SHRM(Society for Human Resource Management)
SHRM INCLUSION CONFERENCE 2024レポート 〜揺らぐI&Dにおいて、今私たちが議論すべきこと〜
研究員 佐野シヴァリエ有香
本レポートでは、昨年開催されたSHRM Inclusion Conference 2024について、カンファレンス全体の文脈や、筆者が印象に残ったセッションを中心に、内容をダイジェストで紹介していきます。
目次
今日のI&Dを取り巻く環境
Inclusion Conference 2024について
基調講演
1.正しいことを続ければ、変化が生まれる
2.ありのままを受け止めてくれる存在が強さに
3.「自分だからこそ」の可能性を追求する
議論の土台となるトレンド:印象に残ったキーワード
シヴィリティ(礼儀正しさ):インクルージョンの基礎を築く
思考の多様性:より広義の多様性へ
アクセシビリティ:まだ所属していない人々の存在
まとめ
関連するキーワード
今日のI&Dを取り巻く環境
まず、今回のカンファレンスについて詳しく紹介をする前に、近年の多様性に関する議論について、大まかに触れておきたいと思います。
2020年にアフリカ系アメリカ人であるジョージ・フロイドさんが殺害された事件などから、米国内で多様性に対する関心が高まっていました。しかし、その後の政治・社会的な揺り戻しや、2023年6月の米国最高裁判所による、大学でのアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)に対する違憲判決も象徴的なきっかけとなり、米国では現在「DEI Backlash」と呼ばれるような、多様性に関する取り組みへの反発が大きくなってきています。最近では、2024年12月に、NASDAQ上場企業に取締役会を構成するメンバーの多様性に関する情報開示を義務づける規則が無効になるなど、この揺り戻しが現在も継続していることが感じ取れます。そのような流れを受けて、ウォルマート、アマゾン、グーグルなどの大手企業(*1)においても、DEIの施策を再考・縮小する動きが相次いでいます。
前述のような社会的トレンドを踏まえ、本カンファレンスの主催団体であるSHRM(Society for Human Resource Management)でも、カンファレンス開催の4カ月前にDEIに関する方針転換があり(*2)、大きな議論を呼びました。SHRMは今後の多様性に関するポリシーを、IE&D(Inclusion, Equity and Diversity:包摂・公正・多様)ではなく、I&D(Inclusion and Diversity)とする、つまり、Equity(公正)を削除すると発表したのです。その背景として、SHRMのCEOであるジョニー・C・テイラー・Jr.氏は、「私たちはインクルージョンを最優先にする。なぜなら、世界にはインクルージョンが最も重要だからだ」と述べています。テイラー・Jr. CEOは、DE&Iの推進が特定のグループを優遇しているといった極端な意見によって、対立を引き起こしてしまっている組織も見受けられ、社会的な反発と分断を生んでいると指摘しています。また氏は、職場においてすべての人が「ビロンギング(Belonging/所属)」を感じられる環境をつくることが重要であり、そのためには、まず最初にインクルージョンを確保する必要があるとしています。この背景には、インクルージョンに軸足を移すことで、I&Dを誰もがポジティブに受け入れ、より効果的に機能する形に進化させるねらいがあると考えられます。この発表に対しては賛否両論の反応があったようで、SHRMにおける取り組みも、答えのない中を試行錯誤している様子をうかがうことができます(*3)。それでも、カンファレンスのオープニングスピーチで話されていた通り、テイラー・Jr.CEOは「世界には、地球温暖化やがん治療など、解決すべき問題にあふれている。でも、これ(インクルージョン&ダイバーシティ)こそが、私たちが向き合う課題だ」とし、I&Dの取り組みへの覚悟を表明していたことも印象的でした。

<カンファレンスのオープニングスピーチで話すSHRMのテイラー・Jr. CEO>
(参照)https://www.linkedin.com/company/shrm/posts/
※本レポートでは、SHRMの表記にならって、D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)ではなく、I&Dの表記で統一しています。
Inclusion Conference 2024について
