人材開発部門のラーニングブランドについて考える~働きがいのある魅力的な組織をつくる新たな視点~
今回はラーニングブランドが今後の人材開発・組織開発にとってどのような意味をもち、そしてどのような価値を提供するのか考察してみたい。
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昨年あたりから、ASTD(米国人材開発協会)のカンファレンスや月刊誌にて、「ラーニングブランド」という言葉が登場するようになった。ASTDのCEOであるトニー・ビンガム氏は、組織の魅力度の向上や従業員のリテンションを高めるためには、ラーニングブランドを創り上げることが重要であると折に触れて述べている。また、ASTDのベストアワード企業を選定する評価指標の1つとして、ラーニングブランドの構築が取り上げられている。
ラーニングブランドが求められる背景
今、就職する際の企業を選ぶ時の基準は何であろうか。社会経済生産性本部の「働くことの意識」調査によると、学生が重視する基準の1位は約30年前から不動の「自分の能力や個性を活かせる」である。
一方、2位以下は、大きく変わってきている。1985年に2位だった「企業の将来性を考える」が、05年には4位に後退している。割合でみると、85年には選択理由全体の約20%を占めていたものが、05年には、約8%まで減少している。一方、85年の4位から入れ替わって05年に2位に上昇したものは、「仕事の面白さ」である。全体の約8%(85年)から約20%(05年)へと大きく増加している。
終身雇用という枠組みが崩れ、人材の流動化が進む中、「自分が働く企業」への関心から「自分が働く仕事」への関心へと意識が変化している。また、個人がスキルと能力を獲得し、個人として成果を上げることができることの重要性が社会的にも求められてきたことから、その企業で働くことで、自分たちがどのように成長できるのかに関心をもつ既存従業員や採用希望者は増えているのではないだろうか。
具体的には、自分が所属する、あるいは入社を希望する企業において、どのようなキャリアパスを描くことができ、そして、その過程で自分がパフォーマンスを上げるための支援環境が整っているのかなどへの関心の高まりである。企業側としても、こうした変化に適応していくために、従業員視点での企業経営を志向する動きが活発化している。
人材開発部門のブランディング
ブランドという言葉の由来は、ウィキペディアによると、昔のノルド語の「Brander=焼き付ける」からきているとのことだ。放牧されている家畜の所有者が他の家畜を混同しないように牛に焼き印を押して区別していたとのことである。ブランドの定義は、「ある財・サービスを、他の同カテゴリーの財やサービスと区別するためのあらゆる概念」と書かれている。言い換えれば、自社の製品やサービスと他社のそれとの違いを明確に示し、優位性のある価値を顧客に印象づけるということだ。
製品やサービス、または企業全体の領域では、ブランディングの重要性は、日本でもすでに認知され、強化されつつある。その背景にある要因の1つとして、製品・サービスのライフサイクルが短くなり、その集合体としてのブランドそのものに他社との違い、意味・価値を明確化させていく必要性が高まったことが挙げられる。
企業の人材開発に目を転じても、同様なことが起きている。今、社員に提供している個々のプログラムや学習機会は、頻繁に見直されている状況にある。
そうした状況において、人材開発の個々の施策や学習機会ごとに意味や価値を明確化させるだけでは、社内外の人々に魅力的な意味や価値を提供しきれなくなりつつあるのかもしれない。そこで全体を貫く意味・価値の明確化、メッセージの明確化を促進させる手段となるブランディングという考え方の注目が、製品やサービス以外の領域にも広がりつつあると捉えることができる。
エンプロイヤーブランドからラーニングブランドへ
このように製品・サービスではなく、働く人々に対するブランドを構築していく必要性が高まっているが、その1つに「エンプロイヤーブランド」という言葉がある。エンプロイヤーブランドは、05年、オーストラリアのブレット・ミンチントン氏によって提唱されたと言われている。彼によれば、エンプロイヤーブランドとは、「既存従業員をはじめ、採用希望者、取引先、顧客などの外部のキーステークホルダーの心の中に思い浮かぶ、働きがいのあるすばらしい組織のイメージ」を指している。
製品やサービスのブランドを高めること以上に、エンプロイヤーブランドを高めることが、社員の採用、リテンション、エンゲージメントを向上させ、結果的に業績向上につながるという考え方である。米国では、08年にベビーブーマーが大量に退職し、労働人口が減少していく未来を展望したとき、エンプロイヤーブランドを高めることが、企業の持続的な成長に大きく寄与すると考えられたわけである。
エンプロイヤーブランドを構成している主な要素は、採用、配置、評価、報酬、CSR、バリュー、マネジメント、職場環境、ラーニングなどがある。これらの要素の中で自社の強みとなるものをブランディングし、既存の従業員や採用希望者へさまざまなメディアを使いながら認知を広げることで、エンプロイヤーブランドを高める施策が広く取られている。
