アジャイル組織開発とは何か
株式会社ヒューマンバリュー 会長 高間邦男
ソフトウエア開発の手法として実績をあげてきたアジャイルの考え方は、一般の企業組織にも適応可能で高い成果を期待できるところから、最近では企業内の様々なプロジェクトにアジャイルを取り入れる試みが見られるようになってきました。また、いくつかの企業では企業全体をアジャイル組織に変革させるという取り組みが始まっています。本稿ではこういったアジャイルな振る舞いを組織に取り入れていくための様々なアプローチを整理してみたいと思います。
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アジャイルとは
アジャイル組織とは何かを仮に定義すると、「自律したチームが、ビジョンや目的に基づいて、顧客のニーズを捉えて企画から実行、振り返りによる学習を短期間に反復することで、市場の変化に素早く対応して、高い成果を生み出していく組織」といった内容になるかと思います。 従来の一般的な組織では、企画立案し計画を作る人と、実行する人が別になっており、トップと現場で実行する人の間には、幾層もの階層があります。そのために意思決定に時間がかかり、上下の情報のやり取りにもフィルターがかかってしまいます。また機能別の組織のため、前行程の指示に後工程が従うだけという構造になっていますので、現場での自律性や創意工夫の余地がなくなりがちです。現場で顧客からの反応を受けて立ち上がってくる問題意識が前工程に遡っていきづらいという弊害があるのです。 こういった構造が、激しい変化への素早い対応を遅らせ、顧客視点でのイノベーションを妨げるとともに、従業員の主体性を損ない、顧客や目的へ貢献したいというモチベーションを低下させているのではないかという問題意識を多くの企業が持ち始めています。それを打開するための方策として注目されているのが、計画統制型の階層組織から自律分散型のアジャイル組織へのシフトなのです。
アジャイル組織にすることで、企業の全部門全メンバーが顧客に提供する価値を最大化することに向き合い、変化に素早く対応して業績を向上させるとともに、メンバーの自律性と学習を高めることでメンバーの幸福度を向上させることを狙っているといえます。
ではアジャイルという考え方は、どのようなことをいうのでしょうか。
アジャイルの考え方の源流は、全社的改善活動のトヨタ生産方式だといわれています。それは、「カンバン」という仕組みや、組織をまたがって関係者が一堂に集まり、目的達成を阻害する要因を早いサイクルで取り除く「大部屋」の取り組みなどです。それらを紹介した野中郁次郎氏等の論文が刺激となって、米国の研究者たちによってリーン生産方式という名称でフレームワーク化された結果、欧米の多くの企業に導入されるようになりました。
またもう一つの源流は、C.アレクサンダー氏が提唱した「パタン・ランゲージ」という建設の手法からのヒントだといいます。一般的な都市計画では、専門家が机上で全体の計画を一度に設計して施工しますが、実際に出来上がってみると生活者やコミュニティにとっては望ましいものにはなっていないことが多いものです。それに対してアレクサンダーが提唱した方法は、そこで生活する住民自身が参加して、日常生活の一つひとつの場面や部分からどのようなあり方が望ましいのかを話し合ってデザインを積み上げていく方法です。このようなヒントから、ソフトウエアのプログラマーたちが、アジャイル・ソフトウエア開発の方法を考え出したのです。
従来のソフトウエア開発や製造工程で一般的に行われていたウォーターフォール型の開発は、最初に全体の機能設計・計画を決定し、この計画に従って開発・実装していく手法です。それに対してアジャイル・ソフトウエア開発は、大きな単位でシステムを区切ることなく、小単位でうまくいきそうなことをテストしてみて、フィードバックを得て、調整することを繰り返して開発を進めていきます。その結果、従来の開発手法に比べて開発期間が短縮されることや、大幅なコスト削減が図られ、ユーザーの満足度も高いという利点があります。
2001年に17名のソフトウエア開発技術者は、その考え方を「アジャイルソフトウエア開発宣言」としてまとめました。そのメンバーが主催するアジャイル・アライアンスのホームページには、アジャイルの価値観とその背後にある12の原則が紹介されています。これらの価値観と原則は、どのようにして変化を生み出し、変化に対応し、不確実性にどう対処するかについての指針を提供しています。
プロセスやツールよりも、個人や相互作用
包括的なドキュメンテーションよりも、動くソフトウエア
契約交渉よりも、顧客との連携
計画に従うよりも、変化への対応
つまり、左のものには価値がありますが、右のものはもっと評価します」
