バーンアウト(燃え尽き症候群)の時代に働く人々の経験的価値とどう向き合うのか?「Elevating the Employee Experience Conference 2024」参加を通しての気づきと議論の共有
2024年5月2日〜3日にかけて、Human Capital Institute(HCI)主催のElevating the Employee Experience Conference 2024が開催されました。HCIは、人的資本・タレントマネジメントに関する研究機関として、エンゲージメントやD&Iなど幅広いテーマのカンファレンスを開催しており、ヒューマンバリューもこれまでに何度か参加し、さまざまな議論に触れてきました。
今回は、Employee Experience(エンプロイー・エクスペリエンス)をテーマに、リアル(米国コロラド州デンバーの会場)とバーチャルのハイブリッドでカンファレンスが開催されました。本レポートでは、ヒューマンバリューからバーチャル参加した市村・鬼頭から、そこでの議論の様子や得られた気づきをダイジェストで紹介し、働く人々の経験価値とどう向き合うのかを考えるきっかけにしていただければと思います。
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米企業従業員の現況:本年度のテーマ「Refresh, Recharge, and Reconnect the Workforce」の背景とは
本カンファレンスの今年のテーマは、「Refresh, Recharge, and Reconnect the Workforce(働く人々のリフレッシュ・リチャージ・リコネクト)」となっており、2日間のカンファレンスでは、全16のセッションが開催されました。主なテーマとしては、エンプロイー・エクスペリエンスの向上、バーンアウト(燃え尽き症候群)、AIの活用、ハイブリッドワークやリモートワーク、DE&I(多様性・公平性・包括性)の実践といったキーワードが挙げられ、現在の米国の潮流の一端を感じることができました。
セッションでの議論や気づきの紹介に入る前に、こうしたテーマが掲げられている背景に何があるのか、まず米国の社会的状況について少し触れたいと思います。
大きな社会的背景としては、2022~2023年に米国で起こった「Great Resignation(大辞職)」という社会現象が考えられます。当時のギャラップ社の調査データ(*1)では、従業員の60%が「仕事から心が離れている」と回答し、HR関係者の話題になりました。
同時期には、TikTokなど特にZ世代の従業員が多く利用するSNSにおいて、仕事に対する姿勢や上司への対応方法にまつわるキーワードが次々にトレンド入りしています。仕事へのやりがいを求めず、限られた範囲内で淡々と業務をこなすような働き方を指す「Quiet Quitting(静かな退職)」や、従業員の強制解雇にまつわる種々のコストを避けるために、解雇ではなく従業員が自ら辞めるように仕向ける「Quiet Firing(静かな解雇)」、雇用契約にない仕事やハンドルしきれない仕事に対する「Respectfully Declining(丁重に断る)」、そして現在の職場環境への怒りから、一度に何十社もの求人に応募をする「怒りに任せた応募(Rage Applying)」といったキーワードが次々とSNS上でトレンド入りし、一部は日本でも話題になりました。
そういったトレンドと時を同じくしてHRの課題としてクローズアップされてきたのが、「Burnout(バーンアウト:燃え尽き症候群)」です。従来より、「ハッスルカルチャー」と表現されていた長時間労働や自己犠牲を美化するような米国企業の働き方の課題が、働き手の燃え尽き症候群や大量辞職といった社会的コストも伴う形で、実際に表出してきたと考えられます。今回のカンファレンスでも紹介されているThe Culture of Burnout(Kardia Writing and Publishing ,2023年)という書籍のタイトルにもあるように、バーンアウトはもはや文化のように身近なものになっていることが、今回のカンファレンスからもうかがえました。