SHRMは、米国に本部を置く世界最大の人事の専門家向け組織です。1948年にその前身となる団体が設立されており、2023年に75周年を迎えました。SHRMは、「人事の実践を後押しし、人間の可能性を最大化することにより、人や組織のエンパワーメントを高めること」をミッションとしています。特に、働き方改革、多様性・インクルージョン(I&D)、メンタルヘルス、リモートワークの推進など、現代の労働市場における重要なテーマに積極的に取り組んでおり、日本を含む世界各国の人事専門家にも役立つ情報を発信している団体です。
SHRMでは、年次カンファレンスを含む数多くのカンファレンスを毎年開催し、人や組織に携わる人々の学びやコミュニティづくりに貢献しています。そのうちの1つである、SHRM INCLUSION CONFERENCEは、1996年に開催されたWorkplace Diversity Conferenceが、名称を変えながら今日まで継続しているものです。 2024年のSHRM Inclusion Conferenceは、11月4日〜7日の4日間開催されました。期間中は基調講演が3つ行われ、8つのテーマ(コンテンツ・トラック)に分類された通常セッションの数は100以上に及びました。コンテンツ・トラックには、戦略やリーダーシップ、バイアス、ユニバーサルデザインなど、インクルージョン&ダイバーシティに関するテーマが幅広く網羅されていました(以下参照)。現地での参加者数は発表されていませんが、2000人以上が参加していたようです。本レポートでは、筆者がこれらのセッションのアーカイブを視聴した中で、印象に残ったトピックを紹介していきたいと思います。
8つのコンテンツ・トラック
- Untapped Talent Pools
- Inclusive Hiring & Talent Development
- Employee Well-being & Mental Health
- Accessibility & Universal Design
- Inclusive Leadership
- Conscious Inclusion & Bias Reduction
- Equity & Belonging
- Inclusion & Diversity Strategy

<会場の様子>
(参照)https://www.linkedin.com/company/shrm/posts/
今回のカンファレンスの一番の特徴として、後にトランプ大統領が当選を決めた大統領選挙の投票日(2024年11月5日)が、開催期間中にあったことです。特に米国の大統領選挙では、二大政党の候補者が激しい論戦を繰り広げるため、政治的主義や信念の違いが普段よりことさら強調され、国民を大きく二分してしまうイベントでもあります。そうした影響もあってか、カンファレンスのオープニングスピーチを含む至るところで、米国を分断してきた政治的な論戦に終止符を打ち、国民同士が今こそつながり合うことの必要性が強調され、「Unity」や「Healing」「Empathy」といった言葉が多く聞かれた4日間となりました。それは、多様であること、異なる他者と共に生きること、違いを生かし合うことでより大きな成果を生み出すことについて改めて考えさせられるような、本カンファレンスを特徴づけるような出来事でした。
ここから、カンファレンスでの様子を共有するにあたり、まずは3つの基調講演の内容を紹介したいと思います。
基調講演1:正しいことを続ければ、変化が生まれる

(参照)https://www.linkedin.com/company/shrm/posts/
1人目の基調講演者は、ミシェル・ハワード(Michelle Howard)提督です。ハワード提督は、アメリカ海軍で35年のキャリアを過ごし、女性として初めて四つ星提督の階級に昇進し、また、女性として初めて海軍作戦部副部長(海軍における第2位の階級)に任命されました。さらに、彼女はアメリカ軍全体においても、アフリカ系アメリカ人女性として初めて三つ星および四つ星の階級に昇進し、また、海軍で艦の指揮を執った最初のアフリカ系アメリカ人女性でもあります。そのキャリアの中でも、2009年にソマリアの海賊から民間船長のリチャード・フィリップスを救出するための対海賊任務部隊を指揮し、国際的な注目を浴びました。この救出作戦は後に映画『キャプテン・フィリップス』(2013年日本公開)として描かれています。
