パフォーマンスマネジメントがなぜうまくいかないのか
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伝統的な管理手法が機能しなくなっている現実
‘計画’を立てないマネジメント
いま、現場では、これまで慣れ親しんできた管理手法が通じなくなっている。変化が激しく、不確実な未来に対応することが困難になってきているからだ。
実際にどのようなことが現場で起きているか? あるメーカーの開発部門内の実験を行う現場では、次のようなことが起きている。
この実験部署には、さまざまな開発チームからさまざまな性能に関する実験の依頼が来る。これまでは、それらの実験依頼を円滑に実施するために、月次単位で実験計画を立てていた。来月にどういった実験が来るかを、実験を依頼してくる開発チーム=クライアント部署に問い合わせ、それらを集約して、月次の実験計画・スケジュールを作成する。
そのスケジュールに合わせて実験をする装置や機材類、人員体制等の手配計画等を立て、その計画に基づいてメンバーが実験を円滑に行う。
また、年間の実験部署の目標も、上位組織の目標を基に、昨年度の実験内容や数、クライアント部署の満足度、その水準を高めたものを設定していた。同様に、メンバー一人ひとりの目標も、組織目標をブレークダウンし、あわせて昨年自分が担当した実験内容や数を基に、その水準を高めたものや能力開発やコンピテンシーの水準を高めたものを設定するというやり方である。
ところが最近になって、ずっと当たり前のやり方であったこの方法を彼らは捨てた。そして、月次の計画を立てずに、依頼された実験に対して、その重要度と緊急度を依頼先のクライアント部署と共有し、次々とその時々で計画を立てて、実験していくというやり方にしたのだ。まるで自由に飛び回るジェット機を追いかける追尾型ミサイルのようなマネジメント手法を採用したのである。
結果、月次当たりの総実験数が増え、かつ依頼先のクライアント部署の満足度も高まっている。
現場に起きている事実
これまでは、月次で実験計画を立てて、それに基づいて実験をしていたわけだが、「突発」と呼ばれる元々の計画に入っていない、急ぎの実験依頼というものがある。この「突発」の依頼が来ると、予定していた月次計画の中にどう入れ込むかが検討される。そしてなんとか、この急ぎの実験依頼に対応する。当然ながら、それに伴い、その後に続く実験計画・スケジュールの修正が求められる。
以前は、いわゆる「突発」と呼ばれるこうした実験依頼はそれほど多くなかった。ところが、年を追うごとに、月を追うごとに増え続け、測定してみると、この実験部署では、全体の実験のうち2割から3割近くに達する状況になっていた。
また、「突発」の依頼は、上述のような調整が必要となり、実験部署のパフォーマンスを下げる要因となるため、歓迎されない依頼でもある。そのため、「突発」の実験依頼が来るたびに、この実験部署のメンバーたちにはフラストレーションが高まった。このフラストレーションは、自分ではコントロールできない外界からの依頼によってもたらされたものであるという認識を生みやすい。そのため、自分たちが置かれている状況の困難さを、依頼先のクライアント部署のせいと捉え、他罰的・受け身的になっていった。
それによって、クライアント部署との「関係の質」も徐々に悪化し、それが「突発」の依頼に対する受け止め方という「思考の質」の悪化を招いた。「思考の質」が下がれば、当然ながら「行動の質」も下がり、業務の迅速性や柔軟性が落ちていく。そして「行動の質」の低下により、総実験数やクライアント部署の満足度という実験部の業績=「結果の質」も下がる。
「結果の質」が下がると、それは「依頼先部署のあいまいでいい加減な業務の進め方・計画の立て方が悪い」というような解釈を生み出し、より一層「関係の質」が悪くなるというような悪循環、負のスパイラルに陥っていく。
「突発」とは、本来、緊急の依頼であり、依頼先の部署も見通せなかった依頼である。この割合が2割から3割に達しているということは、計画を月次で立てること自体が困難な状況になっていた。
それでも慣れ親しんだ管理手法をしっかりやろうとすると、月次計画を立てるために、依頼先部署に正確な実験依頼を提出するように、これまで以上に働きかけることとなる。
依頼先部署も返事をしたいものの、見通しがなかなか立たないことから返事が返せない。すると、実験部は督促をするということが繰り返される。こうして月次計画を完成させるまでに費やされる時間と労力、そしてフラストレーションが高まっていった。
さらに「突発」の実験依頼が来るたびに、月次実験計画・スケジュールの修正をし続けるわけで、日々、計画・スケジュールを修正・調整し続けるような状況に陥り、修正・調整に費やす時間と労力、フラストレーションも増大し続けた。
新しいパフォーマンスマネジメントの方向
