ATD(The Association for Talent Development)

ATD25事前レポート〜セッション概要から見るL&Dの探求の視点と今ATDに参加する意義〜

ATD International Conference & EXPO(ATD-ICE)は、ATD(Association for Talent Development)が主催する、世界最大規模のタレント開発に関するカンファレンスです。2025年は、5月18日〜21日に米国ワシントンDCでの開催が予定されています。

本カンファレンスには、世界中の先進企業や教育機関、行政機関のリーダーたちが集い、国や業界の枠を越えて、現代の人材開発が直面する課題への取り組みや実践を共有し、学び合います。

ヒューマンバリューでは、約30年にわたりATD-ICEにデリゲーションとして参加し、世界の人材開発における最新動向を探求してきました。2020〜2022年は新型コロナウイルスの影響で現地参加を見合わせていましたが、2023年より再び現地での参加を再開しています。

本稿では、ATD25の事前レポートとして、基調講演や各トラックで予定されているセッションの概要や注目ポイントをご紹介しながら、Learning & Developmentの探求における視座やヒントを探っていきます。

<目次>
今年のATD-ICEに参加する意義
今年の基調講演
セッション・トラック別の傾向と見所
Leadership and Management Development(リーダーシップ&マネジメント開発)
Future Readiness(未来への準備)
Managing the Learning Function(ラーニング・ファンクションのマネジメント)
Learning Technology(ラーニング・テクノロジー)
Learning Science(ラーニングの科学)
Measurement & Evaluation(測定と評価)
Career Development(キャリア開発)
Instructional Design(インストラクショナル・デザイン)
Training Delivery & Facilitation(トレーニングの実施とファシリテーション)
終わりに

 

関連するキーワード

今年のATD-ICEに参加する意義

ATD-ICEは、パンデミックを経て2023年に本格的な再開を迎えました。ATD23では、久しぶりに人が集い、顔を合わせて学び合うことの喜びがカンファレンス全体に広がり、ポスト・コロナ時代におけるLearning & Development(L&D)のあり方が、多面的に語られる場となりました。

一方、2024年のATDでは、その雰囲気が一変します。取り上げられたのは、バーンアウト(燃え尽き症候群)、孤立、Great Resignation(大量退職)、Quiet Quitting(静かな退職)、そしてダイバーシティの分断といったキーワード。L&Dの担い手として、いま私たちが直面している現実は決して楽観できるものではないという認識が、カンファレンス全体に通底していました。

ATD-ICEは、常に社会や時代の変化を映し出す鏡でもあります。2025年の今年、果たしてどのような表情を見せてくれるのでしょうか。

注目すべき出来事の1つには、やはりアメリカでの政権交代が挙げられるでしょう。トランプ政権の誕生は、これまで大切にされてきたDE&I(ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン)の方向性にも少なからぬ影響を与えていると見られます。実際、今年のセッション概要を見渡すと、昨年まで多数を占めていたD&I関連のプログラムが大きく減少しており、そこに明確な変化の兆しが感じられます。政策が直接の原因かどうかは定かではありませんが、少なくとも社会の空気感の変化は、セッションの構成にも影響を及ぼしているようです。一方で、こうした流れの中にあっても、D&Iの理念を揺るがせにせず取り組みを継続しようとする企業も少なからず存在しており、まさに今、その価値観と現実のはざまで揺れ動くような葛藤も浮かび上がっているように見受けられます。

その一方で、急速に存在感を高めているのがAIに関するセッション群です。AIは昨年以前から注目の的でしたが、今年はほぼすべてのトピックにAIが関連づけられており、L&Dの前提そのものが塗り替えられつつある印象すらあります。学習や人材育成において「AIをどう使うか」ではなく、「AI時代に人をどう捉えるか」が、より本質的な問いとして立ち上がってきていると言えるかもしれません。

D&Iをめぐる揺らぎと模索、そしてAIの加速度的な進出——。この対照的な潮流の中で、私たちは人と組織の可能性をどのように見つめ直すことができるでしょうか。 奇しくも、今年の開催地はアメリカ政治の中心地・ワシントンD.C.。この地で開かれるATD-ICE2025は、グローバルな動向を肌で感じつつ、自分自身の軸と向き合い、「人間らしさ(ヒューマニティ)」の価値を問い直すカンファレンスになるように思えてなりません。

今年の基調講演

上述したような意義を踏まえながら、今年の3名の基調講演者を紹介したいと思います。

Simone Biles(シモーネ・バイルズ) Athlete and Advocate

体操競技史上、最も多くのメダルを獲得したアスリートであり、同時に、困難を乗り越えた人としても広く称賛されているシモーネ・バイルズ氏。彼女が今、ATDの舞台に立つ意味は象徴的なものと言えるかもしれません。

2021年の東京五輪では、メンタルヘルスの問題から競技を途中棄権。その後、じっくりと心と向き合いながら復帰を果たし、再び世界のトップに返り咲きました。その背景には、スポーツ界における「心の健康」への価値観の転換があり、バイルズ氏はその象徴的存在でもあります。

昨年のATDでは、「バーンアウト」や「静かな退職」といったテーマがL&Dの重要アジェンダとして扱われました。今年、彼女が語る再起の物語は、L&Dに関わる私たちに「人が力を取り戻すとはどういうことか」「ウェルビーイングの本質とは何か」といった問いを投げかけてくれるのではないでしょうか。また、黒人女性として社会的課題に声を上げてきた彼女の姿勢は、DE&Iの再定義にもつながる重要なメッセージとなるかもしれません。

Amy Edmondson(エイミー・エドモンドソン) 
Harvard Business School Professor / Organizational Behavior Expert

「心理的安全性(Psychological Safety)」の提唱者として世界的に知られ、日本でも著名なハーバード・ビジネス・スクールのエドモンドソン教授は、人と組織の学習に関する研究の第一人者です。彼女は、最新著書『Right Kind of Wrong』を出版しており、今年のATDでは、“失敗の科学”がテーマに上がるかもしれません。

いま、私たちの職場や社会は、「失敗を許容する」といった表面的な言葉ではなく、「どのように失敗し、どう学び、どう立ち上がるのか」という実践知を求められています。過去の経験に基づくチームワーク論や心理的安全性の知見を発展させ、”Failing Well”という新たなフレームを提示する本講演は、VUCAの時代におけるL&Dの再定義ともいえるでしょう。

「失敗できる組織」とは、単なる寛容ではなく、挑戦と学びが両立する環境を意味します。その実現に向けて、リーダーとして、学びの場をつくる人として、どのような観点が必要なのか。深い思索を促す時間となるように思われます。

Seth Godin(セス・ゴーディン) Teacher, Author, Entrepreneur

マーケティング戦略とアイデアの伝播における革新者として知られるセス・ゴーディン氏。今回は新著『This is Strategy』を踏まえつつ、L&Dの視点から「人と組織における戦略とは何か」を再定義するセッションを展開します。

