日本社会の課題に向き合う(ビジネスパラダイムの再考 vol.2)
アレックス・エドマンズ氏の『GROW THE PIE』を読まれた山口周氏に、書籍の感想とともに、これからのビジネスパラダイムを探究するインタビューを行いました。(山口周氏 Interview Series)
本記事は、そのVol. 2となります。
前記事で語られた、これからの経済・企業のあり方。
それらを踏まえ、今日の日本社会や日本企業に起きている課題について、語っていただきます。
Index
- 既存顧客と既存市場への対応に、リソースを取られる日本企業
- 自ら軌道修正するのが困難になっている組織
- 逸脱者を許さない権威主義
聞き手:ヒューマンバリュー 霜山、菊地、内山
話し手:山口 周氏
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既存顧客と既存市場への対応に、リソースを取られる日本企業
― 山口さんのこれまでの研究や『GROW THE PIE』で示されているビジネスパラダイムを踏まえながら、現在の日本企業の課題について、どのように思われますか。
ピーター・ドラッカーが、「企業の目的は、顧客の創造である」と言ってますよね。「顧客の創造」と、基本的機能として「マーケティング」と「イノベーション」だったかな。これは、言葉を変えると、「問題の生成」と「問題の解決」といえるわけです。
日本企業にありがちなのは、今すでに問題だと認識されているところにソリューションプロバイダーとして入っていく。それは、競争を厳しくしますよね。もちろん、その解決する力がね、一番断トツにあるってことであればいいんですけど。でも、他のみんなと同じような解決策をやって、結果、自分たちで競争を厳しくしてますよねと。
本来、経営が担う役割は、順序でいうと、まず「問題の生成」ですよね。それで問題の解決。ドラッカーの言葉で言えば、まず顧客の創造があって、マーケティングとイノベーション。
経営の役割がそうだとしたら、パイを大きくする、あるいは何もないところにパイを生み出すっていうのは、本来はまず経営がやらなくてはいけないことなんですよね。
それをやらずに、既存の顧客への対応、既存顧客の満足度最大化ということに、あまりにも経営リソースとかマインドのシェアを取られてませんかって、問題意識として思いますよね。
『GROW THE PIE』では、「パイ拡大のマインドセット」といってますけど、このページは重要だと思いましたね。
責任あるビジネスは、いくつかの国では今なお初期段階にある。現地の投資家は社会的パフォーマンスに目もくれず、それに対する世間の監視の目も少ない。そのような国は、1992年の米国と似たような状況である。従って、特に先見性があって自発的にパイ拡大のマインドセットを取り入れる企業は、明日の勝者となるかもしれない。ほとんどの企業は社会的価値を重視していないため、そこに注力する企業は並ぶ者のない競争優位を手に入れるはずだ。
GROW THE PIE 第4章 パイコノミクスは機能するのか
― たとえ現時点では、社会や顧客から求められていない状況でも、「パイ拡大のマインドセット」で取り組めるかが課題になっているということですよね。
自ら軌道修正するのが困難になっている組織
昔からそうだったと思うんですけど、組織以前に「社会」っていうものが念頭にないと難しい時代で、そこは日本の課題だと思っています。
結構象徴的だったのは、去年のジャニーズの事件と一昨年の安倍さんの銃撃事件。その2つには共通項があるなと思っていて、それは結局、システム関係者による自発的な修正ができなかったということですよね。
ジャニーズの問題も関係者は見て見ぬ振りをし続けてきた挙句、イギリスのBBCの記者に告発番組を作られたことで一転した。統一協会の問題にしても、みんな何となく問題としては知ってたわけですよね。
共通しているのは、社会が社会として機能していない。つまり、システム内部の少数者による告発や批判によって、多数派が修正していくっていうことができていない。いまだにできた試しがないんじゃないかと思うんですよね。
― 組織が内側から軌道修正できない。
そうですね。自分の頭で、どういう社会がいい社会なのかを考えて、おかしいと思うことについて発言するっていうことができないと、これから先、やっぱり日本は非常に厳しいでしょうね。
― 『GROW THE PIE』を訳した時から思っているんですが、社会的な価値っていった時に、日本の中だと何かそれが固定的に捉えられているんですけど、実際は流動的じゃないですか。
