ラーニング・ジャーニーが広げる学びの可能性〜『今まさに現れようとしている未来』から学ぶ10のインサイト〜
過去に正しいと思われていたビジネスモデルや価値観が揺らぎ、変容している現在、「今世界で起きていることへの感度を高め、保持し続けてきたものの見方・枠組みを手放し、変化の兆しが自分たちにどんな意味をもつのかを問い続け、未来への洞察を得る」ことの重要性が認識されるようになっています。
そうした要請に対して、企業で働く人々が越境して学ぶ「ラーニング・ジャーニー」が高い効果を生み出すことが、企業の現場で認められるようになっています。
本コラムでは、知識中心から「ラーニング・ジャーニー」へ、学びのあり方をシフトさせる意味を紹介し、これまでヒューマンバリューで取り組んできたラーニング・ジャーニーの実践例を振り返りながら、取り組むための重要なポイントや、そこからどんなインサイト(洞察)が得られるのかを整理してみたいと思います。(取締役主任研究員 川口 大輔)
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未来から学ぶ技術をいかに獲得していけるのか
「How can we learn from the future as it emerges ? ―今まさに現われようとしている未来から、我々はいかに学べるのか?―」
2002年、米国サンディエゴで開催されたシステムシンキング・イン・アクションのカンファレンスにて、MITのオットー・シャーマー氏の講演を初めて聴く機会を得ましたが、そのときに投げかけられたこの問いに、私自身大きな衝撃を受けました。
その講演の中で、オットー・シャーマー氏は、学習のプロセスを
1.過去の経験の振り返りからの学習(Learning by the reflecting on the experience of the past. act, observe, plan reflect, act -)
2.今現れようとしている未来からの学習(Learning from the future as it emerges)
の2つに切り分け、複雑さが高まる今日、「過去や体系化された知識からではなく、今そこで生まれようとしている未来からいかに学べるようになるかが、価値を創造する上で大切になる」というメッセージを投げかけました。
今では世界的に知られるようになったU理論の源泉になった問いに触れ、ここから何か新しいことが生まれる予兆にあふれた、黎明期のような興奮を感じたことを鮮明に覚えています。
この「未来から学ぶ」というあり方は、当時まだご存命だったピーター・ドラッカー氏が言及していた、「すでに起こった未来(the future “that has already happened.”)」という考え方に近い概念かもしれません。ドラッカー氏は、社会的、経済的、文化的にすでに起きている事象から、未来に影響を及ぼす兆しや意味を能動的に見出すことが、ナレッジワーカーの仕事そのものになることを予見し、私たちに示唆を与えてくれました。
サンディエゴのカンファレンスから約20年が経過した今、そうした「未来から学ぶ」重要性が、かつてないほど高まっているのではないでしょうか。
ディスラプティブ・ワールドと呼ばれるような、一夜にして既存の価値観やビジネスモデルが壊れていく世界において、過去に正しいと思われていた考え方や価値観から脱却し、自分たちの強みや存在意義を再構築できるよう、変革し続けていくことが、持続的な成長を実現する核となってきています。
たとえば、シーメンス社では、すでに起きている未来から学ぶ機会として、「ピクチャー・オブ・ザ・フューチャー」という場を活用し、自社の変革に結びつけていったことが知られています。
「ピクチャー・オブ・ザ・フューチャー」とは、グローバル化、高齢化、都市化、温暖化など、世の中の「メガトレンド」を真正面から経営課題として捉え、「自分たちのコア・バリューをどうやって生かすか」という視点を基本に、経営の執行を担うマネージングボードや事業部のトップクラスのメンバーが、外部の専門家たちと共に、徹底的に腹落ちするまで議論を重ねていく場です。
その中で、シーメンスが考える未来の形を描き、自分たちが最も社会に役立つことができるのは、どこなのか、という観点で事業を組み替えていきます。昨今では、デジタル化のトレンドをいち早く理解し、インダストリー4.0の中核を担うデジタルカンパニーへと変貌を遂げていきました。
このように、未来から学び、変革につなげていく重要性が高まっている一方で、これまでの成功モデルや枠組みに縛られ、そこから抜け出すことに苦闘している組織が多いこともまた、企業の支援を行う中で実感しています。