なお、エンプロイヤーブランドはHRMの分野から生まれた概念ということもあり、一般的にはラーニング以外の要素を中心にブランディングをすることが多いようである。しかし、人々が新たな知識や考え方を獲得し、成長し続けることへの欲求が高まっている今、特にラーニングに焦点を当てたブランドを構築していくことの重要性が注目され、ラーニングブランドというコンセプトが現れてきたと捉えることもできるかもしれない。
人材開発部門をブランディングするラーニングブランドとは
では、ラーニングブランドとはどのような概念として捉えられているのかを紹介したい。人材開発部門がラーニングブランドを推進するということは、自社の人材育成の理念やアプローチなどの競合優位性を既存の従業員、採用希望者に共有することによって、組織の魅力度、リテンション、エンゲージメントの改善に資することではないだろうか。
一例として、米国のコーポレート・ユニバーシティ・エクスチェンジ社の例を見てみると、ラーニングブランドを1.「ブランドプロミス」、2.「ブランドマーケティング」、3.「ブランドエクスペリエンス」の3つの構成で説明している。
1.「ブランドプロミス」とは、人材開発部門やシニアラーニングエグゼクティブが、
顧客である従業員に対して、人材・組織開発の観点から、どんな価値提供が期待されて
いるか考え、応え続けることである。
2.「ブランドマーケティング」とは、ラーニング基盤の充実を通して、従業員の信頼を獲得し、
エンゲージメントやロイヤルティを醸成するためのマーケティング活動である。
3.「ブランドエクスペリエンス」とは、顧客である従業員が、他のメンバーにも参加を
推薦したい、あるいは職場に戻ってからも実践し続けたいと思ってもらえる場を創り出す
ことである。
またラーニングブランドの効果測定の観点については、
1.いかに差異化ができているか?
2.各事業部内のリーダーたちが、人材・組織開発の施策検討を人材開発部門やシニア
ラーニングエグゼクティブに依頼するか?
3.従業員のそれぞれのビジネスゴールの達成に貢献しているか?
4.組織全体としてどの程度、ラーニングブランド力を認知しているか?
の4つが挙げられている。同社は製品やサービスのブランディングのコンセプトや手法をラーニングブランド構築に適用した例といえる。
成果を挙げているラーニングブランド構築の事例
具体的にラーニングブランドの構築に取り組んでいる企業の例を見てみよう。世界の建設機械メーカーのリーディングカンパニーであるキャタピラー社は、米国では珍しい終身雇用を前提とした家族主義型経営を行っている。その背景は、同社が80年代の不況時に経験した大きなリストラを教訓として、従業員を大切にし、雇用を維持する経営方針をとったことが、今日の持続的成長につながっているとのことだ。その同社が01年に、カスタマーフォーカス組織の実現を目指して、キャタピラーユニバーシティ(以下、CU)を設立した。
CUは年間100億円の予算をもち、同社の戦略実現をするうえで必要となる知識、スキル、行動、姿勢、価値観、枠組みなどを学習する場として位置づけている。ねらいとしては、1.ラーニングカルチャーをつくる、2.社内や社外のパートナーのナレッジを共有する、3.ラーニング・オーガニゼーションを実現するためのリーダーシップ開発の3つを定めた。対象は全従業員とした。CUの中には、それを一部のリーダー向けの能力開発の場として位置づけられている場合も多いが、同社は従業員一人ひとりの能力開発があってはじめて組織の成果向上につながると考えている。
CEOのジム・オーエンス氏によれば、「キャタピラー社にとって、CUに基づくラーニングブランドの浸透は、仕事のスキルを向上するだけでなく、中長期的な採用、リテンション、エンゲージメントを実現する強力なツールである」と述べている。CUを従業員の成長の機会として活用するだけでなく、CUを通して広くブランディングを行っていく同社の姿勢がうかがえる。CUで実施されるラーニングプログラムは、事業部門との連携に基づいてつくられているため、従業員側も当事者意識をもって、自組織の戦略的目標を達成するためにCUを積極的に活用している。07年には、CUが対応するテーマもエンゲージメント、タレントマネジメント、サクセッションプランニングへと役割を大きく広げ、今後もさらにブランディングの強化と浸透を図っていくようである。
ラーニングブランドの今後の可能性
ラーニングブランドは最近出てきたコンセプトであり、今後さらなる探究が進むテーマと考えられる。以前から人材開発部門で用いられてきたパフォーマンスコンサルティングやHPIとの親和性も高く、人材開発部門が経営や現場にとって、真の戦略的パートナーとして協働できる有力なアプローチになる可能性を秘めている。なぜなら、ブランドとはブランドを提供する側と享受する側の相互の意思の交換や理解のプロセスをもって築かれるものであるからだ。
提供する側の一方的なブランド提示では、相手のブランドロイヤルティは生まれない。人材開発部門がブランドの概念を理解するとともに、経営や現場と連携して、実現したい価値について対話を繰り返すことが、真のラーニングブランドを構築する第一歩となるであろう。
「企業と人材(産労総合研究所)」2009年4月5日号掲載