彼らは、月次計画を完成させるまでに費やされる時間と労力、「突発」の実験依頼による計画の修正・調整に費やす時間と労力を、違うことに投入した。
何に投入したのか? それは、「実験を依頼してくるクライアント部署の状況を理解し、共有すること」、そして「実験部署の状況をクライアント部署に理解してもらい、共有すること」に、多くを振り向けたのである。
それによって、さまざまなクライアント部署から来る実験依頼一つひとつの重要度と緊急度を自分たちが認識できるようにし、同時にクライアント部署も実験部署の稼働状況や逼迫感を共有できるようにしたのである。
こうして、「いつ頃、どの程度の重要度と緊急度の実験依頼が来るか」を見通せるようにし、それらを実験部署の仲間たちでも共有しあえるようにした。
「○○という部署が、いまこういう状況にきた。以前に共有していた例の重要な実験だが、来週あたりに相当な急ぎで依頼が来そうだぞ!」ということを仲間たちが共有し、まことに柔軟な対応力を獲得できるようにしたのである。
結果、実験そのものに費やす時間と労力も増大し、総実験数を増やすことができた。同時に、一つひとつの実験の重要度や緊急度に合わせて実験をしたことから、クライアント部署の実験部署に対する満足度も向上したのである。
さらに、実験部署のメンバーたちのモチベーション、仕事への満足度、職務へのエンゲージメントといったものも向上した。もう少し具体的に言えば、「クライアント部署に振り回されている」という受け身的な自己認知から脱却し、「自己効力感」、つまり「私たちは外界に対して効力を発揮している、貢献できている」という自己認知が高まり、職務を通して自己成長し、価値を生み出す主体的な存在として自分たちを見ることができるようになったのである。
彼らはどうやってパフォーマンスをマネジメントしたのか?
計画を立てることをやめたのに、総実験数、クライアント部署の満足度、さらに従業員のモチベーションやエンゲージメントといったパフォーマンスは高まったのである。では、彼らは、それらのパフォーマンスを高めるために、何をマネジメントしているのだろうか?
彼らは、「いつまでに何をする」という従来のプロセスマネジメントをしていない。
簡潔に言ってしまえば、彼らがマネジメントしているのは指標である。とりわけ重要な指標は、「クライアント部署とのコンテクスト(文脈)の共有度」である。
すなわち、「クライアント部署の状況を自分たちが理解・共有できている程度」と「実験部署の状況をクライアント部署が理解・共有できている程度」である。
そして、この重要な指標を高めるための先行指標は、クライアントとの「関係の質」を示す指標である。例えば、本音でコミュニケーションできる関係が高まらないかぎり、「理解・共有度」の指標は高まらないからである。
理解を助けるために、簡単な例を用いて解説しよう。
たとえば、ある担当者が複数あるうちの1つのクライアント部署を担当していたとする。そのクライアント部署との「理解・共有度」が、意図した水準にまで上がっていないとする。その先行指標である「関係の質」も期待水準にまで上がっていない。この状態で実験の依頼が来ると、その実験の重要度や緊急度があいまいとなり、どのタイミングに実験をしたらよいかの判断が的確にできない。
そこで、彼はそのクライアント部署との「関係の質」を高めるためのアクション、例えば「クライアント部署に顔を出して様子をうかがう頻度をいまの2倍にする」といったようなものを生み出して、実行する。実行して、期待通りの水準にまで上がれば、それで良しとなるわけだが、そのアクションを実行しても期待通りの水準にまで上がらなければ、アクションを柔軟に変えて、新しいアクション、例えば「クライアント部署の仕事の進め方や過去の経緯を理解するミーティングを設ける」といったようなものを創造し、実行する。これを繰り返して、期待通りの水準にまで上げていくわけである。
また、彼らの部署が重要としたもう1つの指標もある。それは、「実験対応の柔軟度」という指標である。依頼されるさまざまな種類の実験に応じて、装置や機材類、人員体制などを柔軟に対応できる能力を高められているかが、自分たちのパフォーマンスを高めるための重要なレバレッジ(てこ)となる。そのため、個人の目標においても、「実験対応の柔軟度」を高める方向で、自らが高めたい水準を個人目標として設定し、それを達成するために必要な能力やコンピテンシーも目標としていくのである。
いま、3つの指標について述べた。1つは「理解・共有度」、もう1つは「関係の質」、最後は「実験対応の柔軟度」である。
この3つの指標は、そのままでは測定できない。抽象度が高く、観念的な指標だからである。
