アレックス・エドマンズ教授と語る「利益と社会価値の両立」
2023年12月、『GROW THE PIE』の著者でロンドン・ビジネス・スクールのアレックス・エドマンズ教授が来日され、ビジネスを通して社会価値の創出に貢献しようとする企業のリーダーの皆さんとの対話会が、ヒューマンバリューにて行われました。
本レポートでは、その対話会の様子や内容を簡単にご紹介いたします。
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対話会は、エドマンズ教授からのスピーチの後、各企業のリーダーの方々からの問いをもとに対話をしていくという流れで進みました。
対話会には、化学、自動車、重工、食品といった製造系の企業や、商社、人材、広告などのサービス業など、日系企業だけでなく外資系の企業も含めて多様な企業の方がご参加くださいました。
オープニングスピーチ 〜パーパスと利益の双方を実現する道〜
冒頭のスピーチでエドマンズ教授は、
「『GROW THE PIE』という本では、長期にわたるビジネスの成功におけるパーパスと責任の重要性について語っております。パーパスについては昨今多くの方が語っておられますが、倫理的な側面で取り上げられることも多いです。パーパスを掲げ、実現できればよいけれども、やはり財政的な面、利益を中心とした文脈の中で語られがちです。私はファイナンスの教授ではありますが、このパーパスというものは社会にとって、そして長期的な企業の成功においても重要なものだと認識しております」
と述べた後、
「実は私が『GROW THE PIE』の着想を得ましたのは、20年も前のことになります。投資銀行に就職した2001年当初、他の同僚とは違った行動パターンを持っている方、パイを大きくしようという考え方を持っている方が、より大きな成功を収めているということに気づきました。お客さまに対して本当に信頼のおける真実のアドバイスをしている方、すなわち自分自身の短期的な収入を犠牲にしても、その取引をしないほうがいいというアドバイスをする方ほど成功しているというような状況があったのです。
また、部下や他の同僚をとても大事にしている上司たち、すなわち動機付けをしたり、丁寧に話をしたりする人たちほど、エンゲージメントの高いメンバーに囲まれ、結果的に報われていたということを目の当たりにしてきました。
2003年にMITのPh.D課程に進んだ際、この私の個人的な経験は普遍的な真実なんだろうかということを研究したいと考えました。そこで、大規模なデータを収集して、パイを拡大しようという考え方を持っている人たちのほうが、長期的に成功するのかどうかということを確かめようとしました。
その研究の結果、『28年間という長い期間にわたって従業員を大切にする会社は、従業員を大切にしない企業よりも業績が良かった』ということが分かりました。そのようなお話をしますと、『結構なお話だけれども本当なんですか?』とよく言われます。『希望的な思考ではないんですか』ということですね。
社会に対して貢献する企業は、実は収益性も高いということを申しておりますが、これはまさに多くのしっかりとしたエビデンスに裏付けられております」
として、この本を書くに至った経緯や、研究結果から見えてきたことを共有されました。
その上で、大事なのはこの書籍の内容をいかに実践し、パイの拡大につなげていくかだということを述べ、パイ拡大に向けた大事な原則である比較優位の原則や重要性の原則が紹介されました。
社会のトレンドやマスメディアの情報に流されて手当たり次第に取り組むのではなく、自分たちの得意な分野に的を絞ること。また、長期的なビジネスの成功に重要なステークホルダーに対して貢献をすること。この2点が重要だとした上で、エドマンズ教授は、
「一部の方は、パーパスというものは常に利益を犠牲にして実現するものであると考えています。それとは対象的に、社会に対して行う貢献活動であれば何をしても究極的には常に利益につながると思っている方々もいます。いずれもエビデンスに基づくものではありません。『GROW THE PIE』の中では、パーパスの実践は、的の定まった形、規律のきいた形で実践したときのみ利益につながるということを裏付けております。規律無くして、パーパスと利益の双方を実現していくということはできません。今日はそれをいかに実現していくのかということを皆様方と探っていきたいと思います」
と語り、オープニングスピーチを締めくくりました。
対話セッション
オープニングスピーチに引き続いて、企業のリーダーとの対話セッションが行われました。ここからは、その中で上がっていたテーマやトピックを軸にご紹介していきます。
リスクを取って積極的にパイを拡大する
オープニングスピーチに引き続いて行われた企業リーダーとの対話セッションで最初に取り上げられたテーマは、いかにリスクを取ってチャレンジするかという点でした。
参加されたビジネスリーダーからは、
「書籍の中では、実行による過ちではなく、不実行による過ちを重視するという表現で、リスクを取ること、新しいことにチャレンジすることの重要性が書かれていたが、企業としてチャレンジを実践するのはなかなか難しいと感じている。実践に向けたポイントはどこだろうか?」
