シリーズ:組織イノベーション3
ヒューマンバリューのカフェトーク
語り手:主幹研究員 兼清俊光
聞き手:客員研究員 コーデュケーション代表 石川英明
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・シリーズ:組織イノベーション3「誘発するスローガン」
「ベンチャー・新規事業の継続的成長について語る」
誘発するスローガン
■事業が大きくなってくると、組織内で「もっと大きくするぞ」とか「そんなに大きくならなくてもいいんじゃないの」といった意見が出てきたりするかと思います。また、会社の垣根を越えたネットワークがあり、そこで技術や知識の交流がある場合もあります。『株式会社』という箱の中に、人をたくさん増やしていくということは、どういう意味をもつのでしょうか?
GEがいろんな事業を買収して、その業界の中で1位か2位にならなければ売却するというのを続けていましたよね。ということは、昨日までGEじゃなかった人が、今日からGEなって、そしてまたGEではなくなってしまうということが起こるわけです。それくらい組織の垣根というのはファジーになっていて、何をもって「私たちの組織」と捉えるのかも、財務的な括りとしてはハッキリしているけど、それ以外の、価値を生み出すとか、人々の関係性のあり方という側面から考えると、簡単には括れなくなってきているというのが実態だと思うんですね。
組織を大きくすべきか否かを考える際も、今自分たちがやっている事業の価値提供を高めるうえで、組織の人を増やしたり、規模を大きくすることが、非常に重要なことであったら、大きくなったらいいんだと思います。でも、大きくならなくても目指している価値提供ができるんだということであれば、大きくなることは別に重要なことではないわけで、そのときは大きくならなければいいんだと思うんですね。
事業を始めたら規模を拡大して、売上を増やして、人を増やして、でっかい会社になろうと、盲目的に目指していた時代はもう去ったんだと思うんですよね。だから「僕らは本当に大きくなっていく必要があるのか、それとも、別に大きくならなくても自分たちが実現したい価値は提供し続けられるのか」ということを、経営者だけじゃなくて、いろんな仲間たちが探究したり、話し合ったりするプロセスをもったうえでないと、大きくなるべきかならないべきかというのは決めちゃいけないのかなって気がしますけどね。
■「ビジョナリーカンパニー」(日経BP社)では、BHAG、わかりやすくてみんなが熱狂するようなストレッチしたゴールが大切といったことが書かれているかと思います。「売上30億いくぞ」とか、そのわかりやすさに意味があるのかなと思うところもあるのですが…。
BHAGは、その背景に目的意識がセットされてなければ、BHAGにならないと思います。たとえば「30億目指すぞ!」という目標があって、今は5億円でこれから6倍を目指すという時に、「30億いったら、本当に実現したい社会がつくれるよね」とみんなが思えたら、30億目指すというのはBHAGになるでしょう。
しかし、背景にある目的意識といったものが抜け落ちていて、ただ「30億」と言っていると、「でかくなってどうなるんだよ」「勝手になんか30億とか言ってるけど、現実的じゃないよね」みたいな会話が交わされてしまうことになりがちだと思います。
昔は、BHAGに対して、暗黙の共有化された目的意識みたいなものがあったと思います。目的意識が明瞭でハッキリしてはなくても、「世の中をよくしたい」とか、「国を豊かにしたい」とか、「この産業を素晴らしい産業にしたい」とか、文脈として誰しもだいたいの目的意識をもつことができた、またはもちやすかったと思います。だから、たとえばこれを売って30億目指すんだって言ったら、ただのNice to have(まあ、それでいいんじゃない)ではなくて、「それは目指すべきだ!いいじゃん!」って思えたというのはあると思うんですよね。
でも今は、何のためにやっているかという意味がわかりづらい時代になってきていると思います。極端な例でいけば、成長とか拡大というのを大切にする価値観と、途上国の貧困問題とか環境問題といった、サステナビリティーの視点では、成長とか拡大というのはよくないという価値観が混在している。そういう中で、「30億目指す」となったときに、聞いたみんなが「あ!いいな!」と思えるかどうかというのは、難しくなってきていると思います。
■掛け声だけ、威勢だけが良くても難しいわけですね。
今我々がなぜここにいて、なぜ頑張っていて、なぜ先々それだけBHAGと言われるところまで目指したいの?ということに対する答えを、誰かが教え込むんじゃなくて一人ひとりが見つけられるような状況をつくっていかないと、BHAGにならないんじゃないかなって思います。
たとえば、Googleが「世界にあるすべてを検索できるようにしたい」と言っています。次から次へと検索されるものが広がっていく中で、仮に3年後売上高がいくらという目標がGoogleにあったとしますよね。その時に「その売上高までいったら、もう世の中の半分くらいまで検索できるようになってるよな!」ってメンバーがイメージできたとしたら、それはBHAGになるんだと思うんです。「世界中のすべてを検索できるように」ということ自体がもうBHAGなのかもしれないですけどね。
■なるほど。背景にある目的意識といったものがあるかないかも、大切なポイントということですね。少し話が変わりますが、組織が大きくなってきた時に、目的意識や方向性というものは一方向にあるべきなのでしょうか?
