組織開発を再考する<第4回>オープン・スペース・テクノロジーの現代における意味を考える〜自己組織化の学習フィールドとしてのOST〜
株式会社ヒューマンバリュー
取締役主任研究員 川口 大輔
2024年3月、組織開発の大家であるハリソン・オーエン氏がご逝去されました。オーエン氏は、対話型組織開発の代表的な方法論の1つである「オープン・スペース・テクノロジー(OST)」の創始者として知られています。
OSTは、数人から数千人までの人々が自己組織化して、複雑な課題解決に取り組むことを可能にするラージスケール・ミーティングの手法として、世界各国で活用され、組織・コミュニティ開発の領域において大きなインパクトを生み出しています。
ヒューマンバリューもオーエン氏との交流からたくさんのことを学ばせていただきました。今から20年ほど前、ワシントン郊外のポトマックにあるご自宅にお伺いし、対話を重ねたこと、そして日本に氏を招聘し、日本の実践家の皆さまと学びを深めたことが昨日のように思い返されます。
オーエン氏が亡くなった今、OSTとは何であったのかをあらためて自問しています。オーエン氏が晩年に書かれた著作を読むと、氏がOSTを一時的なイベントやミーティングの手法に限定するのではなく、日常の習慣やリーダーシップを解放するスピリットとして、その可能性を広げることを模索されていたことが伝わってきます。
そしてそれは、今私たちがまさに目指しているものと言えるかもしれません。
近年では、激しい変化に対応すべく、従来の中央集権型・計画統制型の組織構造から脱却し、自律分散・自己組織化型への変革が組織や社会に求められており、ティール組織、ホラクラシー、アジャイルなど様々な哲学・思想・手法の試みが進んでいます。
しかし、その一方で変革は簡単なものではありません。働く一人ひとりが管理・統制のマネジメントやビジネスのやり方にあまりにも慣れすぎてしまって、自己組織化がどんなものなのかのイメージが想像できず、新しいやり方を導入しても揺り戻しが起こってしまうということも多いようです。
そうした世界観の違いを乗り越えていくためには、まず私たち自身が自己組織化とはどのように起こるのかを当事者となって体感していくことが不可欠です。OST自体は複雑な問題を集合的に解決するための方法論ですが、そこから転じて、今の時代に必要な自己組織化の振る舞いを学ぶラーニング・フィールドともなり得る可能性があります。
そこで、組織開発のあり方を再考する連載である本稿の第4回は、OSTに今一度焦点を当てます。OSTが生まれた起源に立ち返り、その原理原則の価値を再考しながら、OSTの体験が、自律分散型の組織文化や社会づくりにどのように貢献していくのかを探っていきたいと思います。
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ハリソン・オーエン氏から学ぶオープン・スペース・テクノロジーの起源と展開
今から20年前の2004年、当時ヒューマンバリューの研究員を務めていた堀田恵美氏と土屋恵子氏と私の3名は、海外調査旅行の一環で、ポトマックにあるハリソン・オーエン氏のご自宅を訪れました。当時日本では、「ファシリテーション」が1つのトレンドになっていましたが、機械論的・問題解決的なファシリテーションが広がっていることに社内でも疑問が生じ、より生成的なファシリテーションのあり方を探索すべく、オーエン氏にたどり着いたのです。
カウボーイハットをかぶったオーエン氏は、日本から来た私たちをとても温かく迎え入れてくれ、そこでOSTが生まれた時のことを語ってくれました。
オーエン氏の自宅にて
コーヒーブレイクから生まれたOST
OSTの概念が生まれたのは1985年ごろです。当時、組織変革のコンサルタントをしていたオーエン氏は、ある国際カンファレンスを運営する主催者となり、1年を掛けて大変な思いをしながら、スピーカー、会場、書類、参加者等のコーディネーションを行うことになりました。
ところが、それだけ苦労して準備をしたにもかかわらず、参加者の評判が一番良かったのは、オーエン氏の努力とは全く関係のないコーヒーブレイクの時間だったそうです。そのことはショッキングでしたが、同時にオーエン氏に重要な気づきを与えました。それは、良いコーヒーブレイクがもつ自然なパワーを、カンファレンスやミーティングのメインのアプローチに組み込むことができれば、人々の可能性をより解き放てるのではないかということでした。
オーエン氏が自宅のパティオに座って2杯目のマティーニを飲みながら、そんなことを考えていた時に、西アフリカの村落で起きた出来事がふと思い返されたそうです。フォトジャーナリストとしても活動していたオーエン氏は、リベリア内部のバラマという小さな村落で開かれていた成人の儀式に参加していたのですが、そこでは実行委員会のようなものが何もなく、誰も儀式をコントロールしていなかったにもかかわらず、500人もの人々が高度に組織化され、皆が満足のできるイベントが、楽しい雰囲気の中で行われていたとのことでした。
バラマの村は、中央にスペースをもつサークル状の集落だったそうですが、儀式を進める上で大事な話があると、皆が自然とそのスペースに集まってきて、輪になって話し合いを進め、終わるとまた逆戻りするといった、混沌の中にも秩序が保たれており、それが本質的なコミュニティをつくっていることに感銘を受けたそうです。
この2つの出来事からインスピレーションを受けたオーエン氏が中心となって開発されたのが、オープン・スペース・テクノロジー(OST)です。
OSTはどのような体験なのか?
