様性を取り入れること
「3. あらゆる場所で学ぶ」については、人材開発における「70:20:10の法則」(70%が経験から、20%が他者から、10%がトレーニング・研修から学ぶ)が広く知られているかと思います。しかし、ウルリッチ氏は、「50%は現場での仕事の経験から、30%はトレーニングや研修、20%は人生経験から学ぶ」という新たな視点を提示しました。これは、学びのあり方として、仕事からだけでなく、すべての経験から学ぶことが重要になってきていること、そして、必要なスキルやマインドセットが変化する世の中であるからこそ、トレーニングや研修から学ぶことの重要性が増していることを示しているようにも感じました。
また、「1.トレーニングの設計や実施に、顧客や投資家などのステークホルダーを含めること」と「4. 教える人や参加者の多様性を取り入れる」では、顧客や投資家を学びのプロセスに招くことを推奨し、より実践的で多様な学びの場を提供するアイデアが示されたことも非常に興味深く感じました。
今回のATD-APCの冒頭に行われたトロンペナーズ氏の基調講演では、対立するジレンマを統合することの重要性を伝えていましたが、ウルリッチ氏の基調講演では、より社会に価値を創造するHRに進化する上でのジレンマに向き合う重要性を示しているようにも感じました。
例えば、経営/人事、HR部門/他部門、社内/社外(投資家、顧客)、HRのこれまでの役割/これからの役割など、HRが進化するために向き合っていかなければならないジレンマはいくつもありますが、いずれにしても、これまでの枠組みや習慣を超え、新たなパラダイムにシフトしていくことがより大きな価値やこれまでを越える豊かな価値を生み出していくのではないでしょうか。トロンペナーズ氏の「X(片方の価値)を活用して、Y(もう片方の価値)をさらに得るために何ができるか?」という反対の要素でより豊かにしていく思考が、ここでも生きてくるのではと感じました。1つのセッションでの学びが、他のセッションの学びと結合したことを感じ、非常に興味深い基調講演になりました。
③ ATD-APCの特徴的なセッションについての共有
AIを活用したタレント開発の状況と新たな働き方の探求
はじめに:タレント開発でのAI活用の実践
本カンファレンスでは、60を超える全セッションのうち、タイトルにAIが含まれるものは21セッションあり、会期中のほぼ全ての時間でAIに関するセッションが行われました。トラック別に見ても、タレントマネジメント、ラーニングアナリティクス、HR&ラーニングテクノロジーなど、多岐にわたってAIに関するセッションがあり、タレント開発のさまざまな領域において、AIが非常に注目されていることがうかがえます。
ここでは、生成AIをはじめとする人工知能がどのように扱われているかを紹介しているいくつかのセッションを取り上げ、人や組織がAI活用にどのように向き合うか、さらにこれからの人の働き方やタレント開発において、どのような要諦があるのかをお伝えします。
活用事例とAIの捉え方
タレント開発にAIを活用する際に、どのような領域や用途が考えられるでしょうか。「Mastering AI_ Evolving your Learning and Talent Development Strategy(AI活用:学習と人材戦略の進化)」のセッションでは、AI戦略コンサルタントであるマルクス・ベルンハルト氏が、学習とタレント開発の分野おけるAIの現在の活用状況と将来の可能性について述べました。
まず冒頭では、AIツールに関する情報があふれている中、どういった目的で、どのようなツールを選択すればよいかが不明確なまま導入されている状況が指摘され、それに対する組織の取り組みや事例が共有されていました。現在、多くの組織がAIを使ってコンテンツをより迅速かつ安価に作成することに焦点を当てていますが、そうした効率性だけでなく、学習体験を高めるためのツールの1つとしてAIを捉えて、AIを利用することで実現可能になることは何か、また、どのような制約があるかを理解することが重要であると強調されていました。