AIの台頭により、知識やスキルが自動化される中で、今こそ「人にしかできない仕事とは何か」「チームの力をどう引き出すか」が問われています。ゴーディン氏は、これまでマーケティングやクリエイティビティの世界で活躍してきましたが、新著ではキャリアをテーマに扱っている点が、現代的なアプローチとして注目されます。これまで培ってきた知見を、「キャリア」や「タレント開発」という文脈に持ち込み、より本質的な価値創造のヒントを提示してくれるでしょう。

いずれのセッションも、今という時代を象徴するテーマを含みながら、私たち自身の在り方やL&Dの未来を深く見つめ直す貴重な機会となることでしょう。

セッション・トラック別の傾向と見所

ここからは、セッション・トラック別の傾向と見所を紹介していきたいと思います。

ATDの公式ページ上に公開されている情報によると、2025年3月時点で、今年は約220のセッションやワークショップ(ベンダーによるソリューション・セッションを含む)が行われる予定です(その後変更されている可能性もあります)。セッションは、カテゴリー別に分類されていますが、下記に主要なトラックのセッション数をまとめてみました。

  • Leadership and Management Development(リーダーシップ&マネジメント開発):44セッション
  • Talent Strategy & Management(タレント戦略&マネジメント):20セッション
  • Future Readiness(未来への準備):20セッション
  • Managing the Learning Function(ラーニング・ファンクションのマネジメント):15セッション
  • Learning Technology(ラーニング・テクノロジー):20セッション
  • Learning Sciences(ラーニングの科学):7セッション
  • Measurement & Evaluation(測定と評価):12セッション
  • Career Development(キャリア開発):13セッション
  • Instructional Design(インストラクショナル・デザイン):24セッション
  • Training Delivery & Facilitation(トレーニングの実施とファシリテーション):22セッション

※セッション数は、2025年3月時点のものです。

このあとでは、各トラックごとに見受けられる傾向と、注目したいセッションを紹介していきます。

Leadership and Management Development(リーダーシップ&マネジメント開発)

本トラックでは、リーダーシップ開発プログラムのデザイン、リーダーのあり方、より効果的なリーダーシップを発揮するために必要となるスキルや知識の習得など、リーダーシップに関するさまざまなテーマが扱われます。ATDのトラックの中でも、毎年セッション数が多く、注目を集めるトラックであると言えるでしょう。

AI時代のリーダーシップ開発:テクノロジーと人間性の融合

今年のATDでは、AIを活用した新しいリーダーシップ開発への取り組みが大きな注目を集めています。Z世代やミレニアル世代が職場の中核を担い始めるなか、従来の学習スタイルにとらわれず、個別最適化された学びをいかに提供できるかが問われています。

「The AI-Powered Leader as Coach(コーチとしてのAIリーダー: リーダー育成の新境地)」では、成人学習科学とAIを統合したオーダーメイドのリーダー育成プログラムの開発手法が紹介されます。リーダーシップ開発の取り組みにAIによる学習をいかに統合していくかに注目したいと思います。

また「Building Springboards, Not Ceilings(天井ではなく、スプリングボードを築く:AIと女性の成長)」では、AIが女性に与える影響への危機感を出発点に、AIを女性のスキル形成と成長の味方に変える実践的戦略が提示されます。AIが開く新しい成長の機会と、その中に潜むリスクへの目配りが、今年の1つのテーマとなるかもしれません。

EQへの注目の高まりと変容:関係性・思いやり・ポジティブ知性

上述したようなAIが日常化する環境の中で、人間性の側面から近年再び注目を集めているのがEQ(感情的知性)です。今年も多彩なセッションが見受けられます。

たとえば、「Emotional Intelligence in the AI Era(AI時代のエモーショナル・インテリジェンス: 4つの必須トレーニング戦略)」 では、AI時代において重要度を増すEQのコアスキルと育成戦略が紹介され、コミュニケーションや創造性、倫理といった人間ならではの力の重要性が強調されます。

興味深い点として、EQを拡張させた概念を扱ったセッションが見受けられます。たとえば「Relationship Intelligence: The Key to Building Effective Teams(リレーションシップ・インテリジェンス 効果的なチーム作りの鍵)」 では、チーム内の信頼や動機づけを高めるための人間関係の知性(RQ)が取り上げられています。

また、「Unleash Your Leadership Superpower: Harnessing Positive Intelligence for Excellence(リーダーシップの超能力を解き放て:ポジティブ・インテリジェンスを卓越性のために活用する)」では、心の内面に潜む批判的思考を乗り越えるためのポジティブな自己認知の力が語られます。現代の環境に適応するための様々な知性のあり方にも注目してみたいところです。

また、EQには直接触れていないものの、コンパッション(慈悲)に焦点を当てたリーダーシップ開発も1つの潮流であると言えるでしょう。「Creating Compassionate Culture: Cultivate Leaders Who Care(思いやりのある文化の創造思いやりのあるリーダーを育てる)」では、思いやりのある文化づくりが焦点に当たっています。今パッションに基づいたリーダーシップを、コーチング可能な行動として捉え直すこのセッションは、VUCAの時代において、組織の持続可能性を支える新たなヒントとなるかもしれません。

信頼・心理的安全性・影響力

今年は、基調講演にエイミー・エドモンドソン氏が登壇します。エドモンドソン氏が提唱する心理的安全性や信頼は近年のリーダーシップ開発において最も大きなテーマの1つと言えます。

今年のATDでもその傾向は続くようです。たとえば「Trust Catalyst: Formula for Creating a Culture of Psychological Safety(信頼の触媒:心理的安全性の文化を創造する方程式)では、信頼を触媒とした文化創造がテーマとなります。信頼は組織の成果を左右する根幹要素でありながら、完璧主義がはびこる職場では損なわれやすいもの。信頼の文化を築くために、どのような行動が求められるのかが紹介されます。

また、「Strategic Influence: Empowering Leaders to Drive Change(戦略的影響力:変革を推進するリーダーのエンパワーメント)」では、信頼を基盤にしながら、ステークホルダーに影響を与え、変革を推進するための戦略的な影響力の発揮方法が紹介されます。これらのセッションからは、「信頼を土台に変化を牽引できるリーダー像」が浮かび上がってきます。

組織文化とつながりを築く

同様の文脈から、組織文化やつながりをつくるリーダーシップへの注目度も高いと言えます。

たとえば、「Cross-Cultural Consulting and Facilitation: Stories From Abroad(異文化コンサルティングとファシリテーション: 海外体験談)」では、文化的摩擦を乗り越え、つながりを築く力が取り上げられます。異文化を越えてコンサルティングを行う中で得た知見や対応のヒントに注目したいところです。