また、コロナ禍を経て浸透したリモートワーク、ハイブリッドワークも、マネジメントや働き方、エンプロイー・エクスペリエンスの考え方に大きく影響をしてきました。今年に入ってからは、Nature誌にて「在宅勤務の従業員のハイブリッド化はパフォーマンスを損なうことなく定着率を向上させる」(*2)といった論文も発表される一方で、新しい環境下での断絶や孤立、雇用主や上司と従業員の関係性、職場での信頼関係などをテーマに、今後エンプロイー・エクスペリエンスをどのように構築していくべきなのか、多くの人が模索しています。
そして、現在さまざまな領域で大きなインパクトを及ぼしつつあるAIの活用も、今回のカンファレンスの大きな流れの一つだったように思います。業務やマネジメントの負荷の削減だけでなく、多様な人材の活躍推進、顧客へのシームレスな価値提供プロセスの実現など、AIの適用方法は枚挙にいとまがありません。
また、DE&I(Diversity:多様性、Equity:公平性、Inclusion:包括性)についても、近年は大きな動きが続いていました。2020年のジョージ・フロイド氏殺害をはじめとする多くの不当な死を契機に大きな運動に発展していったBlack Lives Matterの中で、多くの企業がDE&Iの重要性を再認識し、取り組みを進めていました。
しかし2023年6月、米連邦最高裁は、米国の大学の入学選考で人種を考慮する「積極的差別是正措置」(アファーマティブアクション)を違憲とする判決を下しました。この判決は企業のDE&I推進担当者をはじめ、多くの経営者、何より従業員自身に、現在も大きな衝撃を与えています。多くの企業が、自社のDE&I戦略や施策が最高裁の判決に反するものにならないよう、大きな変更を迫られました。アファーマティブアクションに依存せずにDE&Iの目標を達成するための模索は、現在も続いています。
また昨今は、DE&IからDEIBA(Diversity:多様性、Equity:公平性、Inclusion:包括性、Belonging:帰属意識、 Accessibility:アクセシビリティ)へと、認識の枠組みも広がってきました。差別訴訟が年々増加する中で、障がい者雇用、帰属意識といった観点からも、多様化する従業員ニーズにAIを適用し、より即時的かつ有効な対応ができるよう、いち早くスタートを切った企業もあり、ケース共有に注目が集まっています。
こういった昨今の文脈を踏まえながら、働く人々がいかに「リフレッシュ・リチャージ・リコネクト」できる経験を職場内に生み出していけるのかといったことが、今回のカンファレンスの主題となりました。日本と米国では文化や置かれた環境は異なりますが、そうした複雑な状況に向き合う視点は、私たちも参考にできるところが多くあると思います。そこで、ここからはカンファレンスで特に印象に残ったセッションでの議論を抜粋して紹介し、探求の素材としてみます。
感情的なつながりを通じ、エンプロイー・エクスペリエンスを高める
日本でもキーワードとして語られることが多くなったエンプロイー・エクスペリエンスですが、現在どんな意味合いで捉えられているのでしょうか。「エンプロイー・エクスペリエンスの向上(ELEVATING THE EMPLOYEE EXPERIENCE)」というセッションで登壇された、ナッシュビル電力サービス社(米国の公営電力会社の1つ)のトリッシュ・ホリデイ博士が、その問いについて語りました。
エンプロイー・エクスペリエンスは、もはやカルチャーである
ホリデイ博士は、エンプロイー・エクスペリエンスを「従業員が組織内で、実際にどのような行動を目にしているのか、また、どのような考え方をするかを学んでいるのかということ。どう感じ、どう偽るか。従業員が感じること、考えていることのすべて」と定義した上で、エンプロイー・エクスペリエンスとは言い換えれば、「カルチャー(文化)そのものである」とも語ります。これは、どれだけ意外性のあるエンプロイー・エクスペリエンス(良い意味でも悪い意味でも)が観察されたとしても、事実として観察されている以上は、それこそが実際にその企業の文化になっていると考えるべきであるということです。
また、EVP(従業員に提供される価値)の中でも、給与や福利厚生といった契約的な価値は、あくまでエンプロイー・エクスペリエンスの基礎部分に過ぎず、最も大切なものは、経験的な価値(キャリアやウェルネス)、感情を伴う価値(パーパス)なのだと強調されました。