自分でまず考えて働きかけて、それを社会的な価値として共通認識として広げていくことが大切かなと思うんですけど、日本の場合は、どちらかと言うと、どこかに社会的な価値があって、それを外部から与えられて初めて取り組めるみたいな、そういう風潮を感じます。
そうですね。NHK放送文化研究所が1973年からずっとやっている日本人の意識調査があるんですけど、「自分が政治参加することで社会が変化する」と思っている人の比率って、どんどん下がっているんですよ。サルトルの言葉でいうアンガージュマンです。自分たちが声を上げても社会は変わらない、自分がどんなアクションを取っても世の中に影響を与えられない。組織でいうと、一人ひとりの自己効力感がすごい下がってきているわけですよね。そういう状況だと、「パイを広げていこう、社会的価値を生み出そう」といっても、「いや自分たちに、そんなの無理です」っていうふうになってしまう。
何が社会的な価値なのかっていうのも、ある種の変化があるんですよね。
例えば、100年前の人たちにとっては「女性に参政権がない」のは当たり前であり、当たり前である以上に倫理的に正しいことだったわけですよね。当時の小説なんか読んでみると感じられますけど、「女性に参政権を与えないほうがいい社会だ。むしろ女性は入れちゃいけない」と思っているのが圧倒的マジョリティ。そんな時代の中で、「女性にも参政権がある方がいい」とか「能力や資質は、性別で全く変わらない」っていうマイノリティがいた。
セルジュ・モスコヴィッシという社会心理学者がいます。
みんな、多数派が世の中の趨勢を決めていくって思ってるわけですけど、だとすると、社会の価値観とか規範が変わってくるということの説明ができない。少数派が声を上げることで、多数派にその影響を与えて社会が変わっていくっていう「少数者影響過程」を、彼は明らかにしたんです。
ジャニーズ事務所の問題にしても、統一協会の問題にしても、他のいろんな問題も同じだと思うんですけど、日本は声を上げる少数派の人たちが影響を与える度合いが少ないですよね。そういう感じがすごくします。
逸脱者を許さない権威主義
― 日本では、なぜそのような傾向が強いと考えられますか。
日本は権力格差があって、権威主義が比較的強い国。逸脱する人が出てくると、こき下ろす。
野茂投手が大リーグに行くっていうと、「通用するはずがない」って野球評論家はみんなこき下ろす。指揮者の小澤征爾がカラヤンの弟子になって日本に帰ってくると、N響の団員が「あいつには指揮させない」って言って、ボイコットする。
突き抜けた人が出るってことは自らの劣等性の証明になるんで、それをやっぱり許さないんですよね。
身分制度社会であれば、成功者と彼我との違いは恵まれた身分のおかげっていうことになるわけですけども、機会が公平で皆に開かれている前提では、1人頭抜ければ、その他の人は劣等生であると同時に証明されることになる。
それは、よほどその人が突き抜けているか、誰かがリーダーシップを取って個別の価値を認めることに非常に強いディシプリンとして持たないと、どの社会でもやっぱり同じにルサンチマンになるので、そこはなかなか難しいところですよね。
― 関連する話として、エドマンズさんも、パイ拡大のメンタリティに通ずるマインドセットとして、キャロル・ドゥエック氏の提唱されたグロース・マインドセット*の重要性に言及しています。
今話していて思ったのは、社会全体がその反対のフィックス・マインドセット寄りになっている可能性もあるなと。能力を固定的に捉えて、横並びでずっと比較していると、誰かが成功したら自分の劣等性を示すことにつながるので、他の人の成功を認めないとか逸脱者を無視するとか、そういう風潮を生むのかもしれないなと感じました。
Vol.3 に続く
参照:
*グロース・マインドセット:「人間の基本的資質は努力次第で伸ばすことができる」という信念・考え方のこと。その対となるフィックスト・マインドセットは「自分の能力は固定的で変わらない」という信念・考え方。スタンフォード大学心理学部教授のキャロル・S・ドゥエック氏によって提唱された。(『マインドセット「やればできる!」の研究』2016年、草思社)
山口周氏 Interview Series ビジネスパラダイムの再考
Vol.1:経済とビジネスの前提から、企業のあり方を問い直す
Vol.2:日本社会の課題に向き合う
Vol.5:パイ拡大を導くリーダーの思考様式と在り方とは
編集後記:ビジネスパラダイムの革新に向けて、私たちにできること