では、AIの利用によって実現可能になることと制約されることには、それぞれ何があるでしょうか。セッションではまず、昨今注目を集めているチャットGPTに代表されるような人間の言葉を用いて利用することができる生成的AIと、学習データを用いて決められた行いを自動化する従来型AIの区別について説明されました。生成的AIは、人間のようなコミュニケーションを得意とするが、適切な学習データがないと答えを誤ったり、一貫性のない出力をすることがあること。一方、従来型AIはパターン認識や意思決定タスクに適しているとし、その違いについて強調されました。その上でマルクス氏は、使用するAIの種類、データベース、AIシステムの長所と短所だけでなく、プライバシーやバイアスについても利用者に影響を与えるため、サービスを提供するベンダーにそうした点を確認し、理解するよう勧めていました。
私たちがAI活用において考えるべき視点として、マルクス氏が提示していたことをまとめると、以下の3つの問いになるかと思います。
- AIツールやベンダーを評価・選定する際、システムに使用されているのが生成AIか従来型AIかを確認し、理解しているか。
- データのプライバシーやバイアスの問題にどのように対処しているのか。
- 組織のビジネスニーズの進化に応じて、誰がAIのシステムを更新するのか。
セッションでは、具体的な適用事例を紹介していました。例えば、Amazonでは、AIが編集したビデオを活用したVRによる倉庫内の作業訓練を行っており、新たに入社した社員も、安全に訓練に取り組んでいるそうです。また、クラウドサービスを提供するAkamaiでは、AIチャットボットを活用したオンボーディングを行っていることが紹介されました。AIチャットボット自身が「先週のこのタスクはもう終わった?」とメンバーに仕事の進捗状況を確認してくれることや、「オンボーディングプログラムについて、どのように感じていますか?」といった質問の回答データをAIが分析して、オンボーディングを改善していると述べています。
そうしたAI活用の効果として、安全なトレーニングの実施や学習効果の向上、さらに学習プログラムの改善が示されていました。また、AI導入や活用の際の課題と重要な注意事項として、データのプライバシー保護、トレーニングデータから受け継ぐ可能性のあるバイアスへの対応、そしてビジネスニーズの進化に応じたシステムの更新管理が挙げられました。
AIという強力なツールが、世の中で当たり前に使われるようになっている昨今ですが、活用する際のリスクや中長期でのメンテナンス、また人に与えるバイアスの影響を考慮に入れながら導入の計画を立てるその一方で、AIの活用から生まれてきた価値をさらに進化させて、生成的に活用のあり方を変化させていくこと、そして、そもそもどのような学習体験を生み出したいのかを多面的に検討することが重要かもしれません。
しかしながら現実の問題として、マルクス氏が提起したような検討をHRのセクションのみで行うことには限界があるのではないでしょうか。環境や組織によって課題設定や解決策は異なりますが、学習体験の質の向上を考えると、HRだけではなくITやDX部門をより巻き込んでいくことや、HRの中でAI活用のリテラシーや能力を高めていくことも1つの課題かと思います。
AIによる新たな学習の広がり
AIをタレント開発で活用する上で重要なことは、具体的にどのような価値や体験が生み出せるかですが、加えて、組織の中でAIを利用する場面や領域を広げたり、多面的に活用することで、さらなるインパクトを生み出す可能性があります。
マニュライフのグローバル・ラーニング・ディレクターであるサウラフ・アトリ氏による「Empowering Learning with Gen AI(生成AI時代の学習)」というセッションでは、マニュライフの3万8000人のメンバーに対して、どのようにAIを活用したかのプロセスと、学習する文化の構築やチャットボットの活用のためのフレームワークなどが紹介されました。
アトリ氏は、AIによって単に業務改善のアイデアを得るだけでなく、組織全体の時間を効率的に使うための具体的なツールとして活用する方法を示しました。そのポイントは、AI導入のプロセスとして、まずは認識(生成AIとは何か、どのように適用すればよいかを知る)から始まり、採用(価値を理解するために正しく使用する)、適用(失敗を避けるために効果的に使用する)、評価(効率性を得るために繰り返し使用する)、そして最後にアドボカシー(組織全体に拡大するために他の人と共有する)へと進むと述べています。