OSTは、状況が複雑で、多様な考えが入り混じり、衝突や混乱の可能性がある状態から短時間で自己組織化を実現する話し合いの手法です。数人から数千人に及ぶ関心のある人々が集い、主体的に議題を生み出し、互いに情熱と責任をもって本音の話し合いを行い、問題の共有と解決に向けたアクションプランの策定をスピーディに行います。
それでは、OSTとはどのような体験で、どのように自己組織化が可能になるのでしょうか。ここでOSTのプロセスを1つずつ丁寧に振り返り、オーエン氏の教えを交えながら、それぞれの体験がもつ意味を深掘りしてみたいと思います。
インビテーション(招待)から始まる自己の選択
OSTは、自分たちが本当に話し合いたい、解決したいと考えている課題(シリアスイシュー)について想いをもった人たちが、関心のある人たちを招くインビテーションのプロセスからスタートします。何もないところから変化は起きません。「何かを解決したい」「話し合いたい」「実現したい」という人々がもつ想いの種から、事が生まれていきます。
それは必要な人を選んでアサインするプロセスとは異なります。オーエン氏は、「命令するのではなく、誘うのだ」と述べていますが、自己組織化は、インビテーションに対して、本人が自発的に選択する体験から始まります。
インビテーションにも様々なアプローチがありますが、これまでヒューマンバリューがお手伝いしたケースでは、招待状を送ることも多くありました。招待状では、想いを伝えることが大切にされます。また自己選択を重視するために、アジェンダを詳しく書いたり、参加するメリットを明確に定義するようなことはしません。
例えばある会社では、ある朝、「未来からの招待状」と題したインビテーションカードを社員それぞれの机に配っておきました。素晴らしい事業を成し遂げた未来の自分たちから、そのきっかけとなったミーティングに招待し、自分たちの未来を切り拓くために向き合うべき事業課題について話し合おうと投げかけたのです。
参加する・しないも本人の選択に委ねました。未来について話し合うという抽象的な議題に戸惑う社員も多かったと思いますが、多くを語らない、説得しないことが、出席する人々に想像するスペースを与えます。「自分は本当にこのミーティングに参加したいのだろうか」。そんな自問をしながら、結果的には多くの人々が自ら一歩を踏み出し、参加してくれました。
オーエン氏は次のように語りました。「見せかけではない、真の招待にはリスクが伴います。結果として参加しないという選択をする人もいるわけですから。しかし、価値もあります。その場に来た人は、関心とコミットメントをもって参加してくれていることが保証されます。その情熱が必要なのです」。誰かに説得されて参加するというスタンスは、自己組織化にはそぐわないのかもしれません。
未来からの招待状
サークルに集う体験が、私たちのマインドをシフトする
インビテーションをもとにOSTに参加した人々は、サークル状に並べられた席に集います。オーエン氏が体験した西アフリカの集落での経験が示すように、サークルはOSTにおいて、とても重要な役割を果たします。オーエン氏は、「サークルは、自由でオープンなコミュニケーションの象徴で、自己組織化の血液なのです」と述べ、単なる概念ではなく、物理的にサークルの形状をつくることにも強くこだわっていたことが印象に残っています。
私たちは、集団に入った時、無意識のうちに上下に連なるヒエラルキー型の組織図をイメージしてしまいます。しかし、そうしたマインドのままだと、重要なことは上に決断を仰ぐといった意識から抜け出すことはできません。
サークルには不思議な力があります。サークルであるという状態が、中心を示し、お互いの顔を見合えることを可能にし、発言の順番を無くし、権威やコントロールの関係を省くことができます。
