学習という側面から見た企業DNA
「Works」リクルートワークス研究所 No.72 2005年10-11月
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DNAとは未来への反応様式
最近、企業DNAという言葉が使われるようになってきた。こういった新しい言葉が登場する背景には、その言葉によって表現したい新しい意味があるからだろう。DNAが使われるのは「企業DNAの伝承」「ものづくりのDNA」「技術のDNAの伝承」といった場面が多い。では、こういった場面でなぜ、DNAを使う必要があるのだろうか。
「文化=価値観や世界観などを含む幅広い行動様式」とすると、企業文化とは、その企業の行動様式のことである。しかし、企業文化とは、過去から現在まで続いてきたもので、未来の姿を説明するものでも保障するものでもない。それは現在という断面で企業を捉える考え方である。
企業にとっての重要なテーマは、過去がどうだったかではなく、企業が健康に成長し、維持し続ける反応様式をもっているかということである。われわれは、 DNAという言葉に、「未来の外界の変化や刺激に対する反応様式」を見ようとしているのではないだろうか。
“学習する組織”とDNAの関係
また生物学や医学に疎いわれわれが、DNAという言葉を使うときには、DNAを他者と差異化する特徴として捉えている。企業の従業員に伝承したい価値や態度、行動のあり方などで、他の企業にはない、組織そのものがもっている固有の力をDNAという言葉で表現しているのだろう。その力は過去の歴史や経験に学ぶことや単に技術を伝承する力ではなく、これから起きる未来に対して学ぶ力なのである。これは組織の将来に対する学習性と同じ意味といえる。
環境変化や危機に直面したとき、人と人との相互作用によって新しいものを生み出す反応様式をもった組織を「学習する組織」と呼ぶ。こういった反応様式は、永年の学習によって組織の内部で獲得されてきたものである。
そして今、企業固有の反応様式を維持するとともに、それを獲得することが強く求められている。最近、企業の人事部長の方々から「従業員の知識やスキルを高めてもそれが組織の力にならないことが課題だ。現場力が不足している」という言葉をよく聞く。
これは知識と実践が異なるように、従業員に知識を付与しても実際の場面で行動として表れてこないということだ。従業員ひとりひとりの保有する力が組織の反応様式として発揮されないということでもある。
では、この反応様式はどういったプロセスで獲得されてきたのだろうか。人と人との間には必ず相互作用がある。それを繰り返すうちに、互いの反応のあり方に徐々にパターンが現われ、一定のパターンが形成される。そうやって反応様式が企業の中に定着していく。それはミッションや行動規範といったように明文化されていなくても、さまざまな出来事の背景に形成されていくコンテクスト(文脈)のように、企業の従業員に浸透していき、企業の動きを他社と異なる独特のものにしていく原動力になるのではないか。従業員は戦略や方針・目標によって方向づけられて動くと同時に、その背景にあるコンテクストに沿って行動する。それは表と裏、陰と陽といったように、二重らせんを描いているはずだ。
最近のように環境変化や知識技術の更新スピードが速くなると、年初に設定した目標だけでは、従業員の具体的な行動のあり方を明確にすることはできない。そこで、新たな変化に対応した自律的な取り組みが実行段階で従業員に望まれるのである。その際の指針となる判断材料こそ、コンテクストではないだろうか。
コンテクストを理解することは、川の流れをつかむことと似ている。そして、ひとつひとつの出来事は、川の流れに浮かぶウキにたとえられる。ウキの形状や色を問題にしても意味がない。流れの方向性やスピードをつかむことが重要なのである。最近の企業は、このコンテクストを従業員に学習してもらうことを意図している一方で、新たなコンテクストの形成を課題にしているところが多い。
ここでいうコンテクストとDNA、そして反応様式は同じような意味合いをもつ。企業の人材開発の今の重要テーマは、こういった新しいDNAを生み出すことである。
新しいDNAの創造は自社・自己の内観から
