組織変革におけるストーリーテリングの可能性
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ラーニング・オーガニゼーションの世界最大のコンファレンスに、システムシンキング・イン・アクションがある。2002年、米国サンディエゴで開催されたこのコンファレンスのオープニングは、ミッチ・リトロフスキー氏とアニータ・ブラウン氏が、アーネスト・シャクルトン伯爵(南極から1人の死者も出さずに奇跡の生還を果たしたイギリスの探検家)に関する物語を語ることで幕を開けた。
「第一次世界大戦前夜、シャクルトンは次のような広告をロンドンの町に出しました。『求人:危険な旅、少ない給料、厳しい寒さ、完全な暗闇の中での数ヶ月、常につきまとう危険、安全に帰国できるかは疑わしい。成功したときのみ、栄誉が与えられる』この広告に5,000人の男性と3人の女性が応募しました。シャクルトンはその中から27人の男性を選び、危険な南極大陸を徒歩で渡る旅に出ました……」
寸劇を交えた1時間ほどの語りの後に、集まった参加者たちはシャクルトンのストーリーからリーダーシップについて何を学んだかを話し合うとともに、自分自身の考えやリーダーシップを発揮した体験などを共有した。コンファレンスという場でありながら、事例発表やプレゼンテーションを聞くといった一方通行の形式ではなく、参加したすべての人が自らストーリーを語り、お互いのストーリーに耳を傾けることで、創造性が触発され、新たな発見や学習、意思の高まりが生み出されていったことに、参加した私たちも深い感銘を受けた。
人材開発や組織変革において注目を集める「ストーリーテリング」
現在、企業の人材開発や組織変革において、企業のDNAや価値観、想い、魂、暗黙知といったものを伝え合い、共有する方法として、「ストーリーテリング」への関心が高まってきている。
「ストーリー」とは、日本語では物語であり、人物や出来事についての原因と結果の流れが意味づけされて構成された一連の話を指している。箇条書きなどの単なる文字情報と比較して、イメージや背景にあるコンテクストが共有されやすく、情緒的な反応や内省を促したり、自分にとって価値ある教訓を導き出したりすることができる。
「ストーリーテリング」とは、文字どおり、聴き手を前にして「ストーリー」を語る行為である。記述化、もしくは映像化され、内容が固定化した「ストーリー」以上に、相手を前にして語るという行為によって、語り手と聴き手の間に相互作用を生み出したり、新たな意味を形成することができる。
その注目度は年々広がりを見せている。例えば、
『Storytelling in Organization -Why Storytelling is Transforming 21st Century
Organizations and Management(邦題『ストーリーテリングが経営を変える』、同文館出版)』
『The Story Factor – Inspiration, Influence, and Persuasion Through the Art of
Storytelling(ストーリーの要素~ストーリーテリングの芸術を通して得られる刺激、
影響、信念)』
など、ストーリーテリングに関する書籍が次々と出版されている。また米国においては、ナショナル・ストーリーテリング・フェスティバルに代表されるような、ストーリーテリングをメイン・テーマとしたコンファレンスに、毎年1万人以上の人が集まっている。
先述のシステムシンキング・イン・アクションでも、コンファレンスの中心的セッションでは、ストーリーテリングの手法が活用されている。ほかにも、人材開発の世界最大のコンファレンスである ASTD国際会議でも、ここ数年はストーリーテリングがいくつかのセッションのテーマとして取り上げられ、欧米ではストーリーテリングのセミナーに、経営陣やマネジャーなど多くの人が参加し、その技術を学習している。
こうした状況の中、具体的にストーリーテリングを組織変革に活用した事例も多く発表されてきている。世界銀行では、ナレッジ・マネジメントを推進し、自組織をナレッジ共有組織へと変革する際にストーリーテリングが大きな力を発揮したことが報告されている。日本においても、デンソーや花王、カゴメといった企業の事例が書籍になったり、雑誌で特集されている。
ストーリーテリングが求められる背景
では、なぜ今このようにストーリーテリングが重要視されているのだろうか。私たちは大きく3つくらいの背景があると考えている。
まず、学習や文化・歴史共有の伝承における基本的営みとして、もともと行われていたストーリーを語り合う機会が著しく減少したことが考えられる。