そうしたプロセスによって生まれた生成AIを活用した成果の1つとして、2023年にマニュライフの社員全体で100万時間を超える学習時間を得ることができたと伝えていました。これは、生成AIを活用し、業務時間が削減されたことで得られた成果だと、アトリ氏は述べます。また、毎週金曜日の午後は、従業員が自己啓発のために半日を当てるという学習文化も根付いているのだそうです。今後は、一人当たり年間32時間以上の学習時間を確保することを目標にしていますが、ただ時間を確保するだけでなく、従業員一人ひとりがグロースマインドセットの価値観に沿って、自分自身を成長させていくことを目指していると話していました。
アトリ氏は、AIによって業務を効率化し、学習時間を確保する理由として、根源的な目的は、学習内容をただ定着させることではなく、学習によって人間が変容するための「3つの変化」をもたらそうとしているからだと述べました。1つ目はマインドセットの変化、2つ目は感情の変化、3つ目が行動の変化であり、考え方や気持ちの転換が起きなければ行動の変化も起きないということを話していました。そのための学習体験として、目と耳に働きかけるだけではなく、学習者の頭や口、手を動かすこと、五感に働きかけることが重要であると共有されていました。
このセッションでは、具体的なフレームワークやステップを示しながらも、学習効果を高めるための五感への働きかけや、学習文化の構築、効率化へのAIの貢献について強調されており、AI活用の中で大事な観点が示されていました。印象的だったことは、マニュライフの3万8000人という規模の社員に対してインパクトを生み出すために、チャットボットの活用や学習プログラムの適用にAIを活用するなど、汎用的な働きかけを行っている点です。思いつきや一時の効果を得るためにAIを活用するのではなく、本質的に生み出したい価値や学習文化と紐づけて、具体的なステップや効率化の方法を共有し、実践することが大事になると思いました。
テクノロジーによる組織変革
AIやテクノロジーは、働く人たちの体験価値と切り離せない関係にあります。ASE (Advanced Semiconductor Engineering, Inc.) の副社長を務めるサニー・リー氏は「Technology Drives Organizational Transformation(テクノロジーによる組織変革)」というセッションにおいて、仕事の効率化と従業員体験を向上させるためのテクノロジーツールの使い方に焦点を当てて話されていました。
まずリー氏は、ASEが置かれている環境として、半導体市場が年平均6.5%で成長しており、2033年には市場規模が9960億ドルに到達することが予測されるデータを示し、業界の状況を伝えました。加えて、製造プロセスにおける自動化の進展や品質管理システムの導入、5G技術やAI導入などによって進化と業績向上を遂げてきた背景を共有し、特に自動化やAI活用によって大幅に生産性が向上したことを示していました。
こうした環境の中で、「AI時代における人事の役割とは何か」という問いを立て、人事のニーズとIT開発を統合し、営業、マーケティング、財務などで働く人たちが価値を得られるように、自社でシステム開発を行い、デジタル人材を育成し、セキュリティリスクの低減に努めながら、効率化と従業員体験の価値向上に取り組んでいるそうです。
「Human-Centered Leadership_ Your Edge in a World of AI(人間中心のリーダーシップ:AIの世界におけるあなたの強み)」では、AIが普及する現代社会における人間中心の「ヒューマンセンタード・リーダーシップ」が、組織や個人に与える影響や、AIと人間との共存を通して生まれる相乗効果について、米国のリーダーシップの研究機関であるCCLによって紹介されました。
そして、取り組みを行う上で大事にしている考え方として、リー氏は、デジタルな変革と学習する組織を融合させていくことを提示しました。ポイントとして、体系的に人材を育成すること、学習する文化の構築、知識共有の促進を挙げ、大規模言語モデルの生成AIだけでなく従来型AIの仕組みも利用して、企業に蓄積された大量のデータを収集・分析し、結果を可視化する仕組みであるビジネス・インテリジェンスの利用や、事務作業を自動化できるRPAといったデジタル技術の習得を、チーム学習で進めているとのことです。