という問いが発せられました。
これに対して、エドマンズ教授は、
「企業というものは、とかくリスクを管理するということを考え、ビジネスの理屈としてリスクを避けるということを言いがちです。もちろんフォルクスワーゲンが行った排ガスに関する不正などのスキャンダルは避けなくてはいけませんが、リスクを避けてイノベーションをしないことによる損失を見ていくべきだと思います。パイを積極的に拡大していった、そして本来の範囲からより外へ出ていって積極的に価値を創出した企業こそ成功を収めているということを、書籍の中ではエビデンスをもとに語っています。
日本企業は投資家との関係、従業員との関係にしても、常に長期目線で考えておられます。今後はもっとそれを頑張ってやっていただきたい、リスクを積極的に取っていただきたいと個人的には思っています。
そのためにも、まず会社の中で文化を醸成していただけたらと思います。従業員に対してのマネジメントについて考えますと、とかく従業員に対し具体的な指示を与えて、それに従わせる。もし従わなかった場合には、困ったことになりますよというふうなマネジメントをしがちです。しかし、そのような指示に従わせるというやり方でのマネジメントでは、従業員の持っているポテンシャルを最大限に活用することはできません。人々はそれぞれ多様な考え方、イノベーションにつながるような考え方を持っております。ですから、多様な考え方を大切にする、リスクを取るという姿勢を大切にするという文化を持つことによって、企業全体が成功を収めることができるようになります。一部の従業員は新しいアイデアを持っています。それを実践した結果、失敗することもあるでしょう。けれども、それに対して報いるような文化を醸成していくことが大切だと思います」
と述べ、不実行による過ちを重視し、リスクを避けるのではなく、チャレンジしていく文化を醸成することの重要性を示されました。
また、これは企業のみならず、個人の生き方に対しても該当する内容であり、『GROW THE PIE』の中で示している多くの原則は個人にも当てはまるとして、
「私の本職はファイナンスの教授です。ということは、ファイナンスのみを教え、そして学術誌に論文を発表するということさえやっていればよいという見方もあります。
それでも本を書いたということは、リスクを取ったということになります。第一のリスクとしては、その著書が売れないかもしれません。そして第二のリスクは、純然たる学者の皆さんからは、学者なんだから論文だけ書いていればいいんだ、一般向けの本を書くんじゃないというような批判をされるかもしれないというものです。
ただこの本を書いていなければ、本日ここに伺って、これだけ大勢のビジネスリーダーの皆様と対面することもできなかったでしょう」
という個人的なエピソードを共有し、不実行による過ちを重視してパーパスを実践することは、個人レベルでもできるのだということをお話しされていました。
世代による考え方の違い、パーパスと利益への期待値のすり合わせ
対話セッションの中で次にテーマに上がったのが、パーパスとビジネスに対する世代による考え方の違いや従業員と経営陣の中にある考えのすり合わせについてです。
ある参加者の方は、
「若い世代は、パーパスドリブンの会社により惹きつけられて就職しているという傾向を感じる。自社においても、社員はパーパスの実践を非常に求めているが、経営陣のほうは、パフォーマンスなきパーパスはサステナブルじゃないということを理解しているので、ここでギャップが出ることがある」
と述べました。
これに対してエドマンズ教授は、自身が教授になった16年前と異なり、多くの収入を得るということだけではなく、「自分のキャリアによって世界に違いを生みたい。人生を通して意味のある貢献をしたい」と多くの学生が願うようになったのが現在であり、パーパスの重要性はますます高まっていると話された上で、世代による違いは誇張されがちであり、全ての年代にとってパーパスは重要であるという考えを示しました。
その上で、
「パーパスにつながる実践は、短期的にはすぐ利益につながらないかもしれませんが、長期的には利益になって戻ってくるはずです。それは本書の中でのエビデンスが強調しております。これは、健康づくり・体づくりにも似ているかもしれません。毎日運動をして、体に良い物を食べても、すぐに結果は出てこないかもしれません。でも10年たてば、健康なライフスタイルという結果が培われてくるはずです
競合他社が決断しないようなパーパスの実践をすぐに行うことによって、長期的な利益を実現することが可能になります」
と、パーパスに基づく実践が長期的に大きな差となることを改めて強調しました。
また別の観点として、社会に良い取り組みをしているとして、それが本当にパーパスの実践につながっているのかどうかを熟慮することの重要性も示しました。