たとえば、DX、SDGs、XaaS(ザース)、カスタマー・セントリシティ、アジャイル、パーパス経営、パフォーマンス・マネジメント革新などなど、世の中には変革のキーワードがあふれていますが、表面的にこうした変革に取り組もうとしても、働く人々の意識の深いレベルで、これまでの枠組み・メンタルモデルが変わっていかないと、結果的に、これまでのやり方や考え方から抜けきれずに、変革が形骸化したり、元に戻ってしまうといったことも起きがちです。
そこで変革に携わる私たちが問うていくべき1つの命題は、「今世界で何が起きているのかへの感度を高め、既存のものの見方・枠組みを手放し、その変化の兆しがどんな意味をもつのかを問い続け、自分たちの存在意義や未来への洞察を得る」ような“未来から学ぶ”技術を、いかに集合的に獲得していくかということにあるといえるかもしれません。
ラーニング・ジャーニーを通じて枠組みを揺さぶる
では、私たちはそうした学びをいかにして実現していくのでしょうか。
たとえば、社会の変化を実感するために、有識者から情報提供や研修を受けるようなアプローチも有効かもしれません。しかし、受け身で情報を得たり、会議室の中で表面的に議論したり、整理された情報を咀嚼していくだけでは、既存の枠組みで情報が解釈されたり、あるいは議論がループしてしまい、結果としてあまり意味のある学びにつながらないこともあります。
そうした中、「ラーニング・ジャーニー」を経営や組織の学習プロセス、及び変革のアプローチに組み込んでいく取り組みが生まれています。
「ラーニング・ジャーニー」とは、文字通り、旅を通じて学ぶということです。
そこでは、掲げられた変革のテーマについて、多様な背景、視点をもつメンバーで構成されるグループが集い、自分たちの視野を広げてくれるような様々なフィールド(場)に越境して出向いて行きます。
そして、フィールドで起きているリアリティを肌身で感じたり、刺激を受けるような体験をしたり、生の会話、リサーチを行うことで、机上で考えているだけでは得られなかった発見、気づき、洞察、新たな問いや推論、そして意味を、偶発的・相互作用的な学びから得ていきます。そこで得られた洞察をもとに、組織、事業、社会の変革につなげていきます。
このラーニング・ジャーニーのアプローチを変革プロセスの一環として広げたのが、上述のオットー・シャーマー氏や、南アフリカやグアテマラのシナリオ・プランニングを支援したアダム・カヘン氏らが携わったチェンジ・ラボです。
チェンジ・ラボでは、ラーニング・ジャーニーを、「メンバーが、共に旅をすることを通して、問題そのものに自分たちの身を浸し、通常接することのない現実を経験し、判断を保留しながら、システム全体を感じ、考え方を再構成していくような物理的な旅路」と位置づけ、様々な社会変革のプロジェクトに適応しています。
自分たちの枠に閉じこもるのではなく、外の世界に足を踏み出し、多様な現実や異なる視点に触れながら、当たり前だと思っていたことが揺さぶられるような体験を通じてこそ、私たちは新しいものの見方や洞察を獲得していくことが可能となるのです。
ラーニング・ジャーニーの実践:新たな基軸の経営ビジョンを創造する
私たちヒューマンバリューでも、企業や行政の変革支援に取り組む中で、こうしたラーニング・ジャーニーのアプローチを組み込むことが増えており、その価値や可能性の大きさを実感しています。
たとえば、ある国内の伝統的な大手インフラ企業においては、経営陣が中心となって、自社の新たな経営ビジョンを創造する過程で、数カ月をかけてラーニング・ジャーニーに取り組みました。
同社では経営ビジョンの策定にあたって、まず経営陣が一堂に集まり、自然豊かな環境の中で泊まり込みの合宿を行ったのですが、これからの100年につながる経営ビジョンをつくり、ミッションを再定義する上で、自分たちはもっと起きている変化に学ぶ必要があるのではないかという課題意識が生まれてきました。
そこで、「これからも自分たちが社会にとって価値ある存在であり続けるために、我々経営陣は何を学ぶ必要があるのか? 何を理解する必要があるのか? 何を脱学習する必要があるのか?」という問いかけを行ったのです。
そして、本質的な問いと対話から生まれてきた気づきをもとに、4つの主要テーマを掲げ、ラーニング・ジャーニーを実践することにしました。
このプロジェクトで特に興味深かったのは、各テーマについて、経営陣と中堅・若手社員がチームを組み、出向くフィールドを自分たちで検討し、コンタクトも自分たちで行ったということです。視察するフィールドを事務局から提示されるような形では、受け身になってしまい、予定調和な学びしか生まれてこないかもしれません。今回、自分たちで好奇心と情熱に基づいて行き先を決め、自分たちで異世界にアプローチすること自体も、新たなチャレンジとしての学びになりました。