アジャイル・アライアンスでは、アジャイルを単なるプラクティス(手法)やツールとして捉えるのは的外れだと考えています。アジャイルは人と文化のあり方が基礎にあるのです。アジャイルは、私たちが具体的な実践を通して、オープンで協調的で思索的になり、人びとの違いや複雑さを受け入れて、より良い方向に向かっていくムーブメント(運動)だとしています。
アジャイルムーブメントは「相互の信頼と尊敬に基づく価値観の集合であり、人を中心とした組織モデルの推進、コラボレーション、そして働きたいと思えるような組織的なコミュニティの構築である」といっています。
アジャイルの強みは、人々を活気づける原則・価値観と、それを実現する具体的で実行可能なプラクティスの両方を兼ね備えているので、組織の階層、サイロ、機械的で制限の多いプロセスに苦しんでいる組織に対して、待ち望んできた道筋を提供できるはずだと主張しています。
アジャイル組織への取り組みの様々な形態
アジャイル組織のイメージは、小さいチームに権限が分散され、自己裁量で効率的に動くネットワーク型組織です。このチームは、トップダウンの指示命令によって動くのではなく、企画から実行までを自ら行っていきます。具体的には、ビジョン・目的の共有、テンション(気がかり)の共有、短い実行期間(スプリント)の設定、日々のチェックイン・ミーティング、バックログの管理、顧客からのフィードバックデータによる検証、短期間での振り返りを自律的に繰り返していきます。
こういったアジャイル組織をどのように現在の組織に取り込むのかの形態は、企業の取り組みの目的、組織のどこで実施するのか、どんな規模で導入していくかによっていくつかのタイプが見られます。
① ソフトウエア開発部門をアジャイル組織にする
② テスト的に社内のプロジェクトチームをアジャイルで運用する
③ 社外に出島的にアジャイル組織を作る
④ 特定の部門をアジャイル組織にする
⑤ 全部門・全社員をアジャイル組織に切り替える
KDDIがソフトウエア開発にアジャイルを導入にしたことは、メディアに事例として発表されていました。もともとKDDIの行動基準はアジャイルの考え方にぴったりですので、価値観そのものは従業員に違和感がないものと思われます。
社内のプロジェクトチームをアジャイルにする取り組みは最近増えているようです。ロート製薬などいくつかの企業の事例がメディアに紹介されています。
いきなり社内にアジャイルを取り込んでも、今までの統制型の文化や人事制度とそぐわないので、社外に「出島」として、スタートアップ企業などとコラボしながらアジャイル組織を作ることも試みられているようです。しかし、この場合うまくいってもそれを本体に戻して取り込むことが難しいのが課題になっています。
ソフトウエア部門ではない特定の部門をアジャイルにする取り組みも注目されます。アステラス製薬では、2021年の10月から研究開発部門をアジャイル型組織体制に変更する発表をしました。従来のバトンタッチ型の機能別組織であった研究本部を発展的に解消し、CScO(Chief Scientific Officer)の管轄のもとに、個々の創薬チームが自律的に医薬品創出に取り組むアジャイル型の研究組織体制にするそうです。
全部門・全社員をアジャイル組織に切り替える試みは、日本の大手企業での事例はまだ聞いていません。階層型組織をフラット型のネットワーク組織(自律分散型組織)に一気に変えるのは、経営トップの強力なリーダーシップが必要になるでしょう。海外ではスウェーデンの音楽ストリーミング配信事業で3億6500万ユーザーを抱えるSpotifyや、オランダの5万人の従業員がいるINGグループの事例が有名です。
アジャイル組織は中央集権型組織のピラミッド構造とは全く異なる組織形態を取ります。プロダクトやサービスのバリューストリームに関わるすべての人を集めたチームを組織の最小単位(スクワッド・分隊)とします。複数のプロダクトチーム(組織の最小単位)を束ねたSBU(トライブ・部族)を設定しますが、それ以上の階層化はせずに組織階層は2レベルまでとするそうです。
このようにアジャイルを取り込むには様々な構造がありますが、どのタイプで取り組むかは、企業のそれぞれの背景や状況によって異なる判断があって当然だと思います。ただし、形だけを取り入れたり、プロセスやプラクティス、ツールだけを導入するのでは期待した効果は出ないでしょう。
コロナ禍の影響でリモートワークが常態となり、アジャイル組織の持つ可能性が改めて見直されるようになって、アジャイルへの実験的な取り組みも増えてきていると思います。英国の大手石油会社であるB Pでも、アジャイルを導入する実験を行っているそうです。B Pでは、アジャイルなリーダーシップスタイルが従業員の能力を高め、積極性を引き出すのに役立つとしていますが、アジャイルで重要なのは、意思決定を分散させ、従業員に自分たちに必要な権限を持っていることを理解してもらい、一度に一つの問題に集中する企業文化を作ることだと理解したそうです。