「Cultivating Connection -– The Critical Key to Workplace Engagement (つながりを育む — 職場のエンゲージメントを高める重要な鍵)」 では、エンゲージメントを高める鍵としての感情的つながりの重要性が強調されます。 また、「Unlock Your Organization’s Potential Using the Wow Factor(ワオ・ファクターで組織の潜在能力を引き出す)」 では、Booz Allen社の取り組みを通して、ラーニング・エコシステムと文化変革を一体化した実践的な事例が紹介され、未来志向の組織づくりに向けたヒントを得ることができそうです。

音楽によるチームづくりとウェルビーイング

今年のセッション概要を見ると、音楽を用いたリーダーシップ開発のアプローチが数多く行われているところも注目したいところです。

たとえば、「Team Harmony – Leadership Skills and Teambuilding Through Interactive Songwriting(チームハーモニー – インタラクティブなソングライティングを通じたリーダーシップ・スキルとチームビルディング)」では、ソングライティングを通してチームの信頼関係を築き、共創や感情の共有を促進する体験型プログラムが紹介されます。

また、「Leveraging Music for Workplace Well-Being, Collaboration, and Belonging(職場のウェルビーイング、コラボレーション、帰属意識のために音楽を活用する)」では、音楽やメタファーなど創造的な関わりを通して、あらゆる学習体験を受動的なものから変革的なものへと変えるポイントが紹介されます。

音楽という非言語的表現を通じて、チームの関係性やウェルビーイングを再構築する試みは、これまでもありましたが、AIの時代において、あらためて新鮮な切り口と言えるでしょう。

声を育てるリーダーシップ

音楽への注目と同様に、興味深いのが、リーダーにとって重要な「声」の力に注目したセッションも登場していることです。

たとえば「Foster a Speak Up Culture Through Vocal Empowerment Training (ボーカルのエンパワーメント・トレーニングでスピークアップ文化を育む) では、発言力の強化が組織文化の変革にどうつながるかを、5つのスキルと実践的トレーニングを通じて紹介します。

また、「Voice and Vision: Shaping Your Storytelling Identity (声とビジョン:ストーリーテリングのアイデンティティを形成する)」では、自らの価値観や経験を物語るストーリーテリングの手法を学び、リーダーとしての発信力と影響力を磨く手がかりが得られます。

多声性への注目が高まる現代において、声そのものに注目したセッションでどのような探求や実践がなされるのか、注目してみたいと思います。

内面からの成長と学び直し

AIや外部環境の変化が進む今だからこそ、リーダーとしての内面に向き合う時間も大切と言えます。

たとえば、「Unlearning: The Conscious Path to Cultivating a Cohesive, Multigenerational Workplace(アンラーニング:結束力のある多世代が活躍する職場づくりへの意識的な道)」では、アンラーニングがテーマに取り上げられます。アンラーニングは、2年前のATDで基調講演を行ったアダム・グラントも、私たちの中にある考え方や思い込みを再構成する上での必要性を語っており、大きな注目を浴びていました。このセッションでは、世代間の違いや前提を手放す「意識的な学び直し」のプロセスが紹介されるとともに、結束力のある職場の育成を無意識のうちに妨害している習慣を意図的にアンラーニングする方法を学びます。

また、「You’re Just Not That Big a Deal (あなたはそれほど大した存在ではない)」は、タイトルからしても現代的と言えるかもしれません。自分を大きく見せず、等身大の自分で日々少しずつ成長していくスタンスの大切さが語られます。

こうしたセッションは、変革のスピードに振り回されるのではなく、「いま・ここ」に立ち返りながら、確かな歩みを重ねていくための指針を与えてくれそうです。

毎年セッションを行っているレジェンド・スピーカーや企業から学ぶ

ATDでは、数多くのレジェンド・スピーカーが存在しますが、リーダーシップ&マネジメント開発の領域でも多くのセッションが行われます。

たとえば、毎年データをもとに、リーダーシップ開発のトレンドを示してくれるJoe Folkman氏は、今年は、「THE ADAPTABLE LEADER—6 Ways to Thrive During Unprecedented Change!(適応力のあるリーダー:前例のない変化の中で成功する6つの方法!)」というセッションを行います。変化の時代に求められる6つの適応行動が提示され、自己評価や行動ガイドとともに、現場で活かせるツールも紹介されます。

また、毎年リーダーシップに関する良質なセッションを提供しているDDIによる 「Why Leadership Development Doesn’t Work (and What to Do Differently)(なぜリーダーシップ開発はうまくいかないのか(そして何をすべきなのか))」では、従来のリーダーシップ開発がなぜ成果につながらないのかを分析し、その打開策として、ビジネス成果と整合した育成戦略やインパクト重視の設計手法が紹介されます。 例年高い評価を得ているこうしたセッションから学ぶことも価値があります。

インクルーシブ・リーダーシップ

ここ数年は、リーダーシップ開発の領域でもD&Iが大きなテーマになっていましたが、前述したように、今年は大分数が減ったように見受けられます。そんな中でもいくつかのセッションには注目したいと思います。

たとえば、「Inclusive Crisis Leadership(包括的危機管理リーダーシップ)」では、危機的状況においても、インクルーシブな姿勢を貫きながらブランド価値を守るリーダーの在り方が紹介されます。D&Iに関するセッションが全体として減少傾向にあるなかで、企業の姿勢やL&Dの方向性を見つめ直す手がかりとなるでしょう。

Future Readiness(未来への準備)

本トラックは、変化する内的・外的な要因(組織・事業戦略、労働力の確保、他業界の動向、社会の動向、技術の進歩など)を捉え、組織あるいは専門家として未来に備えるための知識・スキル・好奇心を高めることに資するセッションを集めたトラックといえます。ATDは2020年1月に「Talent Development Capability Model」を打ち出し、これからの人材・組織開発に携わるプロフェッショナルに期待する能力として23の能力を定義しました。Future Readiness(未来への準備)は、その中でも重要な能力の1つとして位置づけられています。

トラックの中では、幅広く未来に必要な能力やスキルを高めるために刺激となるセッションが集められている印象がありますが、その中でも今年はAIをテーマとしたセッションが多く見られました。セッションのタイトルを見ていくと、AIという新たな知能が出現したことで、どのようにAIと共存しパフォーマンスを生み出すのか、そのために私たちが見つめ直すべき思考様式はなにかを考える必要性が高まっている流れを感じます。