例えば、ヒューマンバリューで支援をさせていただいている小田急電鉄の運転職場では、かつてはどの職場の休憩所にも「だるまストーブ」があり、そのストーブを先輩から後輩までみんなが取り囲んで、日々(さまざまなストーリーを)語り合うことを通して、運転士や車掌の技術や魂、スピリットの伝承を行っていたそうだ。そうした日常のインフォーマルな会話や教育を「ストーブ談義」と呼んでいた。
しかし、人々の価値観の多様化や職場の変化に伴って、昨今ではそうしたコミュニケーションが希薄になってきており、改めて、人々がストーリーを語り合う文化を再構築しようとしている。(本誌08年6月5日号の同社嶋津課長のインタビューを参照)。このようにストーリーを語り、聴くことの価値を改めて見いだし、そうした場を積極的に設けていこうとする企業が増えてきている。
2つ目に、知識をストックとして捉え、文脈から切り離して活用することが役に立たなくなってきたことが挙げられる。
例えば、先日、あるマーケティング会社で社内のナレッジ共有を推進している方の話が印象的だった。その会社ではこれまで、営業の成功事例やそのポイントなどをデータとしてまとめて社内のシステムに格納することで、多くの社員が活用し、成果を上げていたという。ところが、最近では、社員一人ひとりが置かれている状況や担当する顧客もかなり多様化してきているため、「どういう背景でその知識は使われたのか」、「そのとき担当者はどういう想いを持っていたのか」、「そのときお客さまは具体的にどんな反応をしたのか」といった、事例の背景にあるストーリーを共有し、そこから自分や自分の置かれている状況にとって価値ある知識を生み出していくことが求められているとのことであった。「知識はストーリーと関連付けられて活かされる」という傾向が高まってきていると言える。
3つ目に、人々の熱意や情熱をつなげて新たな組織や社会を生み出していきたいという思いが社会的に高まっており、それを実現する手段としてストーリーテリングが重要視されていることが挙げられる。
ヒューマンバリューでも、これまで多くの企業や組織の変革の実現をサポートしてきたが、改めて過去から今日までの取り組みを振り返ると、成功した組織変革の背景には、ありたい姿を目指して、困難な中でもあきらめることなく取り組み続けていった人々が必ず存在していた。そうした人々の情熱や想いが取り組みを通して強まり、広がっていったということがわかる。そして、変革への想いを伝播させたのは、きれいにまとめられた文書や公式の報告ではなく、変革の実践者たちが語り手となり、想いを乗せて語りあったことにこそ、あるのではないかと実感している。
今後のストーリーテリングの可能性
それでは、ストーリーテリングは組織において今後どのように活用されていくのであろうか。ストーリーテリングの第一人者であり、前述の世界銀行の取り組みで活躍したステファン・デニング氏は、著書『The Leader’s Guide to Storytelling(リーダーのためのストーリーテリング・ガイド)』の中で、ストーリーテリングが組織で活用されるパターンとして以下の8つを挙げている。
1. 他者の動機付け:アクションを引火し、新しいアイデアを実行する
2. 自身の信頼の構築:自分が誰であるかをコミュニケートする
3. 会社の信頼の構築:ブランドを構築する
4. バリューの浸透:組織のバリューを浸透させる
5. 他者との協働:物事を協働的に進める
6. 知識の共有:ナレッジを移行し、理解する
7. 噂の管理:ゴシップや噂を無効にする
8. ビジョンの創造・共有:人々を未来へと誘う
このようにさまざまな可能性が考えられるが、実際に活用するための方法論はまだ固まっておらず、今後、国内外でさまざまな試みや探究がなされていくものと思われる。例えば、ストーリーテリングの優れたトレーナーであるダグ・スティーブンソン氏は、元俳優という経験や知見を活かして「ストーリー・シアター・メソッド」という手法を開発し、ビジネスにおけるストーリーテリングの戦略的な活用を推進している。
また、ヒューマンバリューでは、特に組織変革におけるストーリーテリング活用の可能性を見いだし、その適用のあり方を研究している。具体的には、リーダーや一部の人がストーリーを語るのではなく、集まったすべての人がストーリーを語り、皆がそれを聴き、すべての人のストーリーが全員に共有され、集団的に意味形成を行うというダイナミックなプロセスを「マス・ストーリーテリング」という方法として整理した。
この方法では、全員が過去・現在・未来に関する文脈を共有することで、想いが響き合って共感し、個人・集団としての決意や覚悟が生み出される場をつくり出すことができる。
08年10月22日には、このマス・ストーリーテリングを用いた「ストーリーテリング・コンファレンス」を実施した。さまざまな企業の参加者が、ストーリーを聴き、語り直し、お互いの未来のストーリーが生み出されるこの場から学んだことを、今後の組織変革のあり方に活かしていきたいと考えている。
「企業と人材(産労総合研究所)」2008年11月5日号掲載