対談方式で行われた今回の講演では、ハワード提督の生い立ちについてのストーリーから始まりました。子どもの頃から軍で働くことを目指していた提督は、母との会話の中で、当時女性が士官学校への入学を許されていないことを知ったとき、「応募して断られたら、政府を訴えればいい」と話していたそうです。幼い頃から彼女の中には、「自分が正しいと思ったことをしなければ、道を開くことはできない。そうすれば、時間は掛かるけれど、他の女性が進む道も開くことができ、ひいては世界を変えることにもつながる」という考えがあったようです。そして、歴史の流れとともに社会も変化し、彼女が入学する2年前に女性の入学が許されました。彼女は士官学校で学び、海軍に参加することになりますが、90年代まで女性は戦闘に参加できなかったなど、さまざまな障壁があったようです。社会の変化と彼女自身の経験が折り重なり、四つ星提督という階級にたどり着いた彼女のライフストーリーは、社会の「正しさ」に押し潰されることなく、自分が正しいと思ったことを信じ続けること、そうすれば変化が生まれ、道が開かれることを教えてくれます。そして、私たち自身もまた、変化し続ける歴史の一部なのだと感じさせられました。
女性リーダーとして海軍で仕事をするにあたっては、人種や性別によるステレオタイプを排除することを大切にしていたと言います。アフリカ系でかつ女性の上司をもつことになった白人男性部下たちが、「昨晩はよく眠れなかった」と吐露できる気軽さがあるかどうかは、チーム全体のパフォーマンスに影響を与えることになります。それぞれのステレオタイプを超えて、純粋に各々のスキルや視点を持ち込むことができるチームづくりを心掛けていたようです。また、そうした経験を振り返って感じることとして、「組織を変えるには、その組織の中心にいる必要がある」とお話してくださいました。つまり、今リーダーの立場にいる方々が「(性別や肌の色でなく)皆が同じ海兵隊員である」という事実を生かしていくことができるかどうかにかかっているのだと。また、組織の中心にいる人々のコミットメントがないと変化は起きないと言い切っていたところが印象的でした。
リーダーI&Dに向けた変革にコミットしていることは、SHRMも重視しているテーマであるようです。SHRMでは、PwCと協働して、CEO Action for Inclusion & Diversityというイニシアチブを主導しています。そこでは、CEOやビジネスリーダーが職場でのI&Dを推進し、持続可能な変化をもたらすための強力なプラットフォームを提供しているようです(*4)
基調講演2:ありのままを受け止めてくれる存在が強さに

(参照)https://www.linkedin.com/company/shrm/posts/
2つ目の基調講演者は、2024年パリオリンピック女子走り幅跳びの金メダリストであるタラ・デイビス=ウッドホール(Tara Davis-Woodhall)氏でした。彼女は、過去2年間無敗を誇っており、二度のオリンピック出場を果たし、世界ランキングは1位、2024年世界選手権優勝等のタイトルを獲得しています。今回の講演では、夫でもある、短距離走のパラリンピックメダリスト、ハンター・ウッドホール(Hunter Woodhall)氏と共に登壇しました。2人はスポーツ界のパワーカップルとしても知られており、共にインクルージョン(包摂)と障害者スポーツの発展を推進する活動も行っているそうです。
講演では、2人が同じ陸上選手同士ということもあり、2人のパートナーシップがどのように互いを支え合ってきたかについて多く語られていました。お互いに良いときも悪いときもあることを理解し合い、その時々のありのままをエンパシーをもって受け止め、支え合う存在が近くにいることは、大きな精神的支柱となってきたと言います。また、デイビス=ウッドホール氏は、自分の経験を現代の若者に共有することで、「自分自身が若かった頃にそばにいてほしかった人物に、今自分がなろうとしている」とも語りました。
基調講演3:「自分だからこそ」の可能性を追求する

(参照)https://www.linkedin.com/company/shrm/posts/
最後の基調講演を担当したのは、ナイル・ディマルコ(Nyle DiMarco)氏です。彼は何世代にもわたるろう者の家系に生まれ、彼自身にも聴覚障害があります。また、彼は世界中のろう者の生活向上を目指す「ナイル・ディマルコ財団」の創設者でもありますが、何よりも米国内の人気番組『ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ』の優勝者として有名な方です。
講演は、「『聞こえたらよかったと思うか?』という質問をされることがよくある」という彼の告白から始まりました。「ろうであることは、自分自身のアイデンティティである」と彼は言います。彼は手話で語り、会場にはその通訳音声が流れました。