OSTの場は、サークルにあふれています。そして、サークル状の席に座ったり、立ち上がったり、戻ったり、自らもサークルをつくったりする行為を通して、参加者の内面に、この場がインフォーマルなコミュニティであり、心理的に安全な場であるという認識が徐々に育まれていきます。
サークルが自己組織化の起点となる
情熱と責任をもとにテーマを掲げる 〜心理的安全性を自分たちの力で生み出す〜
参加者が席に着くと、いよいよOSTがスタートします。通常、最初にファシリテーターからOSTの進め方や原則の説明が行われ、その後、アジェンダ共有セッションに入ります。
全体のトピックに関して、情熱と責任をもって皆で話し合いたいテーマがある人は、サークルの中央のスペースに足を踏み出し、無作為に並べられた用紙に自分のテーマと名前を書き出して、全員に発表します。テーマを出す人があらかじめ決められていたり、グループを代表して発言するようなことはありません。全ての人が個人的な関心から、自分のテーマを掲げる権利があります。
全員に対してテーマ出しをする参加者
OSTを象徴する場面の1つとして、このテーマ出しのシーンを挙げる人も多いのではないでしょうか。私自身も何度もOSTを体験する中で、卵の殻が割れて雛がかえるような瞬間、多様な光が放射されて世界が彩られる瞬間、ここから変革が始まるプロローグとなるような瞬間を幾度となく目撃してきました。
ある時は、それまで静寂に包まれていた会場から、場が開かれた瞬間に一斉に参加者が中央に群がり、我先にとテーマ出しをする姿に、皆が本当はこんなにも話したかったのかということに気づき、対話の文化が築かれるきっかけとなったこともありました。
また、皆が様子見をして、なかなかテーマが出されずに、緊張感が高まり続けることもよくありました。とりわけ心理的安全性の低い組織においては、皆の前で自ら主体的にテーマを出すこと自体が勇気のいることだったりします。「こんなことを皆の前で言ってもいいのだろうか」「自分が出さなくても、誰かが出してくれないか」など、様々な想いが脳裏をよぎり、揺らぎが生まれます。
そうした揺らぎの中で、責任を引き受け、足を踏み出す人が現れ始めます。それは必ずしも公式的なリーダーでないことも多くあります。普段は目立たず、あまり発言をしない人が、静寂を破ってテーマ出しをする姿から、新鮮な驚きや発見が生まれ、組織的な先入観やマインドセットが壊される場面も数多く見受けられました。
また、次から次へと出される多様性に富んだテーマに、参加している人たちの目的意識が触発され、自分もテーマを出してみたいという感情が生まれてきます。掲げられたテーマが貼り出されたボードには、それぞれの人がもつ情熱が可視化され、自分たちの手で未来をつくっていけるのではないかといった未来への希望の兆しが立ち上がってきます。
テーマは、会の目的にダイレクトにつながるものもあれば、一見すると何の関係もなさそうなテーマもあります。しかし、誰かがそのテーマはふさわしくないとジャッジするようなことはしません。なぜなら、それぞれのテーマは、それぞれの人がもつ異なる関心から生まれているので、それをコントロールしようとすると、自己組織化が起きないからです。(実際、ふざけて出したとしか思えないようなテーマに多くの人が集まり、そこから生まれたアクションプランが、最も多くの人の賛同を集めたこともあります)
こうした過去の体験を振り返ってみると、OSTのテーマ出しの営みから、私たちは心理的安全性の本質を体感的に学ぶことができるように感じています。昨今、自律分散型組織に限らず、新たな挑戦やイノベーションを生み出す上で、心理的安全の重要性が至るところで語られていますが、その多くは、いかにそうした環境を組織やマネジャーが用意してあげるかといった議論に終始している側面もあります。確かにそれも大切ですが、本来私たちの中には、心理的な障壁を自ら乗り越えていくための勇気や力が内在されており、それをいかに解放していくかということの方が重要ではないかと思うのです。