言語の中で最も危険なフレーズは「私たちはいつもこの方法でやってきた」
博士は、組織における「機能的固着(Functional Fixedness)」(個々の物体について元々の使い方にとらわれてしまい、問題解決や創造的な発想が妨げられるような認知バイアス)の問題が、そうした感情を伴うつながりを阻んでしまうと指摘しています。私たちは過去に定めたプロセスや手順にとらわれて、「ここではこういうやり方はしないんだ」と、新しいメンバーがもつ異なる視点までも既存のやり方に修正(fix)してしまいがちです。その過程で、メンバーもフィックスト・マインドセット(Fixed Mindset)に陥ってしまうという、最近の研究を踏まえた博士独自の整理には納得感がありました。
そして、この機能的固着を乗り越えていく鍵として語られたものが、近年注目されている「グロース・マインドセット(Growth Mindset)」ですが、ホリデイ博士は、組織で内面化された諦めの声に対し、一つひとつ「本当にそうなのか?」と問いかけ、対話をしていくことこそがグロース・マインドセットであるとし、一段深い意味合いで捉えていたことが興味深く感じられました。
“You might be right” の文化の中で育む「礼節」と「帰属意識」
そういった企業文化のキードライバーとなるものとして、「礼節(Civility:シビリティ)」*3と「帰属意識(Belonging:ビロンギング)」の重要性も語られました。これらは、博士の所属するナッシュビル電力サービス社におけるエンゲージメント向上の取り組みの過程で生まれたキーワードで、当初は礼節の問題に取り組んでいたものの、その背景には、自らの価値を感じることや、本当に自分自身を見てもらっている・声を聞いてもらっていると感じることができずに苦しんでいるメンバーが会社中にいる状況があった、という発見から導き出されたものだということでした。
人々がそこで自らの価値を感じ、居場所だと思える(つまり帰属意識の感じられる)ような文化を、ホリデイ博士は、「You might be right(あなたの言うことも正しいかもしれませんね)の文化」と表現しました。それは、従業員が自分たちの意見や行動は間違いではないと感じられたり、多様な意見を受け止められる組織の環境・文化であり、そこでは一人ひとりが、今の組織を自分の居場所だと感じることができるようになります。
そしてホリデイ博士は、「私たちは従業員の声に耳を傾けているでしょうか? エグゼクティブとして社内を回り、あらゆるレベルの従業員と会い、『あなたの今の苦悩は何か? あなたの課題は何か?』 と聞いていますか?」と問いかけ、セッションを締めくくりました。この問いかけからも、組織において、働くメンバーそれぞれを一人の人間として見ること、そして、それぞれの声を聞き、受け止めることの必要性について、今さまざまな側面から再確認されていることを実感するセッションでした。
バーンアウト(燃え尽き症候群)の要因とシステムの変革
前述のホリデイ博士のセッションでは、エンプロイー・エクスペリエンスの妨げとなる組織の有害な言動(Toxic Behavior)について触れている場面がありましたが、HCIのサラ・デヴロー氏は、「バーンアウトへの対策と安全な職場環境の構築(Addressing Burnout & Building Safe Working Environments)」というセッションの中で、「職場の毒性(Workplace Toxicity)」という言葉を用い、現在の職場環境に警鐘を鳴らしました。デヴロー氏は過去にGoogle本社に15年間勤務しており、社内のエグゼクティブ向けの教育・開発の責任者兼マネジャーを務めていた方で、セッションでは、Google在籍時に何十回も経験したというバーンアウト(*4)について、自身の経験が語られました。
バーンアウトの実態と原因
デヴロー氏の提示するさまざまな研究データの中で興味深かったのは、バーンアウトのリスクと年齢(Z世代、ミレニアム世代など)には関わりがないということ、そしてその一方で、唯一ジェンダーに相関があるということ、つまり女性へのリスクの集中が明らかになっている、というものです。「職場における女性の地位に関して、ここ数年の状況は過去数十年の進歩を覆す危険がある」と厳しく指摘するデヴロー氏の様子には、鬼気迫るものがありました。