結果として、アジアやヨーロッパのベンチャー企業、ソーシャル・セクター、日本の地域で革新的な取り組みをしている行政や地場の企業、まちづくりのキーパーソンなど、様々なフィールドに出向き、生の体験や現地の人との対話を通して、今社会にどんな変動が起きているのかを肌身で感じる機会になったのです。
たとえば、現在のグローバル経済を牽引する中国へのラーニング・ジャーニーも大きなインパクトがありました。中国については、多くの情報がメディアで語られていますが、現地の生活や、そこにテクノロジーが根づくリアリティ、企業で働く人々の熱気などに直に触れることで、これまで自分たちが捉えていた世界とは違う現実があることが、五感を通して伝わってきます。今まで情報の羅列だったものが、文脈の中で意味をもった情報としてつながり、自分たちがこの変動をどう受け止め、自分たちのビジネスをどのように変革していくのかへの気づきが生まれたようです。
また、地方へラーニング・ジャーニーに出掛けたチームは、まちづくりに取り組むキーパーソンとの率直な対話から、「自分たちが事業運営を考える上で、根本的に欠けていたスタンスに気づかされた」といった、自分たちの存在意義そのものに対する深い洞察が得られました。
こうして、実際にラーニング・ジャーニーで現地に行った方の感想を伺うと、そこでは前述のアダム・カヘン氏らが指摘していた「システムの中に入り込み、システム全体を感じるような学び」が起きていたことがわかります。
さらに、今回、経営陣と若手がチームを組んだことによる価値も生まれました。ラーニング・ジャーニーの過程では、チーム間で日常では経験できない、たくさんの対話が行われます。そうした対話を通して、若手が経営陣の人間性から学ぶ機会になっただけでなく、経営陣のほうも若手からテクノロジーや新規的なアイデアを学ぶなど、リバース・メンタリング的な効果も生まれたのです。経営陣の皆さんが、若手から学ぶことを心から楽しみ、喜んでいたことが、私も特に印象に残っています。こうした幅広い世代、多様性を通した対話が、偶発的・相互作用的な学びにつながるといえます。
そして、ラーニング・ジャーニーで得られた洞察は、参加した人の中だけで閉じられるのではなく、全社的に発表会を行うなど、会社全体でも興味をもって受け止められました。発表会では、単に訪問先のレポートをするのではなく、自分たちが変化の潮流をどう捉え、今まさに起きている未来をどのように歩いてきたのかを、一人称で物語る姿が印象的でした。発表会では、その学びから自分たちが何を考えていきたいのかといった、新たな問いの連鎖が生まれる機会にもなりました。
そうした学びと探求の結果として、新たな思考や事業へのドライブがかかるとともに、これまでの議論に挙がっていなかった地域や環境といった新機軸を盛り込んだ経営ビジョンの創造につながっていきました。
また、経営ビジョンを生み出すこと以上に、こうした過程を通じて、経営チームが共通の体験をもとにした価値観、つまりこれからの社会に対して、自分たちがどんな存在でありたいのかについての本質的な気づきを共有できたことも、大きな成果だったように感じています。こうした気づきが会社全体のメンタルモデルのシフトにつながっていくのではないでしょうか。
何がラーニング・ジャーニーの学びに違いを生み出すのか
その他にも、たとえば大手人材派遣会社において、次世代の経営者候補を対象としたリーダーシップ・プログラムの一環としてラーニング・ジャーニーを取り入れ、新たな顧客体験価値を生み出す事業運営につなげたり、行政においても、自治体が、高齢者がいきいき暮らせるまちづくりの計画策定のために、高齢者の実際のライフスタイルや生態系を共感的に理解すべくフィールドに出向き、統計的なマクロデータを見ただけではわからなかったレバレッジを明らかにするなど、様々な展開が行われています。
こうした取り組みを推進する人々も、サポートをしている私たちも、今までの枠組みを広げるような学びが生み出されるパワフルさを、手応えをもって感じることが多いのですが、しかし、その一方でこんな質問を受けることもあります。それは、「これって、『視察ツアー』と何が違うのですかね?」という問いです。
これは、「学習とは何か」を考える上でも、一考に値する問いであるように思います。
以前から、日本の企業や行政においては、先進企業などを巡る視察ツアーが数多く行われてきました。そうした視察ツアーにももちろん有益なものがある反面、単なる出張や体験で終わってしまい、その後に生かされないといった例があることもよく耳にします。それらとここで紹介しているラーニング・ジャーニーとは、何が根本的に異なるのでしょうか?