新しいDNAを生み出すには、意図的に新しい相互作用を起こさせなければならない。異質な文化や多様な価値観をもった人々が相互作用を起こすような場を設定する必要がある。そこで起きたパターンの何を取り上げるかを明確にすることで、従業員に方向性を与える。そのパターンが企業にとって望ましいパターンであることを彼らに理解させるのである。
そのために、「それこそすばらしい」と誰もが納得する物語を伝えるストーリーテリングや、望ましい行動をとった人をヒーローとして公に賞賛することが必要である。しかし、多くの企業は異質な文化や多様な価値観を取り入れることを推奨しつつ、実際には新しく発生したパターンを承認せず、押し潰してしまう。新しい反応パターンを獲得するには、安定を崩す必要があるが、それに耐えられないのだ。握った物を放さないと新しい物をつかむことはできないのだが、なかなかそれができない。
「その生成パターンのどれを生かし、どれを削除するか」こそが、企業の組織学習のプロセスである。ある出来事や物事に対して、どのように反応するかというパターンが定着し始め、そのコンテクストとしてのメタ反応様式が獲得されてくる。それこそが「企業のDNA」といえるのではないだろうか。
こういった企業のDNAを変えていくには、まず自分たちのDNAが何かを認知しなければならない。ミッションや理念は外的なもので従業員に見やすいものだ。それに対して、企業DNAといった環境変化に対応する反応様式は内的なもので、表面には見えないものであり、認知は難しい。
企業DNAは、従業員にとっては望ましい反応様式として定着しており、彼らにとっては行動を起こさせる動機づけ要因として機能する。しかし、何が自分の組織にとって大切なDNAなのかを認識していないと、外的な要因によってDNAが破壊されることがある。
例えば、企業が上場した途端、株主からの圧力によって、本来のDNAが変化してしまうこともある。自分たちが大事にしていた他社にない尺度である「こだわり」や「徹底した顧客満足」などに代わり、株価や利益額・売上額の成長率などを高める圧力を受ける。そうすると従来とは異なる尺度にとらわれてしまい、経営者の反応様式が変わってしまうのだ。本来の企業固有のDNAが破壊され、逆に成長力を失ってしまうのである。
企業のDNAを認知するには、自分たちを深く内観すること(探求すること、止観すること)が必要ではないだろうか。自分たちの過去の出来事に対してどのような行動をとってきたのかの歴史を振り返り、過去のすばらしい経験を確認するのである。
大切なのは、事実の確認ではなく、それを従業員がどのように認知していたかを共有することである。そのとき、何を思い、どんな行動をとったか、それが自分たちにどんな影響を与えたか、さらに、今自分たちはどんな行動をとりたいと願うか、を共有するのである。これで、企業で伝承していきたいDNAが自然に浮かび上がり、従業員にそれを認知させることにつながる。
DNAを体得させる方法ぶつけて、引き出す
企業DNAは集合研修などの座学で身につけるのではなく、体験させてつかむものだ。企業DNAは文章によって概念的に理解しても、重要な反応様式は獲得できない。そもそもコンテクストとして存在しているので、ラベリングがされていない。
企業DNAは立体的、感覚的、多次元的であるから、文法化、構造化して伝えることができない。それは埋め込むものだ。幾多の危機を乗り越え継続的に成長している企業は、従業員にDNAを埋め込む力をもっている。企業DNAを物語によって伝えたり、人と人との相互作用の中で体験的に獲得させる方法を自然に体得している。企業の構成員を育成する過程で、何度か、強いDNAを意図的にぶつけているのである。強いDNAは、相手の中に内在するものを引き出す。まだ使われていないDNAにスイッチを入れるのである。
例えば、強いコンテクストに遭遇したとき、個人に内在するコンテクストが引き出される経験を誰もが味わったことがあるだろう。名作といわれる芸術作品は強烈なコンテクストを発信している。そういった小説や映画、写真や絵画から強いインパクトを受けると、人は自分のことと照らし合わせて、自分の体験の中から似たパターンを思い出す。それは自分の内にある何かを呼び覚ますとともに、自分の内面を再構成させる。人の内面の構造が変わったとき、人格も変容し、それとともに行動が変わる。それと似たことが企業DNAでも起きるのである。