AI時代の学びと共存を考える

特に注目したいセッションに「Navigating the Frontier: Learning & Unlearning in the AI Era(フロンティアをナビゲートする: AI時代の学習と非学習)」があります。ハーバード大学教育大学院(Harvard Graduate School of Education)が主催する学際的な学習コミュニティ「LILA consortium(Learning Innovations Laboratory )」によって開発されたフレームワーク、ケーススタディなどが紹介される予定です。アンラーニングは単に「忘れる」のではなく、「今の時代や状況に合わない思考や行動を見つめ直し、アップデートする」ことが重要です。教育の分野で第一線を行くハーバード大学では、AIと共存する時代にどのようにラーニングとアンラーニングを捉えているのか、研究の一端に触れられる貴重な機会となるのではないでしょうか。

また「Workforce Readiness in the Era of AI」では、例年豊富なリサーチをベースに時代の潮流を捉えるセッションを開催しているi4cp社のトム・ストーン氏が、本年もAIと自動化の役割の増加について、世界1,000社以上の人事リーダーから収集した最新データとトレンドをご紹介する予定です。そのデータをもとに、組織にとって今求められるスキルアップ/スキル再教育のニーズを探求します。

戦略的思考とAIリテラシーの育成

他にも、本トラックの中で、「AI」をタイトルに冠したセッションには、「Building Future-Proof Teams: Cultivate Strategic Thinking in an AI-driven World(未来に強いチームを作る: AI主導の世界で戦略的思考を養う)」「Develop AI Literacy in the Age of Generative AI(生成AIの時代にAIリテラシーを身につける)」「The AI Revolution: Navigating Change for Competitive Advantage(AI革命:競争優位のために変化をナビゲートする)」「Building Human Capability in the Age of AI(AI時代における人間の能力開発)」などがあります。

また、タイトルにこそAIは含まれていないですが、セッションの内容でAIに言及しているセッションも散見され、AIが私たちの生活、仕事に及ぼす影響は今後も広がりを見せていくと考えられます。

組織的実践から学ぶ:米国の事例とアプローチ

また、Amazon社のスピーカーによる「Fueling a Culture of Fail-Fast Innovation in L&D(L&Dにおける失敗を恐れないイノベーション文化の醸成)」、US Air Force及びUS Navyのスピーカーによる「Build Agile Organizations With Learning Experience Management(ラーニング・エクスペリエンス・マネジメントでアジャイルな組織を構築する)」などでのセッションにおいては、米国を支える企業・組織における体系だった事例が紹介されることが期待されます。

変化を受け入れるための視座:多様な専門家による対話

さらに、「Embracing Disruption: Holding On, Letting Go, Moving On(破壊を受け入れる 持ち続けること、手放すこと、前進すること)」では、トレーニング・人材開発の専門家として業界を牽引してきたエレイン・ビーチ氏、ケン・ブランチャード博士のパートナーであり、ブランチャード社現CEOマーギー・ブランチャード氏、Whole Brain® Thinking(ホールブレイン・シンキング)の第一人者として知られるアン・ハーマン=ネディ氏、キャリア開発・エンゲージメントのレジェンドスピーカーであるビバリー・ケイ氏といった、4名の多角的な専門分野のスピーカーによるパネルディスカッションが行われます。4名の専門家が、技術的変化、環境的変化の激しい現代において、人々の学習を支援する立場としてどのようなことを語るのか注目したいところです。

脳科学から学ぶ創造性と未来志向の文化

最後に紹介したいのが、Britt Andreatta氏による「The Science of Innovation: Critical Strategies to Empower the Future(イノベーションの科学:未来に力を与える重要な戦略)」です。彼女は毎年、脳科学の知見をビジネスやマネジメントに応用したセッションで人気を博していますが、今年は「イノベーション」や「創造性」をテーマに据えています。

このセッションでは、創造性とイノベーションを支える脳の仕組みに注目し、それらを損なってしまうマネジャーやリーダーの行動パターンにも言及されます。部門を越えてイノベーションを推進する文化づくりのヒントが得られるとともに、組織全体で創造性を解き放つ実践戦略が紹介される見込みです。

今年のFuture Readinessトラックは、「AI」「イノベーション」「文化」「再構成」というキーワードを軸に、時代と個人の変化にどう向き合うかを多層的に探る内容となっています。技術だけでなく、私たち自身の思考や関係性の枠組みも問われる──そんなメッセージが全体から立ち上がってくる印象です。

Managing the Learning Function(ラーニング・ファンクションのマネジメント)

このトラックでは、ラーニングを扱う組織の役割を考えていくセッションが登場します。トレーニングの発注・請負といった単純なアプローチではなく、組織内の学習機能をマネージするのは、近年ますます複雑になっています。そのようなラーニング・ファンクションを管理する人々の責任範囲には、組織開発やプロジェクト管理、タレント開発とビジネス目標とのアライメント、学習アイデアや傾向の理解、トレーニング以外のソリューションの専門性(パフォーマンス・コンサルティングやコーチングなど)を養うことなどが含まれてきます。

今年は特に、L&Dを戦略的に再定義し、ビジネスパートナーとしての役割を果たしていくための実践的アプローチが多数見られます。

小規模L&Dチームの可能性を広げる

「Empowering Solo/Small L&D Teams(単独/小規模のL&Dチームを強化する)」”は、リソースの限られた環境にあるL&Dチームの強化をテーマにしています。単独または小規模で運営されるチームが、いかにビジネス目標に整合し、効率的なガバナンスを整備し、燃え尽き症候群を防ぎながら価値ある存在となっていけるのか。注文を受ける側ではなく、戦略的パートナーとして転換していくための道筋が示されます。

限られた人数や資源で成果を出そうとする企業にとって、参考になるセッションと言えるかもしれません。

研修の注文”を超える働きかけ

「When You Have to Take the Order, Find the Opportunity(オーダーを受けなければならないとき、チャンスを見つけよう)」”では、「とりあえず研修やってくれ」といった一方的なオーダーが、実はL&Dの価値を広げるチャンスになるという逆転の視点が提供されます。

依頼に真正面から応えるだけでなく、対話の中から真の課題や期待を見出し、小さな変化を積み重ねていく。戦略的なビジネスパートナーとして信頼を築くための地道なアプローチが紹介される、現場感のあるセッションと言えます。

タレント戦略と人事の統合を見据えて

「Talent Strategy Revolution: The Ultimate Toolkit for HR Integration(タレント戦略革命: 人事統合のための究極のツールキット)」 は、タレント戦略と人事機能の統合という、企業全体の変革に関わるテーマを扱います。

タレントマネジメント、タレントアクイジション、DE&I、エンゲージメントといった多様な施策を、いかにバラバラでなく、統合された全体戦略として再設計できるか。HRとL&Dが分断されがちな日本の文脈においても、大きな示唆となる内容です。

また、「Future-Proofing Your Talent Development Function(人材開発機能の未来を支える:戦略と学習をつなぐ)」では、最新のTD(Talent Development)フレームワークが紹介されます。変化の激しい時代において、人材開発機能そのものをいかに将来対応型にアップデートしていくか。実践的なツールや見直しの観点が提供されます。