OSTで幾度となく遭遇する、揺らぎの中で一歩踏み出す体験は、心理的安全とはこういうことだという気づきを誰かから教わるのではなく、自分たちの手で生み出すことにつながります。
マーケットプレイスを通じて、自己組織化のダイナミズムを体感する
テーマ出しが終わったら、参加するセッションの選択と登録に入ります。テーマを出した人は、自分が話し合い(セッション)を行いたい時間と場所を選んで、ボードに貼り出します。そして、貼り出されたテーマを参加者全員が眺めながら、自分がどのセッションに参加するのかを選んで名前を書き出します。
テーマへの登録
数多くの参加者が集まるテーマもあれば、参加者数が少なかったり、中には誰も名前を書かないテーマも出てきたりします。しかし、そこに良しあしはありません。参加者が集まらないセッションは、たまたまそのテーマを出すのが早すぎたということもあります。1人だけで内省するセッションを開いてもいいですし、テーマを取り下げて、別のセッションに行くのも自由です。また、テーマの統合も頻繁に行われます。類似したテーマを挙げた人同士が共同でセッションを開催したり、人が集まりすぎたテーマを2つのグループに分割したりということが自然と起こります。
ここに「マーケットプレイス(市場)」の機能が発生します。市場と同じように、人々がどこに行って何をしたいかを自分たちで見出していくのです。オーエン氏は、「市場は誰もコントロール・運営しなくても動く」と、このマーケットプレイスの重要性を強調していました。
マーケットプレイスの様子
私は、このマーケットプレイスの時間が個人的にも気に入っています。テーマ出しの時間が、静寂から動が生み出される一点集中な瞬間であるならば、テーマの選択と登録の時間は、私たちに内在されていた自己組織化のDNAが一気に解放される瞬間、そして計画・統制の概念が一気に壊れ始める、より動的な瞬間でもあります。
参加する個人の視点からすると、全てのテーマを眺めながら「あっちのテーマにもこっちのテーマにも興味がある……。どちらに参加しようか」と悩む時間でもありますが、こうした時間が私たちの「自分事感」を高めていきます。それは、未知の未来につながるたくさんのドアの中から、自分がどれを開くのかを選ぶような感覚と言えるかもしれません。
私たちは、こうしたマーケットプレイスを経る中で、自分がどう振る舞うかを全て自己選択していくという経験を重ねると同時に、誰かがコントロールしなくても人は動くという組織ダイナミズムを体感として学ぶのです。
動きながら学ぶ自己組織化のディシプリン 〜4つの原理と1つの法則〜
登録が終わったら、それぞれの場所で自然にセッションが始まります。テーマを掲げた人はセッションを開催する責任をもちますが、リーダーや進行役を無理に務める必要はありません。関心をもった人たちが集ったセッションなので、誰かが仕切らなくても自然と対話が始まります。
自律的に行われるセッション
そして、こうしたOSTの自律的な話し合いを支えているものが、OSTのオープニングで全員に伝えられる4つの原理と1つの法則です。
<4つの原理>
1. ここにやってきた人は誰でも適任者である(Whoever comes are the right people.)
2. 何が起ころうと、起こるべきことが起こる (Whatever happens is the only thing that could have.)
3. それがいつ始まろうと、始まった時が適切な時である (Whenever it starts is the right time.)
4. それが終わった時が、本当に終わりなのである (When it’s over it’s over.)