ろう学校に通っていた頃、彼は話す練習をする授業が大嫌いだったそうです。同世代の子どもたちは数学などの意味のあることを学んでいるのに、自分は「P」を発音するために、ティッシュに息を吹きかける練習をするなんて、罰を受けているような感覚に陥ったと言います。彼にとって話せるようになるということは、「自分以外の誰かになる」ということと同義だったのかもしれません。そして、ろうであるということが自分自身の可能性を開いてくれると、彼は考えていました。例えば世界中を旅していたとき、耳が聞こえる人が言葉の壁に苦労する傍らで、彼は言語に頼らないコミュニケーションができ、2人の健聴者の通訳をしたこともあったそうです。
しかし旅をする中で、世界中のろう者が自分と同じようなサポートを受けて育ってきたわけではないことも目の当たりにしました。世界中のろう者の2%が母国語の手話を学ぶ機会を得ることができていません。また、ろうの子どもをもつ健聴者である保護者の30%は、自分の子どもに手話を教えないという選択をしていることも知ったそうです。
帰国してからは、モデルとして活動しながら、未経験者がダンスに挑戦するというテレビ番組に出演する機会を得てそこで転機が訪れます。ダンスパートナーは彼がろうであるということを知り、練習をキャンセルしてしまったそうですが、彼は「人の2倍以上練習する」「新しいやり方を一緒に考えてほしい」と、何度もメッセージを送り続けたそうです。公演中に会場で流れた本番のダンス映像は、そんな2人の決意と情熱、クリエイティビティを感じさせ、息をのむほどの素晴らしいパフォーマンスでした。ろうであることはデメリットではなく、ろうであるからこそ生み出すことができた感動が、そこにはありました。
ディマルコ氏の講演は、ありのままの自分でいること、自分だからこその可能性を見つけられることの素晴らしさを教えてくれるような内容でした。彼は、何かを成し遂げるためには、目標へのコミットメントと自分を信じる力だけでなく、コミュニティの支えが必要であると語ります。そして、そのようなコミュニティをつくるために、後も社会の文脈を変えるための活動をしていくという決意を述べ、講演を締めくくりました。
議論の土台となるトレンド:印象に残ったキーワード
続いて、数多くのセッションの中から、特に印象に残ったキーワードごとに、セッションの内容や扱われていたテーマについて触れていきたいと思います。
シヴィリティ(礼儀正しさ):インクルージョンの基礎を築く
Civilityを日本語に訳すのは難しいですが、「礼儀正しさ」や「思いやり」「(人としての)マナー」といった訳があてられることが多いようです。本カンファレンスでは、このシヴィリティを扱ったセッションが多くありました
【関連するセッションのタイトル】
- Civility and Belonging: The Healing of our Workplaces
- Ten Things Inclusive Leaders Must Navigate Before 2030
- The Provocative Role of Political Speech in an Inclusive Workplace
- Diverse Harmony – Building Bridges Across Differences
- Mastering Civility
シヴィリティは、SHRMが現在重視して取り組んでいるテーマでもあります(*5)。SHRMでは、シヴィリティとインクルージョン&ダイバーシティを統合して考え、職場の多様性を尊重しつつ、すべての従業員が平等に扱われる環境をつく出すことを推進しているようです。この取り組みでは、異なる背景や価値観をもつ人々が、互いに敬意を払いながら協力し合うことが強調されています。
SHRM I&D委員会のメンバーが登壇したセッション「Civility and Belonging: The Healing of our Workplaces」では、主に最新の研究データであるCivility Index(*6)について発表がありました。
まず、シヴィリティとは何かについて以下のように定義されていました。
(原文)Civility is more than making others feel comfortable; it’s about creating a dynamic, diverse, and productive workplace where everyone can thrive. Practicing civil behavior establishes a safe and empathetic environment where individuals can contribute their best ideas, knowing they will be heard and valued.
