ダイバーシティに代わる注目のキーワード「インクルージョン」
ここ3年、米国の人材開発関連のカンファレンスに参加すると「インクルージョン(Inclusion)」という言葉をよく耳にする。「インクルージョン」には、含有、包含、(社会的)一体性などの意味があり、従来から使われている「ダイバーシティ」という言葉に代わって用いられている。
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インクルージョンに取り組んでいる2つの分野
1.社会・福祉分野
インクルージョンが最初に使われたのは社会・福祉分野である。身体に障がいのある子供たちが、教育や社会に参加していくことを目的とした取り組みを指す言葉として使われた。最近では、取り組みの範囲が広がり、高齢者、犯罪前歴者など、誰もが参加しやすい社会を作る「インクルージョン社会」という取り組みや、誰もがITを使って教育や社会参加の機会を得られることを目指した「e-インクルージョン」という取り組みも出てきている。
2.ビジネス分野
ビジネス分野では、ダイバーシティから発展した新しい組織のあり方としてインクルージョンが出てきている。
ダイバーシティは、特に米国を中心に1960年頃から盛んに取り組まれており、多様な文化や背景、個人的特質をもった人を組織に受け入れ、組織のパフォーマンスを高めることを目指した取り組みである。具体的には、多様な人材を採用するための雇用枠やポストを用意し、入社後も多様な働き方が可能な仕組みを整えることなどがあげられる。
しかし、多様な人材を採用しても、結局活かすことができず流出してしまうという問題が起きている。これは、新しく受け入れた人への暗黙的な排斥や区別が組織内にあるためである。例えば、マイノリティーの目標採用率を決めている企業では、周囲の従業員が採用された人に対して「目標採用数を達成するために、能力がないのに採用された」という解釈をしてしまうことがある。そうした考えを周囲がもってしまうと、新しく受け入れた人と対等に接さず、普段の仕事でも意見を聞き入れないといったことが起こりがちになる。
ダイバーシティに取り組んでも、一緒に仕事をして成長していく仲間として受け入れ、機会提供や育成をするインクルージョンがないと、結局活かされずにその人材は流出してしまうのである。
インクルージョンとは何か
人材開発関連でのインクルージョンに関する代表的な書籍には『The Inclusion Breakthrough(Frederick A. Miller、Judith H. Katz)』と『The Power of Inclusion(Michael C. Hyter、Judith L. Turnock)』の2冊があるが、研究や取り組みはまだ発展段階にあり、明確な定義はされていない。
こういった書籍やカンファレンスなどでの語り口から文脈をとらえると、次のような意味づけがされているように思う。インクルージョンは、「異なる社会文化、個人的特質などさまざまな要素から起きる暗黙的な排斥や区別を取り払い、誰もが対等な関係で関わり合い、社会や組織に参加する機会を提供することを目指すもの」ということである。
次に、インクルージョンとダイバーシティの言葉やコンセプトの違いから意味を整理してみたい。
まず、言葉自体の違いをみると、「ダイバーシティ」は人々の差異や違いを意識した言葉であり、「インクルージョン」は一体になるという意味合いの強い言葉である。そして、ダイバーシティは多様性のある状態を作ることに焦点を当てているのに対し、インクルージョンは人々が対等に関わり合いながら、組織に参加している状態を作ることに焦点を当てている。また、ダイバーシティが多様な人が働くことのできる環境を整える考え方に近いのに対し、インクルージョンは1人ひとりが自分らしく組織に参加できる機会を創出し、貢献していると感じることができる日々のマネジメントや文化を作ろうとする発想に基づいている。
日本でインクルージョンを推進する意味
日本では2007年以降、団塊の世代が60歳定年を迎えたのに伴い、人材の不足感が高まっている。企業は女性活用や定年延長などを積極的に行い、労働力を確保しようとしている。そのため、主に女性や高齢者、また外国人にとって働きやすい職場作りを目指したダイバーシティの取り組みが増えている。その結果、組織内の雇用形態が多様化し、異なる文化や背景、個人的特質をもった人が一緒に働いている状態が当たり前になる日が来るであろう。
その際、日本でも暗黙的な排斥や区別が起こる可能性があるのではないだろうか。そうしたことを考えると組織としてどのような状態を目指したいのかについて一歩先を考えて、取り組む必要がある。そこで、多様性を受け入れた新しい組織のあり方を目指すインクルージョンが大切になってくるのである。
インクルージョンを実現した組織の姿とは