加えて、「学習する組織」のディシプリンの1つであるシステムシンキングを用いた取り組みも紹介されました。企業の成長のためには、人材の定着率を高めていくことが必要ですが、それを実現するための構成要素を体系立てて、人事制度や施策を実践している例が紹介されました。例えば、世代間の意識の差を縮め、共に働く雰囲気を促進するようなマネジャーのマインド改革を実践したり、社員の給与水準を上げ、労働競争力を強化するために、キャリア開発のエコシステムの仕組みを導入したり、社員の帰属意識を醸成するために、サークル活動やグループ活動を支援していました。
こうした取り組みの結果として、組織の効率化と従業員のエンゲージメント向上が実現し、エンゲージメントに関する調査は2017年では32%が肯定的な回答だったのに対し、2023年には78%に向上したそうです。また、これらの結果をもたらす上で特に重要だった要素としては、RPAによる自動化、市場協力のある給与給与の競争力、HRのサービス向上と従業員のケアが示されていました。
HRサービス向上の具体的な例として、人事への問い合わせをチャットボットが受けて自動化した事例も紹介されました。実績として、チャットボットが対応した問い合わせは、3年間で7万3983件にも上りました。「年休は何日あるか?」「年末の賞与はどうなるか?」といった問い合わせに24時間対応することができるので、応答速度が向上し、人事の負荷が軽減するだけでなく、従業員のサポートの改善にもつながったということです。
本セッションからは、AIやテクノロジーを、製造プロセスの改善よる業績向上だけでなく、組織開発にも活用することで、社員同士の働く雰囲気が良くなり、従業員の関係の質が向上したり、キャリア開発と報酬水準の連動や知識の共有、人事サービスの改善など、働く人々の体験価値が高まっていることが感じられました。また、効率化により無駄な作業を削減していくことは、組織の業績だけでなく、働く人たちの体験価値にもつながるという好循環が生まれているようにも思います。
また、「学習する組織」を基盤にした体系的な取り組みがデジタル革新と融合している点も非常に参考になりました。各課題を別々の要素として、個別に解決するだけではなく、組織全体のシステムを構造的に捉えた上で、HRとIT・デジタルに取り組むことが寛容であると思いました。
ヒューマンバリューから参加した2名の所感:「AIを活用したタレント開発の状況と新たな働き方の探求」を通して
日本ではAI人材の育成が盛り上がりを見せている印象ですが、ATD-APC24ではタレント開発にAIを活用する実践事例を知ることができました。基調講演や各セッションを通して、AIの活用を部分で捉えるのではなく、事業や働く人の価値を向上させる構造に組み込んでいき、インパクトを生み出すことが重要だと感じました。
また、基調講演でトマス氏が話していたように、AIによる効率化や体験価値の向上が進む中で、人にしかできないことや人だからこそできることを再考して、働く人の可能性を支援することが、今後はさらに大切になるのではないかと考えます。それは働く人たちの意思、感情知性、創造性やビジョンといった、AIが能動的には生み出すことができない領域であり、人が担う大切な仕事のように思います。
さらに、我々がAIを活用する観点として、今回のATD-APC24のテーマでもある「Empower Future Talent」を忘れないことが重要なのではないでしょうか。AIに働かされるのではなく、人や組織の可能性をさらに高めるためのツールとして、実現したい状態への意思をもって活用することが重要であることを感じました。
台湾におけるHRのトレンド(2025)
最後に、台湾おける2025年のHRのトレンドに関するセッションを紹介します。スピーカーは、台湾国内外の政治・経済・社会について取り扱う総合誌のゼネラル・マネジャーであるジェーン・リウ(Jane Liu)氏が登壇されました。台湾に移住している外国人労働者について、国ごとにデータとストーリーが紹介され、これからの台湾企業のあり方について提言するプレゼンテーションでありながら、台湾の未来について共に検討する会議に参加したような感覚を覚えるセッションでした。
初めに、台湾では今後10年間で労働力の需給ギャップが想像以上に拡大し、最速で2032年には、国内の台湾人の労働力は元より、外国人労働力も確保できなくなる可能性があること、また、人口が高齢化していくだけではなく、台湾は早期退職者の割合が非常に高く、50歳以降に労働市場に留まる人が少ないことが紹介されました。そうした今後の人材不足に向けて、多くの企業は今、どのように人材を採用するかに注力しながら、AIをどのように活用していくかということに焦点を移し始めているそうです。