(筆者訳)シヴィリティとは、他の人を快適に感じさせること以上のものです。それは、誰もが成長できる、ダイナミックで多様性に富み、生産的な職場をつくり上げることです。礼儀正しい行動を実践することは、安全で共感的な環境を確立し、個々人が自分の最良のアイデアを提供できることを意味します。その際、一人ひとりの意見が大切にされることが保証されます。
SHRMが実施したサーベイによると、米国の労働者全体では1秒間に2000もの「無礼な」態度(Incivility)にさらされており、これを1日で計算すると、2億2万回にも及ぶことになるそうです。また、「職場がCivilでない」と回答した人は、「職場がCivilである」と回答した人に比べて、仕事に不満を感じる可能性が3倍高く、また1年以内に仕事を辞める可能性が2倍高いということがわかっているそうですこうした生産性の低下やエンゲージメントの低さによって、20億円の損失が出ているとされています。
また、このセッションでは、シヴィリティが組織内におけるビロンギング(所属)を高めるために不可欠であるとも指摘しています。シヴィリティが相手への信頼や尊重を表していること、そして、ビロンギングとは組織の「内側の人(Insider)」であると自身が感じられること、この2つのコンセプトのつながりや関連についても明らかにしているところが興味深いです。「率直で、礼儀正しい会話こそが共通理解を育み、分断を埋めてくれると考えています。そして、その結果として、より強い職場がつくられ、より良い社会へとつながっていくと信じています」という言葉がありました。
最後には、職場でシヴィリティを育んでいくために必要な5つの柱が紹介されました。
- 誠意と誠実さのカルチャー(Clture of Honesty and Integrity)
- ユニークな視点(Unique perspectives)
- 他者との建設的なダイアログ(Productive dialogue with others)
- インクルージョンを促進する戦略(Strategies to lead more inclusively)
- シヴィリティを体現する(Model civility)
- ピープル・マネジャーへの投資(Invest in people managers)
これらの柱から築かれる職場のカルチャーが、無礼が無礼を生むような悪循環を、シヴィリティによって好循環に変えていくことになるだろうと話されていました。
I&Dをテーマに扱うコンサルタントデルフィア・L. ハウズ(Delphia L. Howze)氏の「Mastering Civility」のセッションでも、無礼さ(Incivility)の代償として、創造性の欠如や離職率、会社としての評判の低下、関係修復のための時間などを挙げています。ハウズ氏も、このシヴィリティがインクルージョンの基盤になると考えており、インクルージョンを実現するためには、3つの要素-自分の行動に責任をもつこと(Responsibility for your actions)、自分自身を尊重すること(Respect for yourself)、他者を尊重すること(Respect for others)-が満たされる必要があると述べています。また、そのための実践として、日常の会話に以下のような問いを持ち込んでみるとよいそうです。
- (私がしたことの)どんなことが気に障ったでしょうか
- この問題を解決するにあたって、あなたにとって最も大事なことは何でしょうか
- 最初からやり直して、違う方法を試してみてもよいでしょうか
- 起きたことを許して、問題を完全に水に流すことができるためには、どんなことが必要ですか
職場で無礼な出来事に遭遇したり、自らが当事者となってしまったときには、こうした問いをきっかけとして、相手と共に立ち止まり、関係性の「温度」を変えていくことができるだろうと話されていました。
思考の多様性:より広義の多様性へ
本カンファレンスでは、人種や性別、または身体的な障害といった人口統計的な多様性を超えて、Cognitive Diversity(認知的多様性)やThought Diversity(思考の多様性)といったより広い意味での多様性への注目が見受けられました。関連して、Neuro Diversity(神経多様性)のような、表層的には捉えがたい脳神経レベルでの特性に言及するセッションもありました。
【関連するセッションのタイトル】
- Inspiring Cognitive Diversity To Celebrate Unique Personalities
- Cognitive Diversity: Understanding Different Thinking Styles
- Thinking Outside the Box: Developing Inclusive Job Qualifications
- Thought Diversity: Coming to An Organization Near You!
- Beyond the Surface: Cultivating True Inclusion in the Workplace
「Beyond the Surface: Cultivating True Inclusion in the Workplace」のトリシャ・ズリック(Trisha Zulic)氏によると、多様性は3つの種類に分類されると言います。
- 受け継がれた多様性(Legacy Diversity):人種やエスニシティ、年齢、ジェンダー、能力やセクシュアリティ等の身体的な属性を表す