バーンアウトに至る要因については、ワークライフのミスマッチ領域のモデル(カリフォルニア大学バークレー校のクリスティーナ・マスラックとアカディア大学のマイケル P. ライターが開発)において、バーンアウトが起こりやすい6つの要因が特定されており、これについてデヴロー氏からも解説がありました。(*5)
- 1. 継続不可能な仕事量(Unsustainable workload)
- 2. コントロールの欠如の認識(Perceived lack of control)
- 3. 努力に対する報酬の不足感(Insufficient rewards for effort)
- 4. 援的なコミュニティの欠如(Lack of supportive community)
- 5. 公平性の欠如(Lack of fairness)
- 6. 価値観やスキルの不一致(Mismatched values and skills)
さらに、今回デヴロー氏がとりわけ強調していた「職場の毒性(Workplace Toxicity:ワークプレイス・トキシシティ)」も、バーンアウトの最も大きな要因(*6)として昨今深刻な問題になっています。これは、リーダーや同僚からの礼を欠く態度(incivility)や非倫理的な行動など、従業員が、軽んじられている、評価されていない、または安全でないと感じるようになる対人行動やそういった行動がある職場を意味する言葉です。
「問題をヨガでは癒すことはできない」―必要とされるシステム変革
デヴロー氏の指摘の中でも非常に重要だと感じるのは、こうした原因はほとんど組織的・構造的な課題を指し示しているにもかかわらず、企業はウェルネスや福利厚生といった施策による対処を続けており、従業員がサインを出し、懸念を表明したとしても、個々人の認識の問題にすり替わってしまうというものです。「やることが多過ぎて手が回らない」と言っているのに、「タイムマネジメントを工夫しましょう」と返されるような食い違いを、私たちも職場で目にしたことはないでしょうか。こうした現状を変えるために必要なのはシステムの変革であるとして、デヴロー氏は次の5つのポイントを紹介しています。
- 1. パーパスを再構築する (Reframe your purpose)
- 2. コントロールを手放す (Release control)
- 3. 当たり前に信頼する (Trust by default)
- 4. 共通理解をつくる(Build a shared understanding)
- 5. 学習にフォーカスする (Focus on learning)
また、デヴロー氏は、マネジャーやリーダーが何に貢献し、どのような価値をもたらすのかという存在意義を見直すことで、マネジャーからコーチへ、オーガナイザーからコネクターへの役割のシフトを提案します。そして、リーダーの仕事は、「すべての従業員の中にある偉大さを引き出すこと」であり、リーダーも時には失敗し、失敗した時には謝罪して前進していく姿を見せていく必要があること、そしてリーダーの役割を「学習者であること」へとシフトさせていくこと、そのためにはHRのサポートが必要であるといったことが語られました。
デヴロー氏は、制度的な問題に対処したり、長く続く慣行を見直すなど、本当に障害になっていることは何なのか、組織内で話し合いをしてほしいとセッションを締めくくりました。「従業員が本当に必要としていることに耳を傾けて」と緊迫感をもって伝えるデヴロー氏の姿に、米国におけるバーンアウト問題の重大さが伝わってくるセッションでした。
バーンアウトに対処し、リーダーシップを引き出すAIの活用