企業DNAが獲得されたとき、その人はその反応様式が他の人のやり方だとは思っていない。それは自分のやり方であるし、所属する企業のやり方だと思っている。つまりエゴが企業という全体に溶け込んでいるのである。あたかも企業と人との間で二重らせんが描かれ、両者の関係性の中で企業DNAが存在しているようなものだ。個人単独では、企業DNAは存在することができない。
HRDの役割とその5段階DNAを強化するために
一方で、新しいDNAを潰すのは何だろうか。企業DNAは企業らしさそのものであるが、企業活動の結果として生み出された形にこだわるのは危険である。終わったものをDNAだと思い込むと、本来は変化していくあり方に重きを置くDNAを傷つけることになる。企業の中で、次世代リーダーと目されていた人が去っていくのは、その企業のDNAが破壊され始めている兆候といえるのではないだろうか。企業DNAを自分の生き様として捉えている人々が去ってしまうのは大きな損失である。引き止めるために、どんなにすばらしい処遇を与えても、それは彼らにとっては動機づけにはならない。企業DNAは、個人の中にある欲求充足よりも、個人のエゴを超えた、より高い共通目的や社会や組織のありたい姿への貢献といった大きな充足体験によって、強化されていくものだからだ。
今後、企業はこういった人々と強いエンゲージメントを維持していく必要がある。それには企業の中に企業DNAの維持と変革に意識的に取り組む人たちがいなくてはならないだろう。
そういう意味で、HRD(Human Resouce Developmnet)の役割は進化せざるを得ない。HRDの1段階目は、従来からあるように、企業の構成員に必要な一般的な知識やスキル開発のメニューを用意するものである。2段階目は、従業員に必要なコンピテンシーを明確にし、スキルギャップを解消するためのメニューを用意している。3段階目は、組織ごとの固有の課題解決(パフォーマンス改善)に向けての研修を提供している。そして4段階目は、企業の戦略の実現に向けてさまざまな教育機会や場を提供しており、組織間の横串を通している。ここ数年の流行であるコーポレート・ユニバーシティやクロスファンクショナル・チームなども、この段階のものが多い。最後の5段階目は企業のミッションやビジョン、戦略の形成に影響を与えている。
この5段階目では、オープンスペーステクノロジー(OST:Open Space Technology)やアプリシエィティブ・インクウァイアリー(AI:Appreciative Inquiry)などの手法が使われ、全社員ミーティングなどが行われている。
OST はハリソン・オーエン氏によって1985年に提唱された「コーヒーブレイク」のよさをミーティングに生かす試みである。参加したい人を招待し、皆で輪になって取り組みたい議題を提示する。マーケットプレイスといわれる掲示板を使った個別セッションの形成、自由に移動しながら参加できるセッションの実施、壁新聞を使った内容の共有、議事録を活用したテーマの収束、アクションプランづくりなどのプロセスが効果的にデザインされている。
AIはデービット・クーパーライダー教授やダイアナ・ホイットニー氏らによって、1987年に提唱された概念である。日本語では肯定分析計画法と訳されているが、私どもでは「真価を認め、拡大させる問いかけ」と訳している。これは危機への対応に迫られて、欠落や欠陥を修復するための変革ではなく、実現すべき未来に向かって、強みを基盤として、主体的に取り組む変革を指す。このプロセスは、AIサミットとして、多様なステークホルダー全員が一堂に会するミーティングで高い成果を上げている。HRDの役割は、こういった手法を活用して、参加者が当事者意識をもち、組織全体の新たな方向性を産出するようなファシリテーションを行うことである。
企業のHRDが何段階目にあるかによって、その企業の成長性が測られるだろう。どの段階にいるかは、コーチングやアクションラーニングといった手法やコンテンツでは決まらない。どのような意味とプロセスで実施しているか、が肝心なのである。なかでも、5 段階目のHRDは、コンテンツ提供よりも、将来に向けた動態的プロセスの設計を行うことで、新しい企業DNAの形成を図っているともいえる。
組織の感受性を高め、未来に変化を起こすタネを創っていく、そのタネこそが企業DNAではないだろうか。