学習文化を支えるマインドセットの変革

「The Modern Learning Mindset: Influencing Stakeholders to Think Differently(現代の学習マインドセット:ステークホルダーに異なる考え方をさせる)」 は、L&Dの活動が効果を発揮するためには、コンテンツや戦略以前に、関係者のマインドセットを変える必要があるという重要な視点を提示します。

AIをはじめとする新技術が学習の形を変えるなかで、現場から経営層に至るまで、学びの価値やアプローチそのものに対する認識のギャップが障害となりやすい今。ステークホルダーと共に価値を再構築していくL&Dの姿勢とアプローチが語られます。

今年のManaging the Learning Functionトラックは、L&Dを単なる実行部隊ではなく、戦略的パートナーへと引き上げるための視座と技術が凝縮された構成となっています。リソースの限られた環境でも可能性を拡げ、現場のオーダーにも可能性を見出し、変化に対応しながら未来を創る——そんな実践知を探究する場として、見逃せないトラックとなりそうです。

Learning Technology(ラーニング・テクノロジー)

本トラックは、学習の専門家がどのようにツール、プラットフォーム、システム、アプリケーション、ソフトウェアを使用し、トレーニングに適応しているかを扱うセッションで構成されています。今年のテーマとして目立つのは例年と同じく「AI」「AR/VR」といったキーワードです。

Future Readiness(未来への準備)のカテゴリ中で扱われる「AI」をテーマにしたセッションでは、AIが学習に与える影響を踏まえた、学習・能力開発の変化を捉えるセッションが多いですが、本トラックでは、AIをツールとしてどのように学習に適用するかといった、よりハウツー寄りのセッションが集まっている印象です。

AI × 学習設計:ストーリー・シナリオ・エージェントの構築

例えば、「Blending Creativity With AI-Advanced Story Design for Learning(創造性とAIの融合 – 学習のための高度なストーリーデザイン)」では、AIとストーリーテリングを融合させ、eラーニングを変革する方法、様々なLLMモデルにおける効果的なプロンプトなど、具体的なスキルが紹介されます。

また、「Architects of Imagination: Building Scenarios With AI(想像力の建築家 AIでシナリオを構築する)」では、ChatGPTを活用し、構造化された学習シナリオを作成して学習者のエンゲージメントを高める方法が取り上げられます。 さらに、「From Prompts to Agents: Building Automations With Generative AI(プロンプトからエージェントへ:ジェネレーティブAIでオートメーションを構築する)」では、プロンプトエンジニアリングを活用して、教育設計タスクを自律的にサポートするAIエージェントを構築する方法が紹介されます。単純なプロンプトから、より高度なAI駆動型のオートメーションへと進化させる実践的なアプローチは、今後のインストラクショナルデザインの在り方を再定義するかもしれません。

AIと倫理:責任ある活用に向けて

AIの活用を進める際には、同時に倫理的な視点も欠かせません。「Responsible AI for L&D(L&Dのための責任あるAI)」では、AIツールに潜在するバイアスを特定する方法や、チェックリストを用いた評価法、データプライバシー法や倫理基準に基づいた運用の在り方などが紹介されます。グローバルな視点からの示唆は、日本国内でAI活用を進める上でも有益な手がかりになるでしょう。

AR・VR:没入型学習の実践フェーズへ

ARやVRについても、活発な議論が展開されます。

たとえば、「Introduction to XR Training: From Concept to (Virtual) Reality(XRトレーニング入門:コンセプトから(仮想)現実へ)」では、実際の企業で導入・実証された事例をもとに、XRがどのように実践されているかが具体的に紹介されます。

「Augmented, Mixed, and Virtual Reality: You Could, but Should You?(拡張現実、複合現実、仮想現実:できるかもしれないが、すべきなのか?)」では、AR/MR/VRの技術が学習に及ぼす効果や注意点、ROIを踏まえた判断材料について取り上げられます。技術導入に悩む組織にとって、導入前の判断軸を得る良い機会となりそうです。

テクノロジー全体の潮流をつかむ

最後に、ラーニング・テクノロジーの動向を広く俯瞰するには、「Exploring the Opportunities of the New Learning Technology Landscape(新しいラーニング・テクノロジーの可能性を探る)」が役立ちます。The Learning Guildのデイビッド・ケリー氏が登壇し、最新のテクノロジー動向を紹介しながら、実務にどう取り入れるか、意思決定のヒントを提示してくれます。

このように本トラックでは、AIやXRといった先端技術を学習にどう統合するかという実践的視点が中心に据えられており、L&Dプロフェッショナルにとって、これからのテクノロジー活用を設計する上でのヒントが詰まった内容となっています。

Learning Science(ラーニングの科学)

本トラックでは、人々がどのように情報を取り込んで保持し、情報をつなげ、アイデアを形成し、新しい行動やスキル、知識を適用してパフォーマンスを向上させるのか、その背後にあるエビデンスベースの方法を理解し、適用することを目的としたセッションが集まっています。

数年前までの本トラックでは「脳神経科学」が扱われたセッションも多く見られましたが、今年はトラック全体のセッション数も減り、扱われるテーマは「成人学習理論」や「認知心理学」へと移っている印象があります。

認知のクセにどう向き合うか:行動変容と認知的不協和

たとえば、「The Truth Hurts—Why Facts Won’t Change Learner Behavior(真実は傷つく—事実が学習者の行動を変えない理由)」では、既存のマインドセットと相反する証拠を見せられたときに、なぜ自分の考えを変えようとしない人がいるのか。その背景にある認知的不協和の心理と、それにどのように立ち向かうかを扱います。学習者の抵抗感を前提とした設計にヒントがありそうです。

学習理論の応用:理論と現場の橋渡し

「Transformative Training: Leveraging Learning Leader Theories for Effective Workplace Interventions(変革的トレーニング:効果的な職場介入に向けたラーニング・リーダー理論の活用)」はセント・メリーズ大学の博士によるセッションで、主要な学習理論とそれをどのようにトレーニングに応用するのかについて、学術的な観点からの洞察が得られそうです。

また、「Rooted in Theory: Enhancing Instructional Design for Proven Learning(理論に根ざす:実証された学習のためのインストラクショナル・デザインの強化)」では、全米第5位のコーヒーチェーン、スクーターズコーヒー社の事例を通して、学習の形式を問わず、理論を基盤とした学習体験の設計の仕方が共有されます。

ストレスマネジメント:学びの生理的土台を整える

ニューロリンク社による「The Science Behind Stress and Its Impact on Effective Learning(ストレスの科学と効果的な学習への影響)」では、ストレスが学習成果に及ぼす影響を脳科学の視点から捉え、脳を活性化させるアクティビティなどが紹介されます。学びの前提条件を整えるための実践的なヒントとして注目されます。