数々のOSTを体験してきた今、あらためてこの原理を見返すと、自己組織化とは何か、OSTとは何かの本質が、非常にシンプルな言葉に凝縮して表されていて、オーエン氏の洞察の深さに感銘を受けます。E = mc2のように、真理を表す公式にはある種の美しさが伴いますが、それと同じように、短いセンテンスの中に時間とスペースの広がりが感じられる研ぎ澄まされたステートメントがここにあるように思います。
誰か知識や正解をもっている人がその場にいなくても、参加する人々のテーマへの関心と多様性さえあれば、そこから何かが生まれていきます。
そして、そこで起きたことには全て意味があります。一見するとうまくいっていないような話し合いに遭遇することも多々ありますが、それらを無難に綺麗な話し合いにしてまとめてしまうのではなく、ありのままに受け入れるようにしていくと、多くの場合、「あの時、もめたからこそ今があるよね」といった未来の価値につながります。
誰かが無理に話し合いを盛り上げる必要もありません。それぞれの関心を共有していると、大切な話し合いは自然に起きてきます。起きなかったとしたら、まだ話し合うタイミングではなかったのかもしれません。それにも意味があります。また、結論が出ているのに、予定された会議の時間がまだ終わっていないからといって、無為に時間を過ごす必要もありません。休憩に入ったり、次のテーマに進んだ方が有意義です。
私たちは、日常の仕事の中で秩序を保つために決められた予定や構造、慣習に形式的に従ったり、予定調和的に事を進めたりすることに慣れ親しんでします。しかし、そうしたものは自己組織化を阻害するエネルギーになりがちです。OSTでは、そうした自己組織化を邪魔するものをできる限り排除して、参加する人々が「今この瞬間」に関心を持ち続けられるような仕組みになっています。
そして、もう1つ大切な法則が「主体的移動の法則」です。原文はThe Law of Two Feetであり、直訳すると二本足の法則となります。この法則は、参加しているセッションで、自分は貢献していない、学んでいないと思ったら、自身の足を踏み出して、その場から出ていってもよいというものです。
こうした法則を耳にして、戸惑う人も多くいると思われます。例えば、自分の上司が掲げたテーマのセッションに参加していて、上司が熱く語っているのに、興味がなくなったからと出ていってしまうというのは、ヒエラルキーのある組織の枠組みではあり得ないかもしれません。しかし、本当に価値あるものを生み出す自己組織化の観点からは、そこに関心がない人がいることの方がエネルギーを下げてしまいますし、その人自身にとっても価値のない時間となります。
このようにOSTでは、外的基準ではなく、内的な基準で自分がどうあるべきか、足を踏み出すべきか、残るべきか、ということを常に問われ続ける体験、言い換えると、同化せずに、私であることを学び続ける体験をしていることになります。
また、この主体的移動の法則には副次的な効果があります。それは、OSTの象徴でもあるハチとチョウの存在です。自然界のハチのように、セッションからセッションを渡り歩いて、アイデアを結びつける人や、チョウのようにふわふわと振る舞い、休憩所に止まって多くの人とコミュニケーションを円滑にする人を生み出します。ハチやチョウが目に入ることで、気がつかないうちに私たちのマインドセットや枠組みが柔らかくなり、多様な意見を受け入れやすくなる土壌がつくられていくのです。
こうした人々の振る舞いを見ながら、私たちが普段の職場で行っているような、同じ方を向いて整然と仕事をしたり、決められたスペースで会議を行っている風景が、いかに不自然なものであるかに気づかされます。
セッションの途中でくつろぐチョウたち。
ここから本当に大切な会話が立ち上がることも
ここまで4つの原理と1つの法則をもとに、実際にOSTの話し合いがどのように進むのかを解説してきました。
興味深いのは、オーエン氏は、これらの原理・法則は「ルールや規範(Prescriptive)」ではなく、「これから起こることを叙述したもの(Descriptive)」であると述べていることです。
つまり、自己組織化の話し合いのルールを教えられて、その通りに振る舞うようにするのではなく、これから起こることを自分らしく楽しむ姿勢で臨んでいくと「こういうふうに動けばいいんだな」と、誰から教わるということもなく自然と振る舞い方が身に付いてくるということです。当初OSTについて懐疑的だった指示命令的なマネジャーや役員が、OSTの体験を繰り返す中で、次第に振る舞いが変わっていくことを私たちも何度も体験してきました。