アジャイル組織に変革していくアプローチは
【アジャイル組織に変革するためのアプローチ】
① 手法・フレームワークを導入する
② マネジメントの運用の仕組み(制度・慣習)を変える:計画統制のあり方、意思決定のあり方、評価制度、目標設定
③ 理念・マインドセットなどの組織文化の変容を目指す:バリュー・ビジョンの共有、部門ごとに適切な手法を採用する
④ 組織構造を変える:組織の階層を減らす、職能横断的なチーム組織
アジャイルを組織に導入するには、形から入る方が効果的だと考える人もいます。アジャイルなマネジメントプロセスを取り入れるだけで、アジャイルな振る舞いが自然と醸成されていくことも考えられます。例えば、「スクラム」というプラクティスを高校教育の授業に取り入れた海外の事例では、生徒が自然と積極的自律的に学習を進めるようになっています。Zoomなどのオンライン会議のツール、Slackなどのグループ・コミュニケーションのツールを入れたり、「ミロ」や「ミューラル」などの創造性を高めるツールを入れてみるのも、使ってみたら結構いいじゃないかというように、自然にマインドセットを変えるのに効果があると思われます。
また、人事評価制度などのパフォーマンス・マネジメントのあり方を変えることでも人びとの思考や行動が自然に変わるでしょう。個人の成績を順位づけして競争を促す仕組みをやめて、例えば、チームとしての目標を立てる、チームへの協力を評価する、チームとしての業績を評価する、評価は周囲からのフィードバックによって行うなどが、様々な企業で行われています。こういった制度もテストをしてみて修正するといったアジャイルな取り組みで実施したいものです。
アジャイル組織とは、アジャイルなマインドセットを取り入れることから始まると考える人たちもいます。例えば簡単なことでは、命令を伝達し報告を求める朝礼の代わりに、まず「自分が何をしたいかが問われる」チェックインを行えば、メンバーの自律性が高められるでしょう。また、役職で呼ぶのをやめて「さん付け」で呼んだり、丁寧すぎる敬語でメールをするのをやめるようにしたらオープンな雰囲気が加速するでしょう。
アジャイルな文化にしていくには、変化をすることを受け止める、不確実でもリスクをとって挑戦する、人対人のコミュニケーションを重視する、顧客との協働を推奨するといった理念が必要です。
アジャイル組織はチームが自律してそれぞれ意思決定をしていくので、組織全体の方向がバラバラにならないように、明確な目的やビジョンが大切です。目的やビジョンが組織全体で共有化されておらず、行動規範となるバリューも経営者や従業員が本気になって実現しようとしていない場合は、アジャイルを入れるのは難しいでしょう。
アジャイルを進める12のポイント
では、具体的にアジャイルに組織をオペレーションしていくにはどのようにしたらよいのでしょうか。一般的にいわれている特徴を整理して12のポイントにまとめてみました。
① 経営トップのコミット
アジャイルを実行すると旧来の組織の慣行や制度との軋轢が生じがちです。そういった障害を乗り越えるためには、経営層自らが実施目的を理解し、全社への強い働きかけを行うことが必要になります。
② 目的・ビジョンを全社員が共有する
経営層と全従業員が、新しい企業文化を創造していくことにコミットしなければなりません。そのためには、従来のマインドセットの鎖を解き放ち、メンバー一人ひとりが心から望む価値や目的を理解し、どんな組織の状態を実現したいのかを、オープンな対話を通して共有していく必要があります。
③ 組織横断で進める(Cross-functional)
アジャイルのチームは、アイデアから価値提供までを自律的に判断し、自分たちの裁量で迅速に実行できることが重要ですので、アイデアを考え、顧客に価値を提供するまでの(End-to-End)プロセスに関係する全ての部門から人が集まっている必要があります。エンジニア、デザイナー、マーケター、営業、など様々なメンバーによってチームが形成されます。
④ チームで取り組む
一つのプロジェクトを担当する少人数のメンバーでチームを構成します。効率性を高めるには、複数のプロジェクトを兼任しない、そのプロジェクトだけにフォーカスしたメンバーが望ましいとされています。そのために全社的な視野で、プロジェクトに優先順位をつけてメンバーをアサインする必要があります。スタート時には、無駄なことをしないために、過去の取り組み事例を調べたり、すでにあるリソース、そのテーマに取り組んでいる