ベクトルがそろっていた方がよいと、みんな暗黙的に当たり前のように言います。昔はそれでよかったけれど、今は逆なんじゃないかという気がします。
どちらかというと、ベクトルのある部分を局所的に見るとバラバラ。あっち向いたり、こっち向いたり…。でも、それを大きく俯瞰してみると、一見バラバラなものが全体としてはある種の方向性に向かって、何となく向いている。
しかも環境との境界線は、かなりバラバラ。そうすると接点って、変化に対して受け止め方が違うので、バラバラな方が、組織そのものとしては状況への変化の適応力が高かったり、次のイノベーションが生まれてくるのだと思います。
■方向性がそろっていることが、必ずしも良いわけではないということですね。
そうですね。
それから、目的意識やビジョン、戦略などに関してですが、たとえばGoogleの場合、「すべてのものを検索できる社会をつくりたい」「すべての選択を一人ひとりが自分で調べて決定できる社会をつくる」といったものを掲げています。このとき、Googleで働くAさんという人がそれに共感して描いた目的意識・ビジョンは、Googleのトップマネジメントが描いたものと同じかというと、多分全然違うものだと思うんですね。
たとえば、「そういうことを目指している会社だったら、3年くらいそこでストレッチしたことをやれるんじゃないか」「今まで自分がもっていたものを超える何かが、そこで得られるかもしれないから、3年くらいそういうビジョンのところでやってみよう」という目的意識であってもいいわけですよね。
だから「世界中のものを検索できる」というビジョンが示された時に、全員が一生をかけて、そのビジョンを追求する覚悟が必要なわけではないです。
言い方を変えると、企業がもっている目的意識を見たときに、そこにつなげられる自分の目的意識を見出せるかどうかが重要であって、組織が掲げた目的意識をみんなが共感して同じように理解することが目的ではないというのが、今の目的意識に対する考え方ではないでしょうか。
そこを取り違えてしまうと、理念やビジョンなどを一生懸命説明して理解させようとすることが多いと思うんです。
「この理念やビジョンを見たときに、あなたは自分の中にある目的意識としてどんなものがあって、どう結びつくか」というのを探究してもらうというプロセスがないと、内発的なコミットメントは生まれないでしょう。このプロセスがないと、同じベクトルに向かって「言われたら動く」という「受身的積極行動」に留まってしまうというのが現実なのかなと思いますね。
■以前に、ユニクロの柳井会長が雑誌のインタビューか何かで、『最近ユニクロに入ってくる人で、ユニクロで自分を成長させたいという人が増えてきている気がして、私はそういう人には来てほしくない。「僕はユニクロの商売をやりたいんだ」という人じゃないとうまくいきっこないんだ』というような記事を読んだ記憶があります。1つの会社に辞めるつもりで所属するのもありなのかどうか…。
ありだと思うんですけど、この柳井さんの話って微妙で面白いですね。
「僕はこの会社ですごく成長できると思って、この会社に来ました」と言った人のメンタルモデルの中に、いろんな研修があるとか、いろんな仕組みがあるからそれを理解しようとか、そういう学生時代と同じような受身的な学習観が強かったとしたら、それは柳井会長の言うように、そういう人には来てほしくないんだと思います。
でも、「僕はこの会社に3年間いて、3年で辞めようと思っています」とか、「3年間思いっきりやって、思いっきり成長して辞めたいんです」と言う人の「成長」という言葉の中に、「仕事を通して成果を出し続けていく中で、自分は学び続けるんだ」という意識があったら、柳井会長の言う「この事業を成長させたい」というのと似たような意味になると思うんですよね。
■背景にある目的意識があるかないか。それから、メンバーに目的意識を理解させようとするのではなく、一人ひとりが組織の目的意識と何かを結びつけるプロセスがあるかないか。これらが大切ということでしょうか。「わかりやすい目標」だけではなく…。
組織からボーンと大きなわかりやすい長期的目標が出てきたとしたら、それが何を意味するかというと、自分の目的意識とつながるかどうかを誘発するんだと思うんですね。
どういうことかというと、「売上30億目指すぞ」と組織が示した時に、「30億になったら、うちの事業はすごいことになるぞ!だったらここで頑張ってもいいな。なぜなら○○~」の○○を誘発するんだと思うんですね
もう一方で、繰り返しになりますが、わかりやすい目標といっても、その目標の裏に目的意識がないと…。同じ30億という目標が示された2つの会社があったときに、一方の会社では、メンバーがそれにすごく共感して、もう一方の会社は誰も共感しないということがあるのは、氷山の上に現れる「30億」という目標、表札は一緒だけど、下にどれくらいのものが沈んでいるかによるのです。何を掲げたらよいかではなくて、下にあるものをちゃんと形づくれるかどうかが重要なんじゃないかなと思います。
■「わかりやすい」というのは、あればあったらいいんでしょうけど、氷山の下の部分を共有できている組織なのかチームなのか、それとも表札しかないチームなのか。
目的意識を共有できているというのもそうだし、あとは掲げている主体者たち、経営陣、マネジメントチームが、本気でそう思っているかですよね。
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