話し合った全ての内容が共有される掲示板 〜全体観を得る〜
このように自律的な話し合いが各所で進んでいきますが、各セッションで話し合った内容や結論については、議事録が作成され、掲示板に共有されます。
議事録に目を通す参加者
この掲示板も、生成のダイナミズムを肌身で実感できるスペースです。ほんの数時間前までは何もなかったところに、突如として、たくさんの対話の記録が生み出されます。多くの参加者は、休憩時間中に、関心をもってこの議事録に目を通します。掲示板を起点として、そこから新たな会話が育まれていくことも多々あります。
そして、たくさんの議事録を眺めるうちに、今自分たちの組織で何が起きているのか、その背景に何があるのか、皆がどんなことに課題意識をもっているのか、それを乗り越えていくための創造性の種がどこにあるのかといったことに気づき、視界が広がる感覚が生まれます。自分がそれまで見ていた世界が非常に狭いもので、皆の目を通した全体としての現実を見ると、こんなにも多様な世界が広がるのかといった驚きや希望が生まれる時間でもあります。
自己組織化を実現する上では、このように情報をオープンにし、全体観を得る感覚が大切になります。自分が見ている限られた情報だけではなく、組織や社会の全体性に触れることで、私たちの中にある全体に貢献したいという気持ちが育まれ、他者への配慮や利他的な行動が促進されていきます。
呼吸を感じながら、全員でアクションを生み出す
全てのセッションが終了したら、最後に全員でアクションを生み出していきます。多くの場合、全員が全ての議事録に目を通しながら、大事だと思ったものに投票し、投票数の多かった議題から順番に時間の許す限り全体で取り上げます。ここでも集合的な意思を大切にしていきます。
全体での話し合いはいろいろなアプローチがありますが、ヒューマンバリューでは、バースディケーキセッションというやり方を取ることが多いです。これは一般的にはフィッシュボールという呼び方で知られています。
バースディケーキセッション
中央のスペースに、取り上げられたテーマに関連する人たち(全体の縮図となるような人たち)数名を招いて小さなサークルを作り、その周りを全員が囲む形でセッションを進めます。中央のサークルで対話を行い、その様子を見て、周辺の人たちも対話を行い、周辺の対話から出た意見や問いを中央に投げかけるというプロセスを繰り返す中で、皆で取り組んでいくべきアクションプランを生成・収束していきます。形がケーキに似ていることと、何かが生まれる瞬間という意図を込めて、私たちはバースディケーキセッションと呼ぶことにしました。
ヒューマンバリューでは、過去に最大で1800名がリアルな会場に集うOSTの場をホールドしたことがあります。2日間を掛けて行われたOSTから300ものセッションが生まれ、挙げられたテーマと議事録全てに対する投票が行われ、投票数の多かったセッションについて、バースディケーキセッションを行い、アクションを決めていきました。
1800名全員が参加して、アクション創造や意思決定を行うことが本当にできるのかという懐疑的な声も当初はあったと思われます。普通なら、そうしたことは起こり得ませんし、最初からそれをやれと言われたら無理だったでしょう。しかし、その1800名は、その前の2日間を通して、自己組織化の動きを体感的に学んできた1800名でした。
当日は中央での対話と、周辺での対話が相互に繰り返されながら、お互いの息づかいを感じつつ、今何が立ち上がろうとしているのかに耳を傾けていくような時間が流れていきました。あたかも会場全体が呼吸しているかのようなスペースを通して、最終的にいくつかの自律的なアクションの方向性が合意された瞬間は、とても印象深いものとして記憶に刻まれています。
生前にオーエン氏がOSTについて話してくださった時に、サークルの大切さと共に、呼吸の大事さについても語られていたことが思い返されます。OSTの体験というのは、私たちに自己組織化の息遣いを教えてくれるものと言えるかもしれません。
OSTの体験が私たちに与える影響
以上、OSTの体験がどんなものかを共有してきました。ここまで何度か述べてきたように、あらためて振り返ってみると、OSTでは、自己組織化に必要なマインドや振る舞い方が自然に育まれていくような仕組みやプロセスが、絶妙なバランスで組み込まれていることがわかります。