「本当の意味でパーパスを実践できているのかということを考えなければなりません。企業によっては、無差別に一切合切が全てパーパスであるとやっている企業もあります。SDGsの17個の目標全てに手をつけるという企業もあるわけです。そうではなくて、的の定まった、フォーカスのしっかりと定まった実践が必要になります。聞こえのいい社会貢献であっても、自社の競争優位性を生かすことにはならない、重要性を持たない取り組みもあります。そのような場合には、あえてそういうものには手を付けないという勇気も必要です」
と、比較優位の原則につながるコメントをされるなど、自社の卓越性や強みに基づいたパイ拡大の実践や、特に重要なステークホルダーへ的を絞って貢献することの重要性が指摘されました。
事業の拡大とパイの拡大の違い
また対話の中では、事業の拡大とパイの拡大の質的な違いもテーマとなりました。
多くの企業が、基本的には新規事業や既存事業の拡大を志している中で、そうした営みとパイの拡大はどのように異なってくるものなのか。この問いについてもさまざまな意見の交換が行われました。その中で、エドマンズ教授は大きな違いとして、パイの拡大では、財務的な計算だけではその実現を正当化できない意思決定を行うという点を挙げていました。
「従来型の企業は、事業拡大をしようというときには将来の利益予測をまず立てます。将来のキャッシュフローを表計算によって分析し、その将来の長期的なキャッシュフローがプラスになるということであれば、それに対して投資をつけていくことになるでしょう。この判断にパーパスは必要ありません。しっかりとした表計算を作って分析をすればよいだけです。本書の中では、投資をする際には、財務的な価値ではなくより幅広い社会に対してのインパクトによって判断をしていきましょう、ということを提示しています」。
エドマンズ教授はこう述べた上で、その一例として英国のボーダフォン社が取り組んだM-Pesaの例を取り上げました。
2023年の現在から振り返ってみれば、ボーダフォン社のこの取り組みは賢いビジネス上の決定であり、通常の事業拡大の一環に過ぎないと見えるかもしれません。しかし、当時は全く新しい市場でリスクもあり、財務的な計算では到底正当化できないような事業でした。そんな中でも、幅広い社会に対して貢献できるものだということで意思決定をしてM-Pesaに取り組んだというストーリーを紹介しながら、単純な事業拡大とパーパスに基づくパイの拡大との違いについて話されていました。
パイの拡大は必ずしも企業の拡大を意味するわけではありませんが、そうなるケースが多いということは書籍の中でも触れられています。エドマンズ教授は今回の対話の場においてもこの点を取り上げ、パイを拡大するということと企業を成長させるということには類似点があるとした上で、
「ある意味では、特に新しいお話をしているわけではありません。多くの著者がパラダイムシフトを起こして世界を一変させようというようなことを言い続けてきました。しかし、長年にわたって成功を収めて企業というのは、もう元々成功してきたわけです。ですから、パイ拡大の考え方を企業において実践しようとする際には気をつけなければいけません。これまでとは決定的に違う斬新な考え方だという提示の仕方をしてしまいますと、経営陣の中には抵抗を示す方もいらっしゃるかと思います。もう何十年も自社のやり方で成功してきたのに、なんで今さらやり方を変えなければいけないのかとおっしゃる方もいるかもしれません」
と述べ、パイの拡大という概念はなくとも、リスクを取って社会に価値をもたらし、その結果として成功を収めてきた企業や経営者は数多く存在するため、今後、企業内でパイの拡大に取り組む上では、全く新しい考え方を一方的に押し付けるというのではなく、謙虚な姿勢で臨むことが重要という趣旨の非常に実践的なアドバイスもされていました。
これは、三方良しの精神や渋沢栄一の『論語と算盤』のような考えが根付いている日本社会において、特に重要なポイントとなるのではないかと感じます。
その一方で、
「企業の中には、まず利益を拡大しようと取り組み、その結果、長年にわたり成功を収めてきた企業が多々あると思います。パイの拡大を目指すわけではないけれども、利益拡大を通して企業を成長させようと取り組んでいるそのような企業は、まずまずの利益と成功を収めていらっしゃるかもしれません。
しかし私としては、まずまずの成功、まずまずの利益ではなくて、比類ない成功を皆さんに収めていただきたいと思っております。競合他社が追随できないような比類ない利益を長期にわたって創出するにはどうしたらよいのかということを考えたいのです」
として、表計算によってシミュレーションできるような連続的な成功ではなく、非連続的な価値の創出に踏み出して欲しいという想いを熱く語っていらっしゃいました。
エクセレンス(卓越性)を生かす 〜 自分の手の中にあるものは何か〜
対話の中では、財務目標の置き方や、パーパスや非財務領域をナラティブで表現することの重要性、非財務情報や自社の社会に対するインパクトの評価など、さまざまなテーマが話し合われました。そうしたテーマを通して、エドマンズ教授が繰り返し話していたのが、「自分たちのエクセレンス(卓越性)を生かす」という考え方です。