また、外国人労働者の採用が今後難しくなる背景として、これまで台湾に移住してきた多くの人の母国である東南アジア諸国のGDPが中高所得国水準に達し、近い将来、これまでのように故郷を離れて台湾で働く必要がなくなることが指摘されました。そうした未来を鑑み、いま台湾で働いている人が最大限に活躍すること、そして、台湾国内に頼らない採用を実現することの重要性をデータと共に説明されました。現在、どのような人材が台湾に移住し、どのようなスキルを保有し、どのような産業で活躍しているのか、そして、各国政府は移住に関してどのような政策を打ち出しているかについて国別の詳細情報が共有され、外国人採用に対する本気度やリアリティを感じました。
また、セッションの後半では、現状の働き手がより長期的に活躍していくための「スキル」にフォーカスした台湾の現状と今後に向けた提案がありました。まず、現状として、産業の変化があまりにも速く、従業員のスキルがその変化に追いつかなくなってきていることが、企業と社員双方にとって大きな課題になっていることについて言及がありました。多くの従業員が、自分のスキルに対して不安を感じており、約8割の人が「現在のスキルでは、今後2年間を乗り越えられない」と考えていると言います。そして、77%の人が「1年以内に新しいスキルを独学で身につけようとしている」というデータも紹介され、組織だけでなく、働く一人ひとりの危機感が高まっており、変容に向き合う只中にいることが伝えられました。
では、これから組織は、どのような観点を持ちながら、学習に向き合っていくことが大切になるのでしょうか。リウ氏からは、「スキルベースの組織(Skill-Based Organization)」の構築の提案がありました。これまで多くの企業は「学習マップ」を作成し、社員に研修を提供してきましたが、多くの場合、学んで身につけたことと昇進が連動しておらず、研修の効果が最大化されていないと言います。そこで、企業はすべての職務に必要なスキルの詳細を定義し、その上で教育プログラムやキャリアパスを再構築していくことを提起しました。
そこで重要となるのは、スキルを定義する際の指標を、これまでのような社員の経歴や職務経験に基づく「過去」に焦点を当てたものではなく、「未来」に向けたスキルや能力を重視するものに変化させていくことです。それにより、人材の現状と将来のスキルニーズをより正確に把握することができ、適切な採用・配置・育成が可能になることが最大の利点だということです。リウ氏が「このページを長く話す理由は、古いやり方ではなく、新しいやり方が求められているからです」と述べ、人材開発のあり方を変容させていくことの必要性を伝えるとともに、「人事は、CEOに次ぐほど多くの責任を抱えている」という人事の担う役割の重要性について言及し、セッションを終えました。
ヒューマンバリューから参加した2名の所感:「台湾におけるHRのトレンド(2025)」を通して
本セッションで共有された台湾の現状と課題意識には、課題先進国と言われる日本にとって参考となる観点が共有されていたように思いました。台湾が、国別に特徴を捉えて海外採用にも注力し、その方々の活躍を国力に転換することを前提とする姿勢は、採用数を担保するという意味においてだけでなく、国内人材だけではない多様性を生かす価値創造にもつながっているように感じました。また、採用だけでなく、AIを活用して成果を最大化する方向へのシフトが進んでいる点や、約8割の人が、現状のスキルに疑問を感じ、自らスキルアップを図っているというデータにも、変化へ柔軟に対応し、チャレンジしていく姿勢を感じました。
台湾のトレンドを知る中で、台湾と日本は、歴史的背景も地理的条件も異なりますが、人口減少・超高齢社会に突入している日本が、国として、企業として、どのように価値を生み出し、それをどのように実現していくかをあらためて再考する必要性を感じました。日本においても、人的資本経営を中心とした、パーパスを真に企業価値・社会価値につなげていく人や組織の実践が広がりつつありますが、台湾の姿勢からは「過去の枠組みからの変化を恐れるのではなく、未来に焦点を当て実行することの重要性」をメッセージとして感じ、国や過去等の枠組みを越えて学び合うことの大切さをあらためて探求したいと思えいました。