フィードバックの再定義:エビデンスに基づいたアプローチ

近年、組織におけるフィードバックのあり方が見直されており、学びを支える重要な要素として再注目されています。そんな流れの中で、「Ouch That Hurt! The Science of Giving Effective Feedback(痛いほどわかる!効果的なフィードバックの科学)」は、効果的なフィードバック提供のエビデンスに基づく戦略を紹介します。

このセッションでは、フィードバックを受け入れる心理的な仕組みや、特に多様なバックグラウンドをもつ従業員(多世代、文化的多様性、神経多様性を含む)に対する配慮ある関わり方がテーマとなっています。行動変容を引き出すために必要な「3つの条件」や、フィードバック後の意図的な行動変換を促すif/then形式の練習計画も提示され、より効果的でインクルーシブなフィードバック文化の形成に役立つ内容です。

このように、Learning Scienceトラックは今年、「なぜ人は学べないのか」「どうすれば変われるのか」に迫る心理的・神経的・社会的要因を多角的に探る構成となっています。個々のセッションは学術的背景に支えられつつも、現場に応用しやすい実践知として展開されている点に、今年の特徴が表れています。

Measurement & Evaluation(測定と評価)

このトラックでは、トレーニングの効果性を高めるためのデータの取り方やL&DのROIの適切な測定方法、そしてデータの活用方法に関するセッションが扱われています。

かつての本トラックは、評価モデルの創始者たち――ジャック・フィリップス氏(ROIモデル)や故カーク・パトリック氏(4段階評価モデル)の手法が中心でしたが、現在はそれらのモデルを現代的な視点で再解釈・再適用するアプローチが主流となりつつあります。また、AIやISO規格といった新たなトピックも登場し、評価のあり方そのものがアップデートされている印象です。

評価モデルの進化と再活用

まず注目されるのが、評価モデルの進化に関するセッションです。

「Updating Your Evaluation Strategy: Best Practices for Sustaining Success(評価戦略の更新:成功を持続させるためのベストプラクティス)」では、ジャック・フィリップス氏が登壇し、明確な評価戦略の策定を通じて、組織の持続的成功に貢献するためのベストプラクティスを紹介します。

また、「Are You Doing Kirkpatrick® Right?(カークパトリック®を正しく実践していますか?)」では、カークパトリック・パートナーズ社による、原点回帰の視点をもったセッションが行われます。 そして興味深いのは、「Supercharge Kirkpatrick Evaluation With AI(AIでカークパトリック評価を強化)」です。従来の評価手法にAIを組み合わせることで、よりリアルタイムかつ実用的にプログラムの効果を可視化する手法が提示されます。人間の観察眼とAIの解析力を融合させた評価が、今後のスタンダードとなる兆しを感じさせます。

無形の人材価値をどう測るか?

近年、人的資本の開示やタレントの可視化が国際的に重要視される中、「Transforming Talent Intangibles Into Actionable Metrics(人材の無形資産を実用的な指標に変える)」は非常にタイムリーなセッションといえます。

このセッションでは、「タレント・プロセス」「人材能力」「トレーニングの効果」などの無形資産を、行動につながる測定基準へ変換する方法が提示されます。運用上の定義の作成、データプロキシの選定、利益やコストへの換算など、現場のL&D担当者でも使える実用的アプローチが紹介される予定です。

統計の専門家でなくとも、戦略的パートナーとしての役割を果たせる方法論に触れることができそうです。

測定の標準化と国際的潮流

今年のATDでは、2023年に発行されたL&D測定に関するISO新規格にも注目が集まっています。

「TDRP and the New ISO Standard for L&D Measurement(TDRPとL&D測定のための新しいISO規格)」では、規格策定に携わったデビッド・ヴァンス氏が登壇。TDRP(Talent Development Reporting Principles)とISOの関係性や、組織でどのように実装していくかのポイントが共有されます。

「何を」「どのように」測定すべきかという問いに対して、国際標準の視点から整理する貴重なセッションとなるでしょう。

Measurement & Evaluationトラックでは、「評価の精緻化」に加え、「評価対象の拡張」も進んでいることが印象的です。AIの台頭やISOの策定は、評価の標準化と高度化を進める一方で、人材の無形資産や学習の質的側面への注目も高まってきています。形式的なKPIだけでは見えてこない、組織文化や人の成長といった「目に見えにくいもの」をどう捉えるか――そのヒントが詰まったセッションが多数用意されていました。 L&Dの評価を「測る」から「活かす」へと転換するために、本トラックの知見をどう応用するかが、これからのカギとなりそうです。

Career Development(キャリア開発)

このトラックでは、キャリア開発という大きな傘の下に様々なテーマのセッションが集まって構成されてきましたが、今年は特に「働く個人」に焦点を当てたセッションや、L&D実務家自身のキャリア形成に関するセッションが目立つ印象です。

AIやテクノロジーの進化が加速する中で、これまで以上に「人間関係」の重要性が再認識されていることが、全体の傾向として読み取れます。

成長を支える関係性をはぐくむ

例えば、『会話からはじまるキャリア開発』(佐野シヴァリエ 有香訳・ヒューマンバリュー出版)の原著者の一人でもあるジュリー・ウィンクル・ジュリオーニ氏は、今年も登壇されます。彼女が担当するセッションのタイトルは、「Fixing Career Development at Last: “It’s the Relationship, Stupid”(キャリア開発の突破口:“それは関係性に尽きる”)」です。

この “It’s the ○○, Stupid” という表現は、もともとアメリカの政治スローガン「It’s the economy, stupid(問題は経済だ)」に由来するもので、「本質はここにある」という強いメッセージを込めた言い回しです。このセッションでも、キャリア開発における本質が「人間関係」にあることが、強調されるようです。 昨年12月には、同書の原著『Help Them Grow or Watch Them Go』の第3版が発刊され、AIやテクノロジーが急速に進化する現代においても、人間同士の関わり(Human Interaction)の重要性があらためて強調されていました。今回のセッションでも、そうした時代だからこそ見直されるべき「対話」「関係性」の意味に注目したいところです。

AI時代におけるL&D実務家のキャリア開発

L&Dに携わる実務家自身のキャリア形成に焦点を当てたセッションも複数見られます。

まずは、ATDの中でもグル的存在であるエレイン・ビーチ氏による「5-Day Challenge to Your Successful Consulting Career(成功するコンサルティング・キャリアへの5日間のチャレンジ)」。昨年に続き、コンサルタントとしてのキャリアを切り拓くための実践的なフレームワークが紹介されると予想されます。

さらに注目したいのが、今年ATDに初登壇するディーター・フェルドスマン氏による「Career Strategies for People Professionals in the Age of AI(AI時代の人材プロフェッショナルのキャリア戦略)」。彼は、AIがHRやL&D領域に与えるインパクトの研究者でもあり、実務家としてのキャリア形成においてAIをどう活かすかという視点でのインサイトが期待できます。

