合理性一辺倒がもたらす焦りが背景に。思いを共有し組織に共創力を培う
「一定期間内に成果を生み出す」ことへの執着と、「自分らしくいるためのふさわしい仕事」への幻想が、若手社員を仕事術へと向かわせている。企業においても、合理性一辺倒に傾いた風土が、社員の学びの機会を奪っている。生き残りのためには、短期的な成果よりも、より本質的な共に創りだす力へと、経営者サイドが視点を移すことが、求められている。
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仕事術に向かう背景に共通する焦燥感
最近、仕事術に関する書籍が、売れているという。とくに、二〇代、三〇代の若手が、こうした書籍を買い、勉強しているのだという。そうした傾向の背景には、「あせり」の感情があるように思う。
では、なぜ若手のビジネスマンたちが焦っているのだろうか。
思うに、彼らは仕事に対する、ある種の「幻想」のようなものを抱いているのではないだろうか。
本来、仕事とは、始めてからそれほど短期間で一定の成果を生み出せるというものではないだろう。働く人の多くは、長い時間をかけ、さまざまなことを学び、徐々に力をつけ、その組織に貢献できるようになっていくものだ。
ところが、最近はそうした過程を経ずに、成果を上げようとする傾向がある。働き出してあまり時間が経っていないにもかかわらず、すぐに成果を上げられるはずという幻想があるのだ。だが、現実はそううまくはいかない。
また、その一方で「自分らしさ」への幻想もある。「自分らしく生きられる、そのための仕事があるはずだ」「自分にふさわしい仕事というものが、どこかにあるはずだ」――こうした思い込みがあるから、そう実感できない現状との間に、違和感をもつ。
こうした幻想と現実とのギャップを埋める一手段として、仕事術を学ぶことに走るのだろう。
パフォーマンス偏重が育て、育つことを阻害する
もちろんこうした短期的なスパンでものごとを考える傾向は、彼ら自身の責によるところばかりではない。
たとえば、現在では誰もが名を知る著名な画家や作曲家であっても、若いころにその業績を認められる人物は数少ない。多くの人は、いわゆる晩成型なのである。
そしてそのことを企業側も理解していた。企業の成長も個人の成長に負うところが大きいものととらえ、企業が時間をかけて人材を養成しようという考えがあったのだ。
ところが、いまは企業内における個人のミッションが、かなり早い段階から明確になっている場合が多い。生き物にたとえれば、呼吸が浅くなっているとでもいうのだろうか。急いでパフォーマンスを上げることが求められる風潮にある。企業側が瞬間風速的な尺度にしたがって、パフォーマンスを求めてしまう。これでは、人は「育つ」ことができない。
石の上にも三年という意識は廃れ、企業も個人もすべてが急いでいる。だから若手社員は追い詰められて鬱病になったり、一年も経たないうちに辞めてしまったりする。いわば合理性一辺倒の風土が組織を、そしてそれを構成する人を変えたのだろう。
思えば、かつての経営者は、教養として論語を学ぶ人が多かったことからもわかるとおり全体観をもっていた。合理性は重視するが、その一方で、自分のなかに大局観をもっていたように思う。
合理性一辺倒ではない、かつての日本の組織には、「間」があった。間とは、広間や居間といった言葉に象徴されるように、パフォーマンス機能が決まっていないものである。仲間というときの「間」も同様である。人と人との間にあるものは目に見えず、パフォーマンス的な機能が明確ではない。人が集まって、それぞれの役割を果たす組織のなかで日本人は間をつくる。そこでみなで「わいわい」やりながら、何かを生み出していくものである。
この「間」に象徴される考え方が、世界標準から見ても、むしろ新しい価値を生み出すもののように感じている。
共に創り出す力が生き残りを可能にする
経営者が確固たる哲学に基づいて大局に立ち、何を実現したいのかを従業員たちに伝えることが何よりも重要だ。目先のミッションではなく、その思いを共有することが重要だ。従業員たちが心と身体でうなづく――つまり、「腹落ち」する状態をいかにつくるかに経営者は力を注ぐべきだろう。
たとえば、今年中に、店舗を一〇〇店開設することを目標にしたとする。こうした数値目標自体を否定するつもりはない。ただ、そこでなぜ一〇〇店舗なのかについての腹落ちが必要だ。そしてその一〇〇店は、どんな店であってほしいのか。その点の理解を得ていなくてはならない。
こうした根幹が明確になっていれば、あとは組織には間があってしかるべきなのである。それによって社員を追い込まない風土が生み出せる。それこそが、現場に眠っている知恵――将来知を呼び起こすことになるように思う。
仕事術を学ぶこと自体は間違いではない。ただ、自分の会社の社員たちが、仕事術ばかりを学んでいるようであれば、それは経営者に対する警告だと感じたほうがよい。仕事術には、個人のスキルを上げる効果はあっても、仕事術によって組織としての共創力が育つという効果はない。
経営サイドが客観的にストックを図れる知識や技術ばかりに目を向けていると、若手社員は仕事術に向かうほかない。より本質的なもの――共に創り出す力に、経営者自体が視点を移さなくては、組織の生き残りは難しい。
『商工にっぽん』(株式会社日本商工振興会)2009年3月号掲載