また、増加するリーダー層のバーンアウトに対処し、リーダーの潜在能力を引き出すために、AIを活用することへの期待も高まっています。ベガ・ファクター社CEO兼共同設立者のリンジー・マクレガー氏は、「リーダーシップとAIの未来:リーダーシップの魅力を再び引き出す(The future of leadership and AI: making leadership engaging again)」のセッションで、リーダーがどのようにAIを活用し、パフォーマンスを高めることができるかのアイデアを共有しました。マクレガー氏は、ニューヨーク・タイムズ紙でベストセラーとして紹介され、日本でも発売された書籍『マッキンゼー流 最高の社風のつくり方(原題:Primed to Perform- How to Build the Highest Performing Cultures Through the Science of Total Motivation)』(日経BP社、2016年)の共著者であり、現在は自身が立ち上げたベガ・ファクター社において、組織文化の変革を支援するテクノロジーを開発しています。
バーンアウトの背景:リーダーが管理する2つのパフォーマンスタイプ
マクレガー氏は、現在増加しているバーンアウトの要因として、リーダーシップの難易度が上がっていることを指摘します。その背景にあるものとして、昨今のリーダーは2つの相反するパフォーマンスタイプ、「戦術的パフォーマンス(Tactical performance)」と「適応的パフォーマンス(Adaptive performance)」のバランスを取りながらリードすることが求められていることを挙げました。その上で、これからのリーダーの仕事は、戦術的にも適応的にも優れたパフォーマンスが出るようリードすることだと、マクレガー氏は定義し、次のように説明しています。
戦術的パフォーマンスでは、戦略およびベストプラクティスや指示に従い、計画をいかに遂行するかが重視されますが、適応的パフォーマンスでは、計画外の事態に対応し、困難な課題を解決することや、成長するための新しい方法を見出す創造性が重視されます。また、戦術的なパフォーマンスに分類される仕事は自動化しやすい一方、適応的パフォーマンスの仕事は自動化ができず、その性質上、常に新しいマインドセットや行動、スキルを学びとっていくことが必要になるため、より難易度が高いものだといえるでしょう。近年、戦術的パフォーマンスの領域で加速度的に自動化が進むと同時に、リーダーにとっては、問題解決や創造性といった適応的パフォーマンスを管理する責任が増えてきました。こうした状況から、リーダー層のバーンアウトが増えるのは不思議なことではない、とマクレガー氏は分析しています。
適応的パフォーマンスを高める動機付け
また、マクレガー氏は、自己決定理論や心理学をはじめとした過去数十年の研究と同社の研究を照らし合わせ、優れたリーダーは「働く理由(動機)こそが仕事の質を決める」と理解していることを明らかにしました。そしてその動機について、自身の研究から独自に6つの軸を特定しています。
- 1. 遊び(Play)
- 2. 目的(Purpose)
- 3. 可能性(Potential)
- 4. 感情的プレッシャー(Emotional Pressure)
- 5. 経済的プレッシャー(Economic Pressure)
- 6. 惰性(Inertia)
さらに、ベガ・ファクター社の実践と研究から、この6つの動機のうち適応的パフォーマンスを高めることができるのは「遊び」「目的」「可能性」の動機だということが明らかになっているとして、燃え尽きにくい人は、自分の向き合うことに遊びや目的、可能性を感じているという話もありました。
マクレガー氏からは、この3つの動機からチームをリードしていくために、四半期に一度行う3つのルーティンによる適応的なリーダーシップの構造化が提案されました。3つのルーティンとは、「Goals:学習を促すゴール設定」「Health:チームの健康状態の分析」「Skill:目標達成をするためのスキルの獲得」というもので、これらはAIを活用することで、より簡単に取り組みやすいものになるといいます。
Goals:学習を促す目標設定に、AIを活用する
目標設定については、 「ベストを尽くす」といった曖昧な目標や、「市場シェアを7%〜21%に高める」といった数値(業績)目標よりも、「市場シェアを向上させるための6つの異なるアイデアを特定し、テストする」といった問題解決に焦点を当てた目標を設定することが、人々の学習を促し、問題解決行動を増やすことができるという研究結果が紹介されました。