実は、パフォーマンスマネジメントがうまくいかない理由のきわめて重要な要因の1つがここに潜んでいる。指標を用いてブレークダウンしていくパフォーマンスマネジメントの手法として、例えばBSC(バランス・スコア・カード)、KPI(キー・パフォーマンス・インディケーター、またはキー・プロセス・インディケーター)などがあるが、こうした手法が、現場で機能していない多くの理由は、抽象的・観念的指標から測定可能な実際的指標への翻訳がうまくいっていないからである。
これについては、「伝統的マネジメントの限界」の後に詳述する。
伝統的マネジメントの限界
「To Doマネジメント」の限界
「いつまでに何をする」といったマイルストーンをスケジュール化し、そのスケジュールを管理しながら、一つひとつこなしていくような管理手法は、上記の事例以前に、すでに限界を迎えていた。
仮にこういったやり方を、「To Doマネジメント」と呼ぶことにしよう。
ソフトウェアの開発を例にとって、「To Doマネジメント」の限界を考えてみよう。
クライアントから「こんなシステムを、2月までに完成させてほしい」といった開発依頼が来たとする。すると、プロジェクトでは、「いつまでに要求仕様を固めて、いつまでに基本設計をし、いつまでに詳細設計を行い、モジュールを開発し、試験して、結合試験をいつまでにやって……」というような線表(ガントチャートのようなスケジュール表)を引く。
そして、要求仕様が固まっていないから、おおよそとなるが、必要そうな人員体制や必要工数、適応技術などを見積もっていくという感じである。
これらができあがると、その後はこの線表やプロジェクト管理表に基づいて、プロジェクトを管理していこうとするわけだが、果たして「いつまでに何をする」という管理は、本当にパフォーマンスを管理できているだろうか?
この「いつまでに、何をする」というマイルストーンは、日程こそ違いはあるものの、大半のプロジェクトが似たりよったりなものである。
すでに経験があり、同じようなことを繰り返す業務であれば、このマイルストーンの日程通りに遂行するというマネジメントでも、パフォーマンスを担保できるかもしれない。
しかし開発テーマが変わる、状況が一様ではない、こうした現在の変化が激しい環境下においては、マイルストーンのスケジュールを設定して、「いつまでに何をする」という「To Doマネジメント」は、成果・性能といったパフォーマンスをマネジメントしていることにはならないのである。
すでに10年近く前から、「スケジュールを作成できた。あとはスケジュール通りやれば、パフォーマンスは確実だ」なんていう感覚を持って仕事をしている人は、現場には少なくなっているように感じる。
一生懸命スケジュールを作っても、それだけではパフォーマンスをマネジメントできるという感覚を得られない状況は、だいぶ以前からあり、「メンバーに目標を立てさせ、スケジュールをしっかり作らせた」からといって、パフォーマンスはマネジメントできないのである。
「分解マネジメント」の限界
もっと機能しなくなっているマネジメントもある。
それはパフォーマンスを細かく分解すること、「分解できればマネジメントは可能である」と信じる世界観である。これを仮に「分解マネジメント」と呼ぼう。
MBO(=目標による管理)についても、この「分解マネジメント」の世界観の中で、多くの企業が運用していたと言えるかもしれない。
「分解マネジメント」は、年度のパフォーマンス目標を半期・四半期に分解する、さらに月次に、そして週次、日次と分解し、それらの指標を見ることで管理しようとするものであったり、全社のパフォーマンス目標を部門へ、部へ、課へ、個人へと分解したりするものである。
要素に分解すれば、コントロールする範囲も小さくなる。それによってパフォーマンスを管理できるような感覚に陥る。
しかし、売上や利益などのパフォーマンス指標は遅効指標である。売上という結果を生み出すには、多くの先行的活動がある。これらの先行的活動の連鎖と集積が結果を生むのに、月次や週次に分解して遅行指標のみを管理すれば、短期的解決策=対処療法ばかりが打ち手になってしまう。
「月次目標の数値に届きそうにない。あと1週間で結果を出せる良い方法はないか?」という感じである。
分解マネジメントは次のような課題を招きやすい。
「問題解決のために、1つの短期的解決策が講じられ、それは一見、直ちに良い結果をもたらすものに思われる。この解決策が用いられれば用いられるほど、根本的な長期的解決策が用いられることは少なくなる。時間が経てば、根本的解決策を講じる力が衰えてしまい、対症療法的解決策に一層依存するようになる」
MBO でパフォーマンス目標を個人に分解させるやり方だけを行ったり、結果だけを見ていく成果主義型人事制度の運用を行った場合も同様の課題を招きがちである。パフォーマンス目標を細分化するために、課題に対して最小単位で解決しようという方向に動くからである。
例えば、個人とチームという次元で説明すれば、次の通りである。