シニア世代のキャリア:年齢にとらわれない成長支援

本トラックのセッションではありませんが、キャリア形成において世代という視点を再考させるセッションも見逃せません。

たとえば、他のトラックでも紹介しましたが、「Silver Surge: Tapping Into the Hidden Power of Older Workers(シルバー・サージ:高齢労働者の隠れた力を活用する)」では、高齢層の経験や知見を活かすためのキャリアモデルと支援のあり方が語られます。

また、「Unmasking Ageism: Raising Awareness and Shaping Inclusive Talent Development(エイジズムの仮面を剥ぐ:意識を高め、包括的な人材開発を形成する)」では、年齢によるバイアス(エイジズム)に光を当て、年齢に関わらず活躍できる組織文化づくりとタレント開発の接続が試みられています。

これらのセッションからは、「世代を超えてキャリアを支援する」視点が、キャリア開発の新しい潮流として浮かび上がってきます。

このように、今年のキャリア開発トラックは、テクノロジーの進化と人間の成長支援の接続点を探るセッションが多く、個人と組織の双方からキャリア形成を再考する機会に満ちていると言えるでしょう。

Instructional Design(インストラクショナル・デザイン)

このトラックには、組織における学習の計画や設計およびトレーニング開発に携わる人々にとって、具体的な支援ツールやティップスを得られるセッションが集まっています。こちらについても他のトラックと同様、AIとの融合が重要なキーワードとなりそうです。

AIとの融合:学習の新たな可能性を拓く

近年目立っていたマイクロラーニングやデザイン思考については今年も引き続き見受けられますが、例年よりは減っている印象です。たとえば「Microlearning and AI: L&D’s Power Couple(マイクロラーニングとAI:L&Dのパワーカップル)」では、マイクロラーニングにAIを組み合わせることで、今まで以上に学習者に適したコンテンツを提供する方法が学べるようです。

そのほかにも「Usability Design for AI- Driven Learning Experiences(AI主導の学習体験のためのユーザビリティ・デザイン)」や「Create Great Learning With the Power of Personas and AI(ペルソナとAIの力で優れた学習を創造する)」のように、AIを活用したインストラクショナル・デザインについてのセッションが見受けられます。ラーニングエコシステムの中で、既存のAI実装の改善に貢献できる領域を特定したり、学習者から収集したデータを効果的に分析し、学習者のペルソナを表現するためにAIツールを使用するといった事例が紹介されるようで注目してみたいところです。

人間中心の学習設計:学び手を重視したアプローチ

一方で、人間ならではの感受性や学習体験の重要性に言及するようなセッションが増えているのも興味深いです。そのうちの一つが、「Embracing the Future: Heutagogy in Instructional Design (未来を受け入れる: インストラクショナル・デザインにおけるヒュータゴジー)」です。ヒュータゴジーとは、学習者が自己主導型で学習を進めたり、経験から学んでいくことを重視しているアプローチですが、AIやテクノロジーの進化、それによる情報の爆発的な増加の中で、学習者が自ら学びたいことを選び、学習をデザインしていく力が求められる中で、ぜひ注目してみたいと思います。 また「Training From the Heart! Learner Empathy and the User Experience(心からのトレーニング!学習者の共感とユーザー体験)」においても、人間中心の学習設計により学習者にとって本当に大切な学びを提供する方法について紹介されるようです。

多様性を尊重するインクルーシブな学習デザイン

そして今年のATDではDEIという言葉すら使われないものの、多様性を尊重したインクルーシブな学習環境の設計が重要なトピックとなります。その一つが「Designing for Neurodivergence: What the Research Says(神経多様性を考慮したデザイン:研究結果)」で、紹介文の中では「もしあなたの学習体験が、受講者の10~50%にとってアクセスしにくいものだったとしたら…」と投げかけられています。あらゆる神経タイプのアクセシビリティを高めるための学習デザインについて、研究をもとにした実践について学ぶことができるようで注目したいと思います。

その他にも、「Show, Don’t Tell: Get Maximum Instructional Value From Your Visuals(伝えるのではなく見せる:ビジュアルから最大限の教育的価値を引き出す)」や「Creating Accessible Digital Media: Small Modifications Make a Big Impact(アクセシブルなデジタルメディアを作る:小さな修正が大きな効果を生む)」といったセッションも、無自覚であることも多い多様性を認識し、あらゆる人に開かれた学習デザインを行っていくヒントが学べるかもしれません。

Training Delivery & Facilitation(トレーニングの実施とファシリテーション)

本トラックでは、トレーニングを通じた知識伝達や人材開発の技術を高めるためのプログラム設計の仕方をはじめ、インストラクションやファシリテーションのスキル、テクニックなどが主に扱われています。「インストラクショナル・デザイン」や「ラーニング・テクノロジー」のトラックと併せて、効果的な学習のあり方や進め方のキーポイントを知ることができるトラックです。

バーチャル空間での学習体験を高める工夫

「Webcams On? How to Effectively Use Video in Virtual Events(ウェブカメラはオン?バーチャルイベントでビデオを効果的に使う方法」では、オンラインでのプレゼンスやコミュニケーションに欠かせない「ウェブカメラ」の活用について、その科学的背景や効果的な使い方が紹介されます。“ABCDE”という5つの原則を用いて、プロフェッショナルかつ自然な映像表現を行う方法、参加者にカメラをオンにしてもらうための心理的アプローチなど、バーチャルイベントを活性化する実践的なテクニックが得られます。

また、「Cultivate Connection, Belonging, and Engagement in Virtual Training(バーチャル・トレーニングで、つながり、帰属意識、参加意識を育む)」では、デジタル空間でいかに「つながり」や「帰属感」を生み出せるかがテーマです。心理的な距離を縮めるインタラクションの設計、ラポール形成、プラットフォームの機能を活かしたエンゲージメント手法など、バーチャルでも熱量のある学びの場づくりに挑むセッションです。

心理的安全性と“沈黙”へのまなざし

「Silent Signals: What Learners Lacking Psychological Safety Aren’t Saying(無言のシグナル:心理的安全性に欠ける学習者が口にしないこと)”」は、学習環境における心理的安全性が欠如している際に表れる「沈黙」という現象に光を当てます。安全性の低い場面で学習者が発する非言語的なサインや沈黙の背景を読み解き、対処するためのフレームワークと実践策が共有されます。ここで紹介されるクラークの枠組みを用いた心理的安全性の測定や予防的対応策にも注目してみたいです。