また、実際にベガ・ファクター社が提供するAIシステムを活用した事例から、問題解決に焦点が当たっていないストレッチな業績目標を割り振られたとしても、AIを活用することで、目標にまつわる問題を分解し、さらにその問題解決へアプローチするアイデアが豊富に得られることによって、効果的な仕事の進め方を生み出していけることが示されました。
Health:チームの健康状態をチームで確認し、取り組みを生み出すために、AIを活用する
また、チームのモチベーション管理においても、すでにAIシステムが活躍しています。「前期の仕事についてどう感じていますか? 退屈だと感じていましたか? それとも面白かったでしょうか?」といった調子で、AIがチームのモチベーションレベルや課題に関する質問を投げかけ、チームメンバーが回答し、さらにその分析に基づいた記述式のアンケートが作られ、その回答結果もAIによって分析され、仮説と解決に向けたアイデアの方向性が提示される様子が紹介されました。チームメンバーもそれを受け、それぞれ問題解決のアイデアをコメントしていき、最終的にはAIが、そのアイデアの分析とカテゴライズまでを行い、マネジャーの負荷を減らしながら、チーム全体でチーミングに取り組むことにAIが貢献できる可能性が示されました。人間による分析の目が入らないことも、心理的安全性を保ちながら、チームに率直な意見を求めることに寄与しているほか、具体的なアクションの創出まで短時間で行うことができるのは、AIを活用する際の利点といえるでしょう。
Skill:AIのサポートを通じて、適応的パフォーマンスを高めるスキルを獲得する
ここでのAIシステムのサポートは、遊び・目的・可能性のフレームに基づいた新たなスキル獲得の提案です。AIがフレームに基づいた質問を投げかけ、それに対する回答に基づいて、どういったスキルを学んでいくことが良さそうか、3つのフレームが重なる領域でのスキルは何かなどについて、アイデアリストがシステムから提示されます。
また、同社の研究から、仕事を通じて新たなスキルを学習し獲得していると感じられることは、従業員のモチベーションスコアを高め、ワークライフバランスの認識にも寄与するというデータも示されました。先ほどのHCIのデヴロー氏のセッションにおいても、バーンアウトを改善するための施策の一つとして、学習へフォーカスするような組織への変革が提言されていましたが、マクレガー氏の発表からも、「学習」がバーンアウト防止のためのキーワードとなっていることがわかります。
セッション中、マクレガー氏が「私たちは皆、すでに懸命に働いている。持続的に頑張る余地はない」と語るシーンもありましたが、そのような状況において、AIの活用がどれだけチームのポテンシャルを解放する可能性を秘めているか、マクレガー氏の実践や研究が力強く物語っているようでした。彼女の書籍が発売されてからすでに何年も経過していますが、新たなデータやテクノロジーと共に示されるそのコンセプトは色あせず、AIの適切な活用も加わることで、これからの組織の変革やチームづくりのあり方の進化に対して非常に期待が膨らみました。
米国におけるDE&Iの現在地
本レポートの最後のテーマとして、米国におけるDE&Iを挙げたいと思います。レポート冒頭で紹介したように、昨年6月の米国最高裁の判決を受け、多くの企業がDE&I戦略の見直しを迫られました。今回のカンファレンスでは、アライ・フィナンシャル社のチーフ・ダイバーシティ・オフィサーであるレジー・ウィリス氏が、「分裂すれば崩壊する:社会的および政治的混乱の中でDE&Iのためのスペースをつくる(Divided we fall: Creating space for DE&I during social and political upheaval)」と題したセッションにおいて、そういった混乱や人種差別など、DEIにまつわる社会的、政治的な問題が起きた際に、会社として、HRリーダーとして、そして黒人男性当事者として、どのようにコミュニケーションをしてきたのかについて、ストーリーテリングを交えて紹介してくれました。
DE&Iストラテジーを貫き、コアバリューに立ち返る
ウィリス氏のストーリーテリングは多岐に渡りましたが、全体を通じて参加者として最も重く、そして強く、スピーカーの想いを感じたのは、セッション冒頭の“Stick to your strategy(DE&I戦略を貫いて)”というメッセージだったように思います。