「気候変動に取り組もうとか、グリーンな水素を開発しよう、あるいは癌やコロナウイルスの治療薬を開発しようというようなことがさまざまに喧伝されるわけですが、そのような業態に属していない企業にとってはピンと来ません。全ての企業が万人に対してあらゆるインパクトを発揮するということは不可能ですから、パーパスについて考えるとき、それぞれの企業によって何が実現可能なのかを現実的に考えることが重要です。
自らの手の中にあるものを生かしていくことが現実味のある取り組みということになります。どのようなリソースやノウハウを御社は持っているのかということです。例えばおもちゃ会社であれば、ずっと遊びたくなるような楽しいおもちゃであるというだけではなくて、子どもたちの勉強にもなる教育的な価値のあるおもちゃを作るということが1つのパーパスになるかもしれません。常にエクセレンス(卓越性)を生かしてビジネスを行い、パーパスを追求することを心掛けてください」
そして、このエクセレンス(卓越性)を生かすという考え方を個人レベルでも実践していける例として、ご自身のグリシャムカレッジ(https://www.gresham.ac.uk/)での取り組みをご紹介くださいました。
「繰り返しになりますが、個人レベルに落とし込んでいくことも大切になります。例えば、私が人命に貢献しようと、これから医者になるための研修を受けて脳の外科手術をするというのは非現実的です。また、貧しい人に貢献したいと思っても、私にはホームレスのためのシェルターでボランティア活動をした経験はありません。そういったことではなくて、私の手の届く、手の中にあるものを生かすということが大事になります。ロンドン・ビジネス・スクールの中で講義を引き続き担当していく。担当している講義の中でスピーチの重要性や、メンタルヘルスとか健康を維持することの重要性も説いていくことが私のパーパスということになります。
でも、社会にはロンドン・ビジネス・スクールの授業料を払えないという方もいらっしゃいます。そういった方たちのために、私はグリシャムカレッジで無料の講義を提供しております。基本的な金融学の知識を教えるというものです。株とは何か、債権とは何か、将来に向けて貯蓄をするにはどうしたらいいか、そういった基本的な知識を教えています。授業料を払うことができず、このようなチャンスがなければ金融についてしっかりと学ぶことができなかったような方々が受講してくださっています。
私自身は単なる一個人に過ぎません。人の命を救うこともないでしょうし、ホームレスのシェルターで働いてみるにしても、そこで生かせるような有益なスキルも持っていません。
ですから、このような無料のレクチャーを担当するということで私の技能を生かしているのです」
エドマンズ教授は、こうした個人的なエピソードを交えながら、「自分の手の中にあるものは何かを考え、それを生かしてどのように社会に貢献できるかを問う」というGROW THE PIEの考え方は、企業レベルでも個人レベルでも実践できるものであり、企業と個人双方のレベルでの、原則に基づいた一貫した取り組みによって、パーパスと利益が両立する道を歩むことができるということを語っていらっしゃいました。
クロージング 〜続くGROW THE PIEの旅路〜
対話会の最後には、参加された企業のリーダーからエドマンズ教授への感想のフィードバックが行われました。
その中では、
「この本を読んで何を始めたかというと、ステークホルダーに我々は何を求められているのか、いわゆる社会からの要請を尋ねていこうということを始めました。ジュニアボードのメンバーが、ステークホルダーの方々に、我々に何を求めているのか、将来にどんなことを求めているのかを聞いて探究し、それを我々の中でサステナブルなものにしていこうとい考えています。今後どうなるかわからないけど、走り始めました。もしかしたら、少し違うアプローチかもしれないですが、一応本を読んで始めたこととしてお伝えします」
というように、今回の書籍によって新たに生まれた探究と実践の旅路のストーリーを紹介くださる方もいらっしゃいました。
こうしたフィードバックに応える形で、エドマンズ教授からもコメントがあり、
「この2時間にわたり、積極的に考え、対話してくださり、ありがとうございました。パーパスを実践するという旅に、もうすでについてくださったということをうれしく拝聴しました。非常にポジティブな取り組みではありますが困難な旅路でもあります。山や谷が必ずあると思います。でも仮にこれがたやすいことであれば、どの企業もやっていらっしゃるでしょう。多くの困難やチャレンジがあったとしても、パーパスというものに向かっての旅から離れないよう、ぜひお願いできればと思います。この旅路、難しいものではありますが、闇雲に進んでいるということではありません。皆さんが進む旅路は、多くの成功している企業が長年やってきたことなんだというエビデンスによって裏付けられております」
というメッセージで会は終了しました。
このチャレンジングな道をこれからも多くの方とご一緒に探究しながら歩んでいけたらと勇気づけられるような対話会でした。