「問題解決にあたっては、自分ができる範囲での解決策が講じられる。それは一見、自分自身のパフォーマンスを向上させるように思われる。この個人レベルの解決策が用いられれば用いられるほど、チームによる協働的な解決策が用いられることは少なくなる。時間が経てば、チームによる協働的解決策を講じる組織的能力(例えば、チームワーク)が衰えてしまい、個人で手が打てる対症療法的解決策に一層依存するようになる」
これを部門と全社という次元で説明すれば、次の通りである。
「問題解決にあたっては、部門内で打てる範囲での解決策が講じられる。それは一見、部門のパフォーマンスを向上させるように思われる。この部門レベルの解決策が用いられれば用いられるほど、部門横断による協働的な解決策が用いられることは少なくなる。時間が経てば、部門横断による協働的解決策を講じる組織的能力(例えば、他部署の状況を理解するコミュニケーション)が衰えてしまい、部門内で打てる対症療法的解決策に一層依存するようになる」
もちろん、 MBO や成果主義型人事制度運用のすべてが上述のような結末を迎えているわけではない。同じ制度でも運用の工夫があれば、それを乗り越えることは可能である。しかし、現場での運用の工夫、すなわち運用の柔軟性を許容し、運用の現場で生まれた対応策=創造された知識を水平展開しない限り、変化が激しく、課題の複雑性が増している現状においては、こうした「分解マネジメント」は機能しなくなっている。
変化の時代のパフォーマンスマネジメント
変化が激しい時代に入ったいま、上述のような「ToDoマネジメント」や「分解マネジメント」が機能しないことは、現場ではすでに既知のものとなっているだろう。
またマネジメントチームでも、そのことはほぼ承知しており、そのため BSC や KPI を導入し、指標をブレークダウンするかたちで個人目標を設定しようとしてきた。
その基本コンセプトは、「指標をターゲットとして設定し、打ち手は次々に生み出し、どんどん変えて対応する」ことと言えるだろう。
最終的なパフォーマンスゴールを設定したら、そのゴールを達成したときに、どんな指標がどの水準に至るかを設ける。そして、その指標が高まる前には、どんな指標が高まるか、その指標はどの水準まで高まる必要があるかを考える。
これを繰り返して、パフォーマンスゴールに到達するまでの指標の連鎖を明らかにする。そして、指標ごとに達成水準を設定する。
パフォーマンスゴールを示す指標は「遅効指標」と呼ばれ、先に連なる指標は「先行指標」と呼ばれる。すなわち、「遅効指標とは、自分の打った手立ての効果が現れるまでに時間がかかる指標のこと、後から効果が及ぶ指標」であり、「先行指標とは、自分の打った手立ての効果が現れるまでに時間がかからない指標のこと、早く効果が及ぶ指標」である。
この各先行指標を高める打ち手の仮説を立てる。仮説に基づいて実際に手を打つ。そして、打ち手の効果を見て、効果が上がっていなければ打ち手を次々と変えるのである。まさに指標を追っかけながら、常にチューニングし続けるようなパフォーマンスマネジメントである。
さらに、今日的なパフォーマンスマネジメントでは、先行指標でさえも仮説である。「この指標が高まれば、次にこの指標が高まるだろう」という仮説の基に指標を立てるのである。
アクションを取ってターゲットとしていた先行指標が高まったとしても、次に連なる指標の高まる兆候が見られなければ、仮説で立てた先行指標が違っていたことになる。そこで、先行指標そのものも、手を打ちながら修正を加えていくのである。
こうしたやり方は、アクション・リフクレクション・ラーニングと呼ばれる。つまり、アクションをしながら内省し、そこから学んで未来へ活かし続けるのである。変化が激しい時代だからこそ、アクションを取りながら学び続け、成長していかなければ、パフォーマンスゴールに到達できないのである。
目標だらけ?
「To Doマネジメント」や「分解マネジメント」に代わるものとして、 BSC や KPI といったものが導入されたとき、現場で起きた多くの反応は、「いままでは売上といった単一目標だけだったのに、いろんな目標が降りてきて、やっていられない」というものだった。
上述のように、 BSC も KPI も基本的なコンセプトは、遅行指標だけでなく、先行指標を明らかにし、指標によるマネジメントを行い、打ち手はどんどん生み出してもらおうとするものだった。
ところが、現場に示されたさまざまな指標は、ほとんどが実行を担う従業員が関与することなく、マネジメントやスタッフ等によって定められたものが降りてきて、それが個人レベルに分解されたものであった。
しかも多くが、指標の連鎖ではなく、分断されたバラバラの指標のように示されたために、ますます意図したマネジメントコンセプトが伝わりづらかった。そして何よりも大きな課題は、マネジメントや企画スタッフには妥当な先行指標がわからないため、レバレッジとなるような先行指標が盛り込まれていなかったのである。
先行指標はだれがわかるのか?