「この中で、DE&I戦略を講じている組織はどれくらいあるでしょう? そのうち、過去12カ月間でその戦略に疑問をもった人はどれくらいいますか? ジョージ・フロイド氏の殺害でありながら、この12カ月で、どれくらいの組織が掲げていた戦略を取り下げましたか? DE&I戦略を貫くのです。その戦略がどういうものであれ、それに対してコミットメントを持ち続けなければなりません」
ウィリス氏の怒りや悲しみ、やるせなさ、そしてDE&Iの取り組みへの誇りや情熱に満ちたこのメッセージに、バーチャル参加の我々の画面越しでも理解できるほど、会場の空気は一変しました。オーディエンスは水を打ったように静まり返り、ウィリス氏のストーリーテリングが続きました。
アライ・フィナンシャル社においても、アファーマティブアクション撤廃に関する判決後に行ったリーダーシップチームや顧問弁護士との話し合いでは、意見の対立があったといいます。当時ウィリス氏は、会社として声明を出さないというリーダーシップチームの判断に、大きな怒りや落胆を感じていたものの、その決断をミッション・ステートメントやコアバリューと照らし合わせてみたところ、「私たちは、私たちが示した基準に基づいて決断を下したと納得することができ、最終的には全員の意見が一致して部屋を出ることができた」として、自身の体験から感じるコアバリューの重要性を語ってくれました。
HRが担うべき役割:「酸素マスクをつけて」
ウィリス氏は過去の経験から、HRが担うべき役割として「組織のリーダーたちのカウンセラーであること」「従業員たちの腹心(良き相談相手)であること」の2つを掲げ、次のように整理しています。
「組織のリーダーたちのカウンセラーであること」
・勇気をもち、リーダーたちと会話をしてみる
・リーダーに求める行動を自らが体現する
・自分のリーダーとしての立場を明確にし、バルネラビリティを見せることを厭わない
・組織にとって正しいことと自分の価値観は対立し得ることを受け入れる
・仕入れや請求業務のためコアバリューに反する行動や決定を指摘する
・異なる意見をもつ人たちのための場をつくることで組織をサポートする
・ステークホルダーからどんな反応があるか可能性を広げて考える
「従業員たちの腹心(良き相談相手)であること」
・社会問題への対応として沈黙は許されない―特に従業員に対しては
・ただちにカンバセーションの場を設ける
・あなた(HRの担当者)がすべての答えをもっているとは限らない
・あらゆる背景をもつ人が安心して参加できるような場をホールドする
・政治的な議論も起こり得る。マネジャーとチームメンバーが建設的にこれらの対話を進めていけるように助ける
・従業員とのカンバセーションから得られたもの・結果を共有する
大事な要素が綺麗な箇条書きにまとめられてはいますが、セッションで語られたストーリーからは、これらがいかに厳しい課題に向き合い、心血を注ぎ、従業員やリーダーとの対話から導き出されてきたものかが伝わってきました。
重要なのは、組織として声を上げるかどうかではない。従業員が「自分自身を見てもらえている」と感じられること
非常に印象に残った話の一つが、2020年のジョージ・フロイド氏殺害事件の後の、アライ・フィナンシャル社での対話の取り組みです。当時多くの従業員が、メディアで拡散される事件の映像を見ており、ウィリス氏のチームは組織として開かれたカンバセーション(話し合い)の場をもつことに決めて、実際に多くの拠点で場を開いてきました。ウィリス氏自身も黒人男性であり、多くの従業員と同じように揺らぎや悲しみの中にあり、そういった場をリードしていくことに困難を感じていたと言います。また、社員の中には、フロイド氏とかつて共に働いていた人もいたそうです。この当時のことをウィリス氏は次のように語っています。「バルネラブル(弱く、脆い状態)であることを決めました。その瞬間に感じていることを、皆と分かち合おうと決めました」。ストーリーを語るウィリス氏の目には涙が見られる場面もあり、先ほど挙げられたHRの役割を実際にウィリス氏が体現してきたことが感じられました。