それでは、こうした体験は私たちのその後にどんな影響を与えるでしょうか。ヒューマンバリューでは、組織変革の過程でチームや組織がたどる変革のプロセスを質的・量的に分析し、関係・思考・行動の質を5つのレベル(段階)に分けて指標化したOcapi (Organization Change Process Indicator)を開発しましたが、OSTを何度も体験したチームや組織は、行動の質のレベル4である下記の2つの指標が高まる傾向にあります。
<ボランティア・チーム>
ありたい姿に向けて、自然と必要な人が集まり、質の高い検討や実践が自主的に行われている度合い
<洞察・配慮>
微細なことが周囲に重要な影響を及ぼしていることを理解して、深い配慮のある行動をする人の多さ
Ocapiにおける行動の質の5段階
実際にヒューマンバリューで支援したある組織では、職場のレイアウトを変え、中央に皆が集まれるスペースをつくり、何か困ったことや解決したいことがある人は、そのテーマを皆に公開し、関心のある人が中央に集まってボランティア・チーム的に議論をするというようなやり方を自分たちで生み出して取り入れていました。OSTの原理や法則が、日常の仕事にも広がった例と言えるでしょう。
また、洞察・配慮が高まることも意味深いと言えます。一見すると、自己組織化は各自が自分勝手に動くことのように思われるかもしれません。しかし、そうではありません。OSTの体験を紹介したところで述べたように、全体性が見えた中で、自分が自分らしく振る舞おうとすると、逆に周りへの配慮が高まるのです。これは一方的な忖度のようなものではなく、自分が情熱と責任をもっているのと同じように、周りの人々も等しく情熱と責任をもった存在であり、それらを尊重していく姿勢と感受性が育まれるということです。オーエン氏の言葉に倣うなら、息遣いと言えるかもしれません。かつてピーター・センゲらは、変革の営みをダンスに例えてDance of Changeと表現しましたが、まさに自分と相手の息遣いを感じ、呼吸を合わせながら、即興的なダンスを踊る技術なのです。
そして、この行動の質のレベル4が高まると、次第にレベル5である自己組織化や共創行動というものが高まってきます。これはOcapiの中でも最もレベル・難易度が高い指標であり、ここまで指標が高まるチームはそれほど多くありません。OSTを単に体験するだけではなく、それが自分たちにとってどんな意味があったのかを深掘りすることにが、自己組織化を日常の習慣として恒常化させる鍵になるかもしれません。
自己組織化のウェーブ・ライダー(波乗り)になる
そして、OSTの意義をあらためて問い直した時、オーエン氏が目指した姿もOSTの日常化にあったのではないかと思われます。オーエン氏は、2008年に、自身のキャリアの集大成として、Wave Rider: Leadership for High Performance in a Self-Organizing World(ウェーブ・ライダー:自己組織化する世界で高いパフォーマンスを上げるリーダーシップ)を上梓しました。この書籍では、変化に適応しながら自己組織化を促進し、人々がもつ潜在的な力を解放していくリーダーのあり方を、波に乗るサーファー(ウェーブ・ライダー)に例え、私たちが学んできたOSTの基本原則を日常に応用していくための考え方や実践のガイドを示そうとしています。
オーエン氏は著書の中で次のように述べています。
「もし私たちが自己組織化の力を認識し、それを十分に理解することができたなら、私たちは膨大な仕事から解放され、現代の他の多くの差し迫った問題のために時間とエネルギーを自由に使うことができるだろう。さらに良いことに、私たちは自己組織化の力を私たちの利益のために活用する方法を学ぶことができ、それによって現在私たちの想像を超えるレベルのパフォーマンスを達成することができるかもしれない。私たちはこの根源的な力に乗り、自らの無力さを補うのだ。その姿とは、間違いなくウェーブ・ライダーだ。ウェーブ・ライダーのイメージはサーフィンの世界から来ており、人間と自己組織化する世界との相互関係を鮮明に描き出している」
私自身は、2008年の出版当時に、本書を手に取って眺めていたと思いますが、当時は自己組織化の波のイメージやウェーブ・ライダーの例えがよくわかっておらず、本書が述べる重要性を十分に理解できていなかったように思います。しかし、その後幸いにも数多くの生成的な変革のプロジェクトに携わる中で、自己組織化のイメージと波を乗りこなすイメージがピタリと合致するようになってきました。
そして、サーファーが上達するために、何十本、何百本と大小様々な波に乗るように、私たちが自己組織化のマインドセットを養い、本当の意味での自律分散型の社会を築いていくためには、私たち一人ひとりが、変化の波に乗り、時には荒波にもまれて方向がわからなくなったり、あるいはビッグウェーブに乗って感動するような体験を重ねていくことが必要だと思います。
