シリーズ:組織イノベーション5
ヒューマンバリューのカフェトーク
語り手:主幹研究員 兼清俊光
聞き手:客員研究員 コーデュケーション代表 石川英明
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・シリーズ:組織イノベーション5「1つの生命体として」
「ベンチャー・新規事業の継続的成長について語る」
1つの生命体として
組織が抱えている問題について解決のヒントをいただきたいと思って、お話を伺ってきましたが、結局自分自身がどうあるべきなのか、そういうことを考える機会をいただいたなと、そういう感じになりました(笑)。組織の問題だと思っていたのですが……。
組織の問題は、そこに存在する人、1人ひとりの自分の問題なんですよね。だから、組織という、自分とは別の生命体が存在しているのではなくて、同じ1つの生命体の中に自分も存在している。だから、組織をよりよくしていきたいと思ったら、自分自身がどうあるかということが重要で、それは僕が社長だ、僕は経営者だということだけじゃなくて、新入社員まで含めて全員が平等にそうであると思います。
たとえば、新入社員で入ったある人が「うちの組織は全然話が違っていて、やりたいことをやらせてくれないし、面白くないし、課長は怒るし、やんなっちゃうんだ」って言っていたとしますよね。
それに対して、ちょっと辛辣な言い方になってしまい恐縮ですけど、「じゃ、課長に怒るのをやめてくださいって言ったの?」と思ったりもします。「もっと学習したい。僕にとっての学習ってこうなんですけど、仕事をそんなふうに進めるのはどうなんでしょうか? ということを話し合ったの?」と。
そういうふうに質問したりすると、「言いましたよ!」って言う人がよくいるんですけれど、「何回言ったの?」って聞くと「何度も」と言う。「どういう席で?」って聞くと雑談だったりとか、酒の席だったりとか、結局途中で止めてもう言ってなかったりするんですよね。
本当にもっと学びたかったり、頭ごなしに怒られるのが嫌だったら、自分で手立てを考え、手を打ち続ければいいんですけどね、本来ならね。若い人に限らず、なかなかそれができない人たちが多くいると思います。でも、もしそれをやったら事態は変わるかもしれない。
だから、今のポジションが新人であろうと、社長であろうと、すべての人がそうやって状況を変えられる存在であるのに、勝手な思い込みの呪縛で、状況のせいにして萎縮し、成長の機会を失って、経験的に学習する機会を失って……。そうやって、自分の成長スピードを非常に遅くしているという、そういう事態に陥っているんじゃないかなと思うことはよくあります。
僕が新卒で就職した際に、先輩たちもいっぱいいて「うちの会社はね、やりたいことやらせてくれないし、こういうのやってみようって言っても全然通らない」って言っている人たちがたくさんいました。
僕は、入社してからの1年の間に稟議書を三十数件提出したんですね。その中には、事業部長決済ができないから本社決済のものとかもあったりしたんですけど、「うちの会社は全然通らない」と言っている人に話を聞くと、稟議書は1年間に1枚も書いていなかったりします。
だから、その時「あ、言ってるだけなんだな」って感じたのを覚えています。本当にそうして欲しいとか、そうしたいとか思ってはいないんだなって。そうしたいと思ったら諦めずにやれる道を探し続ければ、いくらでもできるのにと思っていました。それなのに、最初から放棄してしまっている。実際にそういうことは、組織の中とか個人の中に山ほど存在しているんじゃないかって、思いますけどね。
ただ、僕が新卒で入った会社が、極端にそういうことを受け入れる会社なのだということを、あとで、いろんな会社の経験をして、非常にそれは感じましたけどね(笑)。今考えれば、ですけれど。
つい、「それはあなたの問題です」「私の問題ではなくて」「それは君たちのチームの問題です」というふうに捉えてしまいます。1つの生命体の中に自分も存在していると、そう思えるためには、1つには内観ということがあるかもしれませんが、他にも何か大切なことがあるでしょうか?
この間、雑誌か講演か何かで「マネジメントは教養である」というのがあって、すごく共感しましたね、それは。数学をやったり、化学を勉強したり、そういうのはすごく重要だと思います。
僕がそういう考え方をもてた背景の1つに、中学1年生の時から「サイエンティフィック・アメリカン」っていう月刊誌をずっと購読していて、わけもわからないんですけど宇宙だとか、量子力学だとか、そういうものを読んで面白がっていた時期がありました。
たとえば、覚えているものの1つは、私という存在は、「私」と認知しているだけであって、よりミクロのレベルでみたら、私の中には10,000を超える細菌がいて、そうした生物の集合体であるということ。実は私はいろんな生命体によってできているのが実態で、「私」と認知しているだけだというようなことです。
そうすると、フラクタルにサイズを切り替えたら、「組織や社会も、私という構成員が集合することでできている。だから私とは別のものではない」という認知の捉え方みたいなのものを、その頃にいっぱい学んだ記憶があります。
僕は教養のない人ですが、特に歴史などの、そういう教養が全然ないんですけど、そういう教養がもっとあったら、もっと自分の進化が早かったかなって思っています。たくさん教養を得るって重要なことだなと。内観するだけじゃなく、そういうふうに思います。
経営者の方とお会いすると、量子力学とか複雑系とか、最近でいくと「生物と無生物のあいだ」などを読まれている方も大勢いらっしゃいますね。世界観というか、そういうものに影響を受けるような、そういうものに触れていく、それを意識して努力していくということが大切なのでしょうか。
意識して努力していくということもあるかもしれませんが、学んだことが大切だったということに気づくのが10年後だったり、20年後だったりするんだと思うんですね。
僕は学生時代、ほとんど勉強しなかったので、今考えるととてももったいないことをしたなと思うんです。学んでいる時は無駄だと思っていることが、20年後にすごい意味があるものだったりするので、短絡的に判断しないで学び続けていくとか、そういうことがとても大切なことだなって思います。
教養ってすぐに使えないものというイメージがあるじゃないですか。でも、高め続けるということが、15年後20年後、自分が40歳50歳になったときに、すごい意味を自分にもたらしてくれるんじゃないかなと思います。
今振り返ると、小学校の5年生から毎週土曜日か日曜日は必ず上野に行き、博物館か美術館が遊び場だったんですね。そういうものを見続けたりすることに意味があるかないかは、その時には判断はなかったと思うんですけど、割と本物っぽいところに触れる機会になり、それは今の生活や仕事に生きていると思っています。
それから、僕は伝記などはあまり読まないのですが、それでも手軽な伝記ものではなくて、非常に細かいところまで詳しく書いてあるような伝記、たとえばガンジーや二宮尊徳や上杉鷹山といったものを読んだりすると、体の中に、あとあと意味があるものとして沁みこんで残っているのがわかるんです。あまり、お手軽な本みたいなものだと、残らないという気もしますけれど……。
教養を深めることによって、「自分の問題である」と捉えられる認知パターンが形成されていくということもあるわけですね。そろそろ時間が来てしまいました。長い時間、お話しいただき、本当にありがとうございました。
ありがとうございました。