また、この取り組みを通じて、組織が従業員を気にかけているということを、従業員に理解してもらうことができ、そのことこそが組織としての大きな成果だったという話も非常に印象的でした。声明を出す・出さないということ以上に、従業員が、自分の声を聞いてもらえている、周囲が自分のことを見てくれている、気にかけてくれているなど、組織とのつながりを感じられることが、決定的に重要だということです。このメッセージは他のセッションとも共通したものでありつつ、とりわけ強く心に訴えかけるものだったように思います。
難しい課題に真摯に向き合うウィリス氏の姿勢や生き方に心が揺さぶられ、紡がれる言葉一つひとつに重みを感じるセッションでした。こうしたストーリーを公の場で語ることができ、同時に、セッションに参加する一人ひとりも真剣に耳を傾け、向き合おうとする姿勢に、カンファレンスを主催するHCIの想いと、米国におけるDE&Iに対する取り組みや対話の深まりが感じられました。
まとめ
コロナ禍を経て、大量辞職やバーンアウトといった危機に直面する米国の状況がありありと伝わってきた本カンファレンスでは、それらに対して何が取り組みの鍵となるのか、少しずつデータが集められ、研究が進み、実践からの学びも共有され始めていることがわかってきました。より速く、より高い成果を生み出し、より多くの仕事をこなすことが求められている現在の職場環境において、バーンアウトに対処し、より良いエンプロイー・エクスペリエンスを生み出していくためには、構造的な変革、そして「学習」が鍵となること、そしてAIなどの新しい技術を活用する可能性も頻繁に示されました。
また、カンファレンスの中では、「従業員の声を聴く」というメッセージも多層的に投げかけられています。これは、社員の元に足を運び、話を聞くという意味もありながら、それ以上に、本当に声が聞き届けられていると従業員が感じているか、存在が認められていると感じられたり、ここが自分の居場所なのだと従業員自身が感じられているのかが問われることであり、徹底してエクスペリエンス・セントリック(体験中心)に従業員の見ている世界を理解しようとする、企業や担当者の姿勢が感じられました。
そして、そうした取り組みを生み出していくためにも、人事・人材開発の領域で働く人々たちのメンタルヘルスが重要であることが、2日間の間でたびたび言及されました。「空のコップから水を注ぐことはできない」というレジー・ウィリス氏(アライ・フィナンシャル社)の言葉の通り、まずはHR担当者たちが自分自身を大切にし、そこから他者を大切にできる余白を生み出すことが、重要なこととして参加者の中で共有されていたように思います。
関係性の希薄化を多くの人が感じている今、それを乗り越え、新しく組織と人々を結び直すことが必要とされています。カンファレンスのサブタイトルである、リフレッシュ・リチャージ・リコネクト(Refresh, Recharge, and Reconnect)は、今まさに働く人々が求めるエクスペリエンスそのものなのかもしれません。
参照
*1:https://www.gallup.com/workplace/393395/world-workplace-broken-fix.aspx
*2:https://www.nature.com/articles/s41586-024-07500-2
*3:「Civility at Work(職場における礼節)」とは、同僚間の敬意ある関係、尊重、積極的な協力を指す。これは単なるマナーやポリシーを超え、より積極的に尊重を示す一連のコミュニケーションを意味する。この概念自体は2000年代初頭から米国で知られていたが、職場の多様性の増加、不公平に対する意識の高まり、心理的安全性の必要性の認識から、近年米国HRのトレンドワードとして再び注目を集めている。
*4:バーンアウト・燃え尽きという単語が正式な医学的診断名となったのは、最近のことである。2019年に世界保健機関(WHO)が『疾病及び関連保健問題の国際統計分類(国際疾病分類)』第11版(ICD-11)の「雇用および失業に関連する問題」に関するセクションにバーンアウトを追加した際、バーンアウトは、「職場での慢性的なストレスがうまく管理されていないために起こる病的現象」と定義され、「エネルギーの枯渇または消耗感」「仕事から心理的距離が生じ、仕事に対する否定的感情や皮肉的な態度が増すこと」「職務効力感の低下」という3 つの側面をもつと記載されている。
*5:6つの要因について解説されている論文はこちらからお読みいただけます。