- 経験の多様性(Experiential Diversity):身体的・社会的なアイデンティティや、それらが一人ひとりのライフストーリーや経験に及ぼす影響のこと(例えば、世代間の違いなど)
- 思考の多様性(Thought Diversity):神経系の成り立ちやこれまでの経験が、我々の課題解決能力に与える影響のこと。例えば、生物学的な脳のつくりがそうさせている場合もあれば、関連がないように見えるものに繋がりを見出だすことで気づきが生まれる場合もある。
思考多様性の中でも脳の神経系の特性に焦点を当てているのが、神経多様性(Neuro Diversity)です。ズリック氏によると、神経多様性とは、神経の発達と機能における変異は自然なものであり、人間の多様性の一形態として尊重されるべきだという概念を指します。これには、情報の処理方法や他者との交流、世界との関わり方に影響を与えるさまざまな神経的状態が含まれます。例えば、ASD(自閉スペクトラム症)やADHD、ディスレクシアに代表されるような特性のことです。CDC(米国疾病予防管理センター)によれば、米国内の子どもの約36人に1人がASDと診断されるとしていますが、80%以上の自閉スペクトラム症をもつ成人が未診断であるという調査もあります。こうした大人たちと、私たちはすでに一緒に働いているのだということも語られていました。
また、思考多様性には、認知多様性(Cognitive Diversity)と呼ばれるものもあります。認知多様性とは、職場において個々人がどのように考え、情報を処理し、問題解決に取り組むかの違いのことで、意思決定の質の向上、コラボレーションの促進、バイアスの軽減等の効果があると言われています。
ズリック氏は、神経多様性や認知多様性を高めるためには、お互いの強みと課題を理解すること、個々人の特性に応じたツールの提供や調整を行うこと、意思決定に多様性を持ち込むこと、そして、相手を理解したり共感するカルチャーを育むことがポイントとなり、これらが結果的に思考の多様性を育んでいくことにつながると話していました。
「Thought Diversity: Coming to an Organization Near You!」のセッションをリードしたジェレミー・ヨーク(Jeremy York)氏は、思考多様性はこれまでの多様性の議論に新しい風をもたらしていると話します。従来は、表層的で人口統計的な多様性を重視していたため、人々の思考や働き方を考慮することがありませんでしたが、現在ではより広義の多様性として、人々の思考や行動に影響を与える要素に注目が集まっていると言います。
人がもつアイデンティティのさまざまな側面が、その人の思考や視点に影響を与えているため、思考多様性を高めるということは、それぞれのアイデンティティや経験を混ぜ合わせることであり、それがイノベーションを促進することになるといいます。アイデンティティや経験を混ぜ合わせることの一例として、ヨーク氏はカルチャー・フィット(Culture Fit)とカルチャー・アッド(Culture Add)の違いを挙げています。カルチャー・フィットは組織の既存の文化、価値観、働き方にうまく適合する人材を見つけることに重点を置く従来的なアプローチである一方、カルチャー・アッドは新しいメンバーが独自の視点や経験を生かし、アイデアをもたらすことで、既存の組織文化を強化し、多様化することに焦点を当てた、より進歩的なアプローチだと話しています。
思考多様性への障壁を超えるヒントとしては、以下のことが挙げられていました。
- アンコンシャス・バイアスを避けるために
個人が内省の機会をもつこと、採用や昇進プロセスでインクルーシブな視点をもつこと、オープンな対話のカルチャーを育むこと - 心理的安全性を高めるために
リーダーが好奇心や傾聴を体現すること、多様な意見を歓迎すること - アクティブ・リスニングや互いを尊重し合うディベートを促すために
ルールを決めたり、ファシリテーションの工夫を取り入れること
アクセシビリティ:まだ所属していない人々の存在
アクセシビリティを明確にテーマにおいたセッションは多くありませんでしたが、関連するテーマであったり、その多様さが印象的だったキーワードです。
【関連するセッションのタイトル】
- Hiring for Diversity – the Disability Edition
- Building an inclusive workplace for Deaf and Hard of Hearing employees
- Check Yourself: Are you using Parental Leave (and Return!) to address unconscious bias?
- Accessibility is not an Add on Option
「Accessibility is not an Add on Option」では、筆者がこれまでもっていた「アクセシビリティ=主に身体的な障害者が対象」というイメージを覆してくれるものでした。ここでは、「隠れた働き手(Hidden Worker)」と呼ばれる人々に焦点が当てられていました。隠れた働き手とは、雇用市場で見過ごされがちな、または適切な職を得る機会が限られている人々のことを指し、育児・介護など家庭内での責任を担う人、元受刑者、障害者、高齢労働者、外国人、精神的な課題を抱える人などが含まれます。こうした人々は働く意欲があるにもかかわらず、さまざまな障壁によって職を得ることができない、または働き続けることができない状態に陥ってしまうそうです。その一例として、米国では250万人にのぼる女性が家庭での責任を果たすために離職したというデータが紹介されました。
