アジアのHRD事情~The Asia HRD Congress 2009のコンファレンス・レポート~
関連するキーワード
2009年5月11~13日の3日間、マレーシアのクアラルンプールにて「The Asia HRD Congress 2009」が開催された。
このコンファレンスは、マレーシアやシンガポールといったアジアの国々を中心にした人材開発担当者が集まり、ナレッジを共有する場として、02年から開催されている。ヒューマンバリューでは、最近、欧米だけではなくアジアの人材・組織開発の研究者・実践家とも積極的にネットワークを築くことの重要性を考えている。ここ数年のグローバル化でアジアでは人材・組織開発についても非常に先進的な取り組みがなされている。
多様な人々が学びあい、ネットワークを築く
このコンファレンスの背景を簡単に紹介すると、もともとは1970年代にアジアで働く研修トレーナーたちが、情報交換の場としてTrainers Meet Trainers(TMT)というイベントを開催していた。
その後02年に、名称が「The Asia HRD Congress」に変わり、テーマも研修だけではなく人材開発全般に広がった。今では、アジアにおける人材開発の専門家・実践家が数多く集まるコンファレンスへと成長を遂げている。開催場所は、主にマレーシアであるが、06年と08年はインドネシアで開催されるなど、その拠点も広がりを見せている。
ジャカルタで行われた1年前は、1,000人くらいの参加者であったが、今年はリーマンショック以降の世界的な景気の低迷と新型インフルエンザが影響して、450人と半減していた。ただし、規模自体は小さくとも、参加者や主催者の熱気が感じられた。
コンファレンスの主催企業であるSMR GroupのCEOであり、このコンファレンスの創設者の1人である.パラン博士が、オープニングの挨拶で、「この場は利益のために運営しているのではない。人々がネットワークを築き、違いを生み出すことを目指したパッションに基づいて行っているのだ」と語りかけ、一体となってアジアの人材開発を盛り上げていこうと提唱したことが印象的であった。
参加者の国籍はマレーシア、シンガポール、ブルネイ、インドネシアといった東南アジアの人々が大半であったが、そのほかにも、UAEやバーレーンといった中東系、オーストラリアやニュージーランドといったオセアニアの人々も多数参加していた。また、米国、カナダ、オランダなど欧米の人々も積極的に参加し、セッションを開催していたのも特徴的であった。
今回は20カ国から参加者があったが、日本、韓国、中国からの参加者はほとんどいなかった(日本は今年初めて3人が参加)。東南・東アジア、および中東の国々がひとつの人材開発のコミュニティを形成し、そこに欧米やオセアニアの人々がネットワークとして入り込んでいるような関係性があるように感じられた。
例えば、基調講演を務めたジェームス・カークパトリック氏(研修の効果測定の権威であるドナルド・カークパトリック氏の息子)は、先述したSMRグループUSAのバイス・プレジデントを現在務めており、彼が別の基調講演者としてグーグル社People Analytics部門のエリカ・フォックス氏を米国から招くなど、さまざまな交流が起きていた。使われている言語も当然ながら英語であり、マレーシアはマレー系、インド系、中華系など多様な民族が共存している背景があることからも、コンファレンスの雰囲気は、日本で行われるものよりも、米国に近いものがあるように感じられた。
タレントの開発へのフォーカス
このコンファレンスでは、毎年テーマが定められているが、今年は「Changing Human Capital Landscapes – Technology, Strategy, Culture(変わるヒューマンキャピタルの景色 -テクノロジー、戦略、文化)」であった。この背景には、世界的にチャレンジングな経済状況が続く中、人材開発を取り巻く環境は大きく変わり、新しいテクノロジーの活用、タレントを育てる新たな戦略、人々を活気づける職場の文化の構築などを通して、ヒューマンキャピタルの専門家たちは新たな価値を生み出す必要があるといったメッセージがあった。
そして、コンファレンスの中で特に大きなテーマとして挙げられていたのが、優れたタレントをいかに育て、開発していくかといったことであった。
まずオープニングでは、マレーシア高等教育省の大臣のスピーチが代理の方から読み上げられ、IT企業と地元の大学がインターンシップやスタディプログラムなどで連携し、国民全体のエンプロイアビリティとタレントを開発していくことなどが訴えられていた。このコンファレンスでは、毎年教育省の大臣などが参加している。また大学からも参加者が多く、産官学で協働して国の人材開発に取り組んでいこうとしている姿勢が伺えた。