その違いを考える上で、2つの書籍を見てみたいと思います。著者の想いが伝わるように、該当部分をそのまま引用します。
1つ目は、ピーター・センゲ著『学習する組織――システム思考で未来を創造する』(英治出版、2011年)からの引用です。
・・・年以上前のことになるが、デトロイトの自動車メーカーの重役グループを訪ねたときのことは決して忘れない。その重役たちは初めて日本の自動車メーカーの工場見学をしてきたところだった。・・・(中略)話を始めて間もなく、重役たちがつまらなく感じているのを察して理由を聞くと、一人がこう答えた。『本物の工場は見せてもらえなかったんですよ』。どういうことかと私が尋ねると、こういう答えが返ってきた。『どの工場にも在庫が一切ありませんでした。私は30年近く製造業に携わってきましたからね。あんなものは本物の工場じゃありません。私たちの視察用にこしらえた芝居に決まっています』。今ならば、この重役たちが見たものは正真正銘の工場であり、『ジャスト・イン・タイム』在庫システムの実例だったことは誰にでもわかる。……(中略)が、その夜、デトロイトの重役たちの目には自分たちに警鐘を鳴らすものは何ひとつ映らなかったのだ。
日本と米国の違いを物語る有名な例なので、ご存知の方も多いと思います。この例で紹介されているように、実際に変化が起きているフィールドに対峙しても、観る側が、旧来の枠組みやレンズで起きていることを見てしまうと、その本質的な意味や大事なことをつかみ損ねることもあることがわかります。
そして、上記では、観られる側として紹介されていた日本の製造業ですが、山田太郎著『日本版インダストリー4.0の教科書』(2016年、日経BP)では、反対の立場から描かれています。こちらもそのまま引用してみます。
……ドイツの工場を視察した日本人からよく聞くのは、『たいしたことないな』『これくらいならわが社でも実行済みだ』『在庫が日本より多いし整理されていない』『これがインダストリー4.0なら効果はないんじゃないか』という期待外れを表明する声だ。そういう日本人は、作業開始のブザーが鳴ってもなかなかラインに取りつかないスマート工場の現場を見て、『士気が低いね、がっかりしたよ』という反応をすることもある。
しかしドイツが目指しているのは、そうした目に見えるところにはない。現場の自動化がドイツの目的ではないのだ。……(中略)インダストリー4.0の本質は、一言で言うと、共通インフラとしてのクラウドの活用である。公共インフラといってもいい。構内を越え、遠隔地の工場と情報を共有する。さらに会社の壁を越えて、中小企業も巻き込んだ共通の情報をつないでいくことが基本にある……。
こちらの例をみると、数十年の時を経て、変革の中心で、変革を生きていたはずの日本企業も、いつの間にか変革を外側から眺め、曇ったレンズで分析したり、解釈するスタンスが根づいてしまっているのかもしれないなと複雑な気分になります。
そして、ここに私は「視察ツアー」と「ラーニング・ジャーニー」の大きな差があると感じています。一言で言うと、「学習に対する感受性の違い」(U理論でいうところの“センシング”や“プレゼンシング”)、もしくは「フィールドの内側から学んでいるのか、外側から学んでいるのかの違い」かもしれません。
先に紹介したチェンジ・ラボのフィールドブックにおいては、スタディ・ツアー(視察ツアー)は「データを収集する認知的なエクササイズ」であり、ラーニング・ジャーニーは「全体システムを理解するための玄関口」であるとし、明確に違うものとして切り分けています。私もこの点に共感します。
たとえば、先進的な取り組みを行っている企業を訪問したり、最新のテクノロジーに触れたり、社会課題が起きている現場に行ってみることなどを通して、参考になったり、刺激を受けることも多いでしょう。
しかし、そこで得た知識や情報も、それ自体では意味をもたないかもしれませんし、「これはうちでもやっている」「これは関係ないかな」といった内なる「判断の声(Voice of Judgement)」に支配されたままだと、本来生み出したい学びにつながりません。
感受性を高めて、「そこで何が起きているのか」「それはどんな意味や可能性があるのか」を虚心坦懐に探求したり、「これってどういうことだろう」「ちょっと変な気がする」といった違和感を大事にすることで、「判断の声(Voice of Judgement)」を外し、自分たちが観たもの、経験したものから、「未来を創造するインサイト(洞察)」をいかに生み出すことができるのか。それが、ラーニング・ジャーニーの本質ではないでしょうか。