先行指標はだれがわかるのか? マネジメントや企画スタッフにはわからない。先行指標はフロントラインにいる従業員にしかわからない、まさに現場でないとわからないのである。
筆者が体験した事例をあげてみよう。知的資本経営を標榜し、株主向けの年次報告書にインテレクチュアル・キャピタルの指標を世界で最初に掲載した企業であるスカンディアという会社がある。
この日本法人がスカンディアナビゲーターと呼ばれるパフォーマンスマネジメントの導入をはかっていた時期に、2年間ほどサポートさせていただいたことがある。
そのとき、ホールセラーと呼ばれる保険代理店向けの営業マンが見つけ出した重要な先行指標は、「こちらから代理店にかけた電話時間」だった。
スカンディアのビジネスモデルでは、支社はなく本社だけであった。したがって営業マンもすべて拠点は東京の本社だけであった。九州エリアを担当している営業マンも拠点は本社で、出張をして九州を回るわけだが、顧客である代理店のトップとは月に1回か2回しか顔を合わせる機会はない。代理店から電話がかかってくることは数多くあるが、それらの多くは書類に関する質問や何かの確認である。いっぽう、営業マンからかける電話は、ビジネスコーチングだった。「先週、お会いしたときにお話しした例の件の進行はいかがでしょうか? この1週間で当初のプランと違っている状況には何がありますか? では、どのように対処されますか? それがうまくいく可能性はどれくらいでしょうか? 何をクリアすればうまくいくでしょう……」といった会話である。
こうした営業マンからかける電話時間の量は、その3週間後ぐらいの代理店の業績と連動していたのである。そこで、営業マンはビジネスコーチングで使った電話コミュニケーションの時間を重要な指標とし、各営業マンが自分の状況やパフォーマンスゴールにあわせて、自ら適切なターゲット水準を設定したのである。
「こちらからかけた電話時間」が重要な先行指標であるということなど、スタッフやマネジメントにはわからない。まさに日々パフォーマンスに向けてアクションを取っている当事者でなければ、効果的な先行指標を見つけ出したり、仮説検証を回したりすることができないのである。
したがって、現場の一人ひとりが、こうしたパフォーマンスマネジメントの必要性やあり方を理解し、同時に先行指標の仮説を立て、指標が高まるであろうアクションの仮説を立て、実践しながら、打ち手の妥当性と指標の妥当性の検証を繰り返して、まさに冒頭の実験部署のような追尾型ミサイルのようなパフォーマンスマネジメントを実現していくことが必要となる。
マネジメントの世界観の転換が必要
これは実は非常に難易度の高いことである。なぜなら、これまでの経営管理やマネジメントにかかわる世界観の転換が求められるからである。
管理職のことをマネジャーと呼ぶ。つまり、マネジメントをするということは一部の人の役割という認識がある。パフォーマンスに関してはマネジャーが管理し、従業員はパフォーマンスを生み出すための実行を担うという世界観である。
それを現場の一人ひとりに、パフォーマンスをマネジメントする役割と機能を手渡すということが求められる。
まさに主体性と自律性に基づくマネジメントへの転換が求められるのであり、パフォーマンスマネジメントでは目標や指標、ターゲットの設定は社員一人ひとりの主体的な努力と探究から生まれることとなる。
もし従業員一人ひとりがパフォーマンスマネジメントをし始めると、管理者はこれまでの自分の役割を手放し、新しい役割を創造しなければならなくなる。
「社員の主体性や自律性を高めたい」という言葉は多くの組織で耳にするが、もしそれを本気で実現したいのならば、マネジャーがこれまでのマネジメント、すなわち部下がパフォーマンスを上げられるようにチェックし、コントロールするという手段も同時に放棄しなければならない。
つまり、パフォーマンスマネジメントを本気で機能させるには、組織のマネジメントに対する世界観の転換が求められるのである。
そして、それは経営陣やマネジャーの世界観ということではなく、働く一人ひとりの世界観の転換をも図らなくてはならないのである。そのために、今日的なパフォーマンスマネジメントを機能させるには、全員で実現したい姿を心底から共有し、意識を変えていく組織変革プロセスをセットしていかなければ、実現は難しいのである。
「JSHRM Insights」48号 2008/12/20掲載