タレントマネジメントの領域では、先述したグーグル社のエリカ・フォックス氏が自社の取り組みをオープンに紹介し、大きな注目を集めていた。フォックス氏がマネジャーを務める「People Analytics」は、データを活用して組織のイノベーションやパフォーマンスの向上に貢献する部署であり、「グーグルにおける人材に関する決断をすべてデータに基づいて行う」ことをミッションとしている。そのミッションにあるように、採用・育成・リテンションなどのあらゆるプロセスにおいてデータを徹底的に活用し、決断やアクションに結び付けている。
例えば、新入社員にメンターがつき、3週間隣に座っていることがどれくらいパフォーマンスに影響を与えるのかといったことを分析したり、グーグル社を退社する人の特性を解析することで、今後辞めるリスクの高い社員を特定し、事前にフォローを入れたり、Googlegeistという組織調査から、社員の学習と成長を促進する要因を特定し、それに対するマネジメントのアクションを導き出すなど、ありとあらゆることにデータを活用している様子が紹介された。特に、こうした分析的アプローチも、押し付けでやるのではなく、社員を楽しく巻き込みながら、よりパフォーマンスを上げるための実験をしていこうという姿勢で展開しているところが、グーグルらしく、興味深かった。
また、マレーシアの企業の先進的な取り組みも数多く紹介されていた。中でも、マレーシアのエンジニアリング企業であるUEM社が発表していたリーダーシップ開発の取り組みが大きな成果を上げているようであった。Emerging Leadership Programと呼ばれるこの取り組みでは、選抜された社員が、18ヶ月さまざまな仕事の機会に出会いながら、アクション・ラーニング形式で学び、リーダーシップを獲得していくものである。最終的に、60以上のプロジェクトがそこから生まれるなど具体的な成果も上げている。
取り組みの様子をビデオや写真で見せてもらったのだが、参加者全員が本当に活き活きと、お互い学び合いながら取り組んでいる様子が伺え、素晴らしいプログラムのようであった。こうした動きを見ても、マレーシアやアジアの人材開発のレベルがかなり高いものであることが推察された。
コンファレンスを盛り上げた2社のストーリー
また、今年のコンファレンスで特に興味深かったのが、シンガポール航空とエア・アジアという、まったく戦略も文化も異なる2つの航空会社が、連続して講演を行ったことだ。
シンガポール航空は、高品質なサービスと顧客満足で知られる存在である。スピーカーは、立ち上げの時期から同社でサービス革新に取り組んできた元バイス・プレジデントであるシム・ケイ・ウィー氏であった。国土が狭く、航空会社の国内需要のないシンガポールという国に拠点をもつ同社が、自分たちの存在意義を問うところから講演はスタートし、「シンガポール・ガールズ」と呼ばれるフライト・アテンダントに対する徹底的な教育、高品質なサービスを支える制度や仕組みを構築していくことの重要性が同社の成長の歴史とともに具体的に語られた。
一方、エア・アジアはさまざまな面でシンガポール航空とは対象的であった。同社は、格安運賃で航空業界にイノベーションを引き起こした会社であり、03年の黒字化以降、急速に成長している。価格のみならず、既存の広告媒体を使わずに新しいメディアを使ったキャンペーンで大きな成果を上げたり、音楽会社と提携したりと数々のイノベーションにチャレンジしている。CEOである元マッキンゼーのアズラン・オスマン・ラニ氏が自社のストーリーを語ったが、それらのイノベーションの背景には、パッションに基づいた組織のあり方があるとのことであった。
エア・アジアで働く人々は、「他の人々が信じられない、不可能だと思えることを自分たちはできる」という大きな情熱と信念をもっている。そして、全員が個性や創造性を発揮して仕事に参加することができ、クルーやエンジニア、内勤スタッフといった壁を完全になくし、一丸となって問題解決に取り組むなど、非常にオープンでハイ・エンゲージメントな組織の様子がありありと語られた。
こうした対象的な2社が並んで講演する様子は大変刺激的であり、組織開発のあり方について多くを学ぶことができたと思う。
ここまでコンファレンスの概要を報告してきたが、そのほかにもたくさんの学びのある3日間であった。
アジアの人材・組織開発のレベルは、相当高いものがあり、同時にエア・アジアに代表されるような新しい動きも起き始めている。また、同じアジア人ということで、私がコンファレンスに参加した際にも、歓迎を受け、快くもてなしていただいた。今後もアジアの人々とインフォーマルなネットワークを築くことで、アジアが大きなコミュニティになっていくことに貢献していきたいと思う。
「企業と人材(産労総合研究所)」2009年7月5日号掲載