視覚の力を使って伝える・惹きつける

「Whiteboarding Wizardry: Visual Communication Mastery for Non-Artists(ホワイトボードの魔術師:非アーティストのためのビジュアル・コミュニケーションの極意)」は、絵が苦手な人でも活用できる、ホワイトボードを用いたビジュアル・コミュニケーションのスキルを高めるセッションです。スライドに頼りすぎず、言葉に加えて「描いて見せる」ことの力を再認識させてくれます。ビジュアルでストーリーを語り、共感や記憶に残るトレーニング体験を創るためのヒントが示されるようです。

データの物語化:インパクトある伝え方とは

「From Numbers to Narratives: Storytelling With Data(数字から物語へ:データで物語を語る)」では、無機質に見えがちな数値データを、記憶に残り、行動を促す「ストーリー」へと変換する方法が扱われます。三幕構成をベースに、データに文脈を与え、感情的なコントラストを取り入れながら、受講者や関係者の意思決定に働きかける技法が紹介されます。

今年のTraining Delivery & Facilitationトラックでは、オンライン・対面を問わず、ファシリテーターやトレーナーが「伝えること」だけでなく、「場をつくること」「空気を読むこと」「共感を呼ぶこと」へと視野を広げていくための視点が多く提示されているように思います。没入感・安心感・印象深さといった学習体験の本質的価値に立ち返るヒントが詰まったトラックと言えます。

終わりに

以上、ここまでトラック別にトレンドを紹介してきました。紙幅の関係から、紹介しきれなかったセッションもまだまだありますし、本稿では扱わなかった基調講演やEXPOなど、その他にも見所がたくさんあります。 ヒューマンバリューからは今年は3名のメンバーが参加します。世界各国から集う10,000名の参加者の方々と、人の学習と成長について共に学ぶ約1週間の旅路が今から楽しみです。カンファレンス終了後には、あらためて今年の動向についてご報告できればと思います。

関連するメンバー

私たちは人・組織・社会によりそいながらより良い社会を実現するための研究活動、人や企業文化の変革支援を行っています。

関連するレポート

次世代リーダーシップ創造に向けたシステム思考学習の可能性〜東京都立日比谷高等学校における実践から考える〜

2024.11.05インサイトレポート

株式会社ヒューマンバリュー 主任研究員 川口 大輔 システム思考は、複雑な問題の本質を理解し、長期的な視野から変革やイノベーションを生み出していく考え方であり、社会課題にあふれた現代に生きる私たちに必須の思考法です。 ヒューマンバリューでは、これまで長年にわたりビジネスパーソンに対してシステム思考を広げる取り組みを行い続けてきましたが、今回、東京都立日比谷高等学校の生徒19名に対して、システム

編集後記:ビジネスパラダイムの革新に向けて、私たちにできること

2024.07.10インサイトレポート

ここまで5編にわたり、『GROW THE PIE』をお読みいただいた山口周氏のインタビューを掲載しました。ビジネスのあり方を考察し続けてきた山口さんとの対話は、日本企業の現在地をクリティカルに見つめ直す機会になり、GROW THE PIEの実践に向けて様々な気づきがありました。 最後に、編集後記として、インタビューの感想を交えながら、ビジネスパラダイムの革新に向けて私たちにできることは何か、現在

パイの拡大を導く、リーダーの思考様式と在り方とは(ビジネスパラダイムの再考 vol.5)

2024.07.10インサイトレポート

アレックス・エドマンズ氏の『GROW THE PIE』を読まれた独立研究家の山口周氏に、書籍の感想とともに、これからのビジネスパラダイムについてインタビューを行しました。(山口周氏 Interview Series) 本記事は、そのVol. 5となります。 今回は、パイの拡大や持続可能な社会の実現に向けて、企業リーダーにとって大切となる思考様式や在り方について語っていただきます。 Index

日本企業のパーパス経営を問い直す(ビジネスパラダイムの再考 vol.4)

2024.07.10インサイトレポート

アレックス・エドマンズ氏の『GROW THE PIE』を読まれた山口周氏に、書籍の感想とともに、これからのビジネスパラダイムを探究するインタビューを行いました。(山口周氏 Interview Series) 本記事は、そのVol. 4となります。 前回は、ビジネスにおけるヒューマニティの重要性を語っていただきました。 今回は「パーパス経営」を切り口にして、企業経営のあり方を考えていきます。

ビジネスにヒューマニティを取り戻す(ビジネスパラダイムの再考 vol.3)

2024.05.08インサイトレポート

アレックス・エドマンズ氏の『GROW THE PIE』を読まれた山口周氏に、書籍の感想とともに、これからのビジネスパラダイムを探究するインタビューを行いました。(山口周氏 Interview Series) 本記事は、そのVol. 3となります。 前回語られた、日本社会や日本企業の課題。 それらを乗り越えるために、ビジネスはどんなアプローチを取るべきか、どのように取り組むべきかについて、語っ

日本社会の課題に向き合う(ビジネスパラダイムの再考 vol.2)

2024.05.08インサイトレポート

アレックス・エドマンズ氏の『GROW THE PIE』を読まれた山口周氏に、書籍の感想とともに、これからのビジネスパラダイムを探究するインタビューを行いました。(山口周氏 Interview Series) 本記事は、そのVol. 2となります。 前記事で語られた、これからの経済・企業のあり方。 それらを踏まえ、今日の日本社会や日本企業に起きている課題について、語っていただきます。  In

人材開発の潮流を踏まえ、人材開発部門の役割を革新する〜未来に価値を生み出すラーニング・カルチャーの醸成に向けて〜

2022.03.17インサイトレポート

「企業と人材」(産労総合研究所)2021年12月号(No. 1106)掲載 株式会社ヒューマンバリュー 取締役主任研究員 川口 大輔

組織にアジャイルを獲得する〜今、求められるエージェンシー〜

2022.01.20インサイトレポート

プロセス・ガーデナー 高橋尚子 激変する外部環境の中で、SDGsへの対応、イノベーション、生産性の向上などの山積するテーマを推進していくには、組織のメンバーの自律的取り組みが欠かせません。そういった背景から、メンバーの主体性を高めるにはどうしたら良いのかといった声がよく聞かれます。この課題に対し、最近、社会学や哲学、教育の分野で取り上げられている「エージェンシー」という概念が、取り組みを検討する

誰の組織?-公共哲学における集合的意思決定

2021.12.17インサイトレポート

【Co-creation Career】共創によるキャリア開発

2021.11.26インサイトレポート

【Co-creation Career】共創によるキャリア開発 〜 変化の時代の中で、キャリア開発のあり方を問い直す 〜 人生100年時代と言われる今日、キャリア開発は変化の局面を迎えています。働く一人ひとりの価値観や仕事観は多様化し、組織の人材マネジメントも変化が求めれています。社会的な変化の機運は高まる一方で、職場でのキャリア開発の現実に目を向ければ、閉塞感を感じる場面も少なくありません

もっと見る