その実践と学習の場がまさにOSTなのではないでしょうか。自己組織化した組織を理想として掲げる理論は多く打ち出されているかもしれませんが、それを実践のフィールドとしてここまで組み上げられた手法はそう多くないでしょう。しかも、誰か一部のリーダーがOSTマスターになって周りに教える必要はないのです。OSTは、数千人の人が一度に波に乗り、同じ体験を共有することができるのですから。
OSTの空間を日常につなぐ架け橋に
以上ここまで、OSTの体験からの学びと、開発者のハリソン・オーエン氏の言葉を振り返りながら、OSTの価値を再考してきました。
あらためてOSTの現代における意義を述べてみると、OSTとは、自己組織化の振る舞いをマイクロコズモ(小宇宙)として感じ取れる空間であり、人間が本質的には自由な存在であることを学ぶ空間であると言えます。その空間でのエクスペリエンスを重ね、自己組織化のマインドセットを養うことが、これから私たちが自律分散型の組織や社会に移行していく上で大きな意味をもつのではないでしょうか。
そうした想いを念頭に置きながら、OSTの実践を、そしてプラクティショナーの輪をさらに広げていきたいと思います。
そして、オーエン氏は上述の書籍の中で、OSTの学びをより広い日常の世界に広げていくこと、OSTを起点として自己組織化する世界を広げていくことへの願いを込めて、次のように語っています。
「OSTの集合的な経験を出発点として、自己組織化、自己組織化としての人間システム、そしてそのパフォーマンス・レベルをサポートし最適化する方法について、より深く議論していきたいと考えている。最終的には、自己組織化する世界における真のリーダーであるウェーブ・ライダーとしての役割を学び(思い出し)、実践することになる。(中略)私たちは、OSTから得たこれらの教訓を、対象となる企業の規模を拡大するための基礎として使用するつもりである。それは、時間や空間が限定されたイベントというやや狭い範囲から、大小を問わず、現実の生きた組織という、より拡大された重要な領域へと移行することである」
そうした探求と実験に取り組み始めたオーエン氏の旅路は、まだ道半ばだったかもしれません。しかし、サーフィンでは、一人が波に乗る時間はほんの一瞬であり、他のサーファーが後続の波に続いていくのと同じように、オーエン氏から直接学びを共有していただき、想いを受け継いだものとして、日常のビジネスの中にOSTの原理を埋め込む方策を探求し、OSTの空間を日常につなぐ架け橋を築いていきたいと考えています。
その一環として、ヒューマンバリューではここ数年をかけて、「チームステアリング」というチーム運営の手法を開発してきました。これはOSTを含め、様々な自律分散型組織を実現するためのあり方や方法を探求する中から生まれた、チーム・マネジメントやコミュニケーションの手法であり、置かれた状況や文化が異なる様々な企業において、既存の組織の中に自己組織化的な振る舞いを取り入れることを目指しています。こうした実践も重ねながら、自己組織化の旅路を歩んでいきたいと思います。
2006年、ハリソン・オーエン氏を日本にお招きした際、山梨県の小淵沢でおそらく日本で初めてになるであろうOSTを開催していただきました。その時、何よりも一番驚いたのは、OSTのオープニングのセレモニーが終わった後、オーエン氏がその場からいなくなってしまったことです。
素晴らしい学びと会話はリーダーが起こすのではない。主導役がいなくとも自分たちが自分たちの手で未来を創れることを、そして場を信じて委ねるファシリテーターのあり方を、身をもって教えていただいた体験として、大きなインパクトがありました。あの時、私たちの視界から消え、小淵沢の空の下で一人佇んでいたであろうオーエン氏は、どんなことを考えていたのでしょうか。オーエン氏がお亡くなりになられた今、ふとそんなことが頭に浮かびます。もしかしたら、今もカウボーイハットをかぶりながら、私たちに場を委ね続けてくださっているのかもしれません。
参考文献
『オープン・スペース・テクノロジー 〜5人から1000人が輪になって考えるファシリテーション〜』ハリソン・オーエン著、ヒューマンバリュー出版、2007年
Wave Rider: Leadership for High Performance in a Self-Organizing World, Harrison H. Owen, Berrett-Koehler Publishers, 2008