スピーカーのシャイナ・ロビンソン(Shayna Robionson)氏によると、この隠れた働き手のアクセシビリティを高めるためには、4つの要素に着目すべきだと言います。
- 身体的(Physical Accessibility):
具体的なニーズに耳を傾け、個人と企業の両方にとって効果的な計画を共に策定すること - テクノロジー(Technology Accessibility):
ZoomやMS Wordなどのテクノロジーのアクセシビリティ機能を理解すること - 態度や姿勢(Attitudial Accessibility):
リーダー、従業員、マネジャーが自発的に助け合いたいと思うような支援の文化を築く。障害のある人々や彼らができる仕事についての誤解を解消し、学び合う環境をつくること - スケジュール(Scheduling Accessibility):
パートタイム勤務、派遣労働、職務切り出し(ジョブカービング)、ジョブシェアリングを検討する。従業員が業務外の予定を立てやすいよう、合理的な時間帯でスケジュールを作成する。専門用語を減らし、スケジュールをわかりやすく表示する。
その他、カンファレンスでは、特定のカテゴリーに属する人々を取り上げたセッションもありましたが、そうした人々のアクセシビリティを高めることで、インクルージョンを実現するといった視点でこれらのトピックを見つめ直すと、新しい気づきがあるように感じました。
Indeed社のドナ・バンガード(Donna Bungard)氏は障害者、Convo社のF. ジョゼフ・ツァイ(F. Joseph Tsai)氏は聴覚障害者、育児休暇リーダーシップセンターのメーガン・テーラー(Megan Taylor)氏は子育て中の養育者に焦点を当て、それぞれのカテゴリーに対するアクセシビリティをテーマに講演を行いました。共通していることは、アクセシビリティを高めるためには、ルールや施策をつくることやツールを使いこなすことも必要ではあるものの、インクルーシブなカルチャーを築くことが中心にあるべきということです。カテゴライズされた「障害者」や「マイノリティ」に対して一律の支援(アクセシビリティ)を行うことと同時に、個々人との信頼関係をベースに、本人が感じている課題や困り事に向き合っていくこと(アコモデーション/Accommodation)も大切であり、特にアコモデーションに関しては、日々の職場の中でのカルチャーに大きく影響されると語られていました。
まとめ
DEIの文脈では、これまでもダイバーシティだけでは不十分であり、インクルージョンが重要であるといった議論は多く行われてきたと思いますが、先のSHRMの方針転換を踏まえて、カンファレンス全体の文脈として、よりインクルージョンへのフォーカスが強まっていたように感じました。インクルージョンを実現する要素として、ダイバーシティやアクセシビリティといった観点に加えて、マイクロアグレッション(無自覚の攻撃)やシヴィリティといった職場での日常的なやりとりや、そこに流れる文脈・カルチャーがインクルーシブな組織をつくっていくということが強調されていたように思います。インクルージョンを実現するためには、数値目標や研修以上に、一人ひとりの日々の職場での経験がどう変わっていくかが重要だと感じました。
また、ダイバーシティに関する議論にも変化を感じました。人種や性別といった従来の人口統計的な多様性を超えて、より広い視点で多様性を捉える必要性が示唆されていました。思考多様性、認知多様性といったキーワードと共に、今後は、礼儀正しさ以上に、その多様性を生かしてどのようにパフォーマンスを高めていくことができるのかといった、コラボレーションの観点での議論を活発化していけるとよいのかもしれません。
そして、エクイティ(公正性)に言及するセッションはほぼなかったということも、言及しておくべきことだと思います。先の方針転換を踏まえると自然な流れではありますが、私たちは今後、エクイティに対してどのように向き合っていけばよいのかは、改めて考えさせられます。SHRMのテイラー・Jr. CEOは、エクイティを完全に排除するというわけではなく、「エクイティを独立した要素として扱うのではなく、インクルージョンを重視することで、エクイティも実現できる」としています。
そうであれば、これからのインクルージョンというのは、今組織に所属している人が包摂されることと同時に、隠れた働き手(Hidden Worker)のような、今は何らかの理由でまだ組織に所属できていない人々をも対象とした議論に広げていく必要もあるのかもしれません。ハワード提督のキャリアが社会の変化とともにあったように、私たちがいま、そして今後も対峙すべき社会の構造や慣習がある(かもしれない)という事実にどう向き合っていくかは、それぞれの組織に委ねられています。だからこそ、施策や外的な目標ありきではなく、組織の社会的ミッションや置かれている状況に応じて、I&Dに取り組む意味やスコープなど、組織全体での戦略的対話や文脈形成が重要になってくるのではないかと思いました。その上で、一般的なI&D施策にとどまらない本質的な実践が、インクルーシブな組織、ひいては社会をつくっていくことにつながっていくのではないでしょうか。
*3
Johnny C. Taylor of SHRM: Navigating Leadership and Inclusion
*4
https://www.shrm.org/ceo-action
*5
https://www.shrm.org/topics-tools/topics/civility