そして、そうしたインサイトを生み出せるような学びの姿勢をいかにつくり出していけるのか、そのための問いをいかに育むかが、ラーニング・ジャーニーを価値あるものにするためのレバレッジになると考えられます。
ラーニング・ジャーニーから現れる10のインサイト例
それでは、実際にラーニング・ジャーニーから得られるインサイトには、どのようなものがあるでしょうか。
学術的に類型化されたものがあるわけではないと思いますが、これまでヒューマンバリューで取り組んできたラーニング・ジャーニーの経験を振り返りながら、10の言葉や内から生まれる問いに集約してみました。
1.知的好奇心や直感を触発するような『気づき』
「これは面白い、直感的に大事な気がする……」
2.体験・観察からつかんだ、『全体性・世界の縮図』
「今世の中では、こういう変化の構造が起きているのでは……」
3.私たちのものの見方を変える『シフト・揺らぎ』
「これまでこう思っていたけど、考え方が覆された……」
4.私たちの未来に影響を及ぼす『キー・ドライビング・フォース』
「こういう社会的要因によって、私たちの未来は大きく変わる……」
5.顧客の視点に立って、初めて見えてくる『世界観』
「今、顧客や世の中はこういうことを求めているのではないか……」
6.メガトレンドを自分事として捉えることができた『腹落ち感』
「このトレンドは、こういう意味があったのか……」
7.起きている変化と自分たちの『強み・価値との結びつき』
「この変化の中で、私たちの強み・価値はこう生かされるのでは……」
8.私たちの未来の可能性を広げてくれるような『構想』
「この世界が広がったとき、未来の世界、我々の世界はこうなっているのでは……」
9.自分たちの存在意義や提供価値を進化させてくれるような『内なる声』
「私たちは、さらにこういう貢献ができるのではないか、こんな価値を生み出せるのでは……」
10.私たちが答えなければならない『新たな問い』
「私たちはこうした問いに答えていかなければいけないのではないか……」
これらは、単なる視察ツアーから得られるものとは、明らかに異なります。私たちが関わったプロジェクトにおいても、こうしたインサイトを生み出していくのがラーニング・ジャーニーの目指すところであることを、事前に共有していくことで、学びの姿勢や質を高めていくことにつながりました。
そして、これらのインサイトを自分たちの内面に取り込み、自分たちの存在意義を進化させていく、それが今まさに現れようとする未来から学ぶ技術につながるのではないでしょうか。
終わりに
以上、ここまでラーニング・ジャーニーの経験を振り返りながら、その可能性やポイントを探求してきました。
本記事の中で、事例としてご紹介した内容は、すべてコロナ禍に入る前の取り組みになります。コロナ禍の今、私たちは旅を行うことそのものに大きな制約がかけられた状態にあります。これまでと同じようなやり方でラーニング・ジャーニーそのものに取り組むのは難しいといえます。
しかし、その一方で新たな可能性も広がっています。オンラインでの生活が当たり前になった今日、これまではつながることすら難しかった海外や地域の人たちとも、能動的に働きかけることで容易につながれる状態になりました。また、このコロナ禍の状況がさらに世の中の変化を加速し、まさに私たちが未来から学ぶ必要のある時代に入ってきているといえるかと思います。
ラーニング・ジャーニーのアプローチに正解はありません。私たちの人生は見方によっては、毎日が新しいジャーニーの連続です。感受性を高め、コロナ禍の今だからこそ、可能となる学びの旅路を生み出し続けていきたいと思います。
<参考文献>
System Thinking in Action 2002参加報告
https://www.humanvalue.co.jp/wwd/research/conference/systems-thinking/system_thinking_in_action_2002/
『経営改革の根幹は「メガトレンドの腹落ち」にある』(「Forbes JAPAN」2017年6月号)
https://forbesjapan.com/articles/detail/16645/1/1/1
The Change Lab Fieldbook
http://social-labs.org/wp-content/uploads/2014/12/Generon_Fieldbook_V2.0.pdf
ピーター M センゲ『学習する組織――システム思考で未来を創造する』、枝廣淳子他訳、英治出版、2011年
山田太郎『日本版インダストリー4.0の教科書 IoT時代のモノづくり戦略』、日経BP、2016年