それでは、インクルージョンが実現した組織とはどのような姿になっているのだろうか。私は、「すべての人々が多様な個性をもって、自分らしく社会と組織に参加し、最大限に力を活かすことができていると感じられる組織の状態」になると考えている。今年の初めに、これがインクルージョンではないかと感じる体験をした。
私が一緒に仕事をしている米国のある出版社の戦略会議に参加したときのことである。従来の発想では、戦略会議は社内秘が当たり前であり、組織内でもごく一部の経営層で行われるものだと思う。しかし、その会議には従業員20人全員が参加しており、それ以外に、著者、米国外のいくつかの出版社、読者、サプライヤーなど、外部の人が50人参加していた。海外から集まった人も含め、みな自費で会議場までの交通費やホテルの宿泊代を出し、平日に3日間を割いて参加したのである。
なぜそこまでして集まったのか、理由を参加者に聞いてみると、その出版社のビジョンや組織のあり方そのものが素晴らしく、その会社に所属していなくても、ビジョンに共鳴していたからだということがわかった。戦略会議では、会社の人間であるかどうかはもちろん、人種、性別、年齢などもまったく関係なく、全員がその会社に共感している仲間として真剣に戦略を話し合い、1人ひとりがその会社を発展させていくために何ができるか話し合ったのである。その会議で生まれた戦略のいくつかは、社内外の人の協働で今も進められている。
もともとこの会社では普段の仕事も従業員だけが行うのではなく、ボランティアが著者の原稿を読んで出版し、著者自身がマーケティングを行うなど、もはや、組織というよりもコミュニティに近い形で運営されている。
この事例のようにインクルージョンを実現すると、従業員の多様性を受け入れるだけではなく、組織内外を問わず、会社の目指しているビジョンや会社のあり方に共感する人すべてが、コミュニティの一員のように受け入れられ、貢献する機会があるのではないだろうか。
その結果、組織内外を問わずさまざまな人が自分らしい形で組織に主体的に関わり、力を最大限に発揮することができる。また、組織に常に異なる考えや新しい考え方が入ることで、組織のイノベーションが起こる。そして、人々が対等に関わり合うことで、相互に成長や変化することが促されるのである。
職場でインクルージョンの文化やマネジメントを実現するには
インクルージョンを組織で実現するには、どのような取り組みが求められるのだろうか。私は、以下の4つがポイントになると考えている。
① 組織としてのインクルージョンの機会を提供する
職場では、それぞれの人が自分らしい形で関わることができる仕事や機会が提供されることが大切である。また、先の米国企業における戦略会議の例のように、多様な人が組織のコアとなるビジョンやミッションの実現に関わることができる豊富な機会や場を提供することも効果的である。
② 組織のビジョンや目指している姿を常に考え、対話が起こるようにする
インクルージョンは、単純に自由な時間や場所で働くことができ、休暇が取りやすいなど柔軟な働き方をするだけでは実現しない。どのような形で働いていても、自分の仕事が組織のビジョンにつながっていると感じられること、また貢献できていると感じ、周囲からも認められていることが大切である。そのため、常に組織のビジョンや目指している姿を考え、それぞれがどのように自分らしく貢献したいか、また貢献できているかという対話や確認が起こることが大切である。
③ 固定化された行動パターンを要求しない
これは、仕事をする際にその人らしい貢献や関わり方を許容するということである。例えば、「お客様第一」を目指す組織で「プライベートを犠牲にして、お客様のために仕事をする」という行動パターンが「お客様第一」であると思っている上司がいたとする。その上司が周囲の人に「Aさんは、忙しい時期なのに子供を保育園に迎えにいくことを優先した。なんとか融通できなかったのか?」と話していたりすると、暗黙的にプライベートよりも仕事を優先する行動パターンが求められていることが周囲に伝わり、結局Aさんに対する評価や機会提供に影響を与えることがある。
④ 1人ひとりがインクルージョンの意識をもつ
暗黙的な排斥や区別は無意識に起こっている場合もある。相手の働き方や文化、個人的な特質に対するステレオタイプがあり、それによってある人をあらかじめ優秀ではないと決めつけてしまったり、一緒に仕事ができないと判断したりしてしまう。そういった個人の意識が、ちょっとした声のかけ方や言葉遣いにも現れてしまう。そして機会提供や育成にも差が出てくることもある。個人が自分の中にあるステレオタイプを意識し、暗黙的な排斥や区別を行っていないかを確認し、気づく機会が必要である。
前記4つのポイントが、インクルージョンを実現するのに大切と考えているが、今後のさらなる取り組みから、より明確な概念と実践のポイントが出てくることを期待したい。
「企業と人材(産労総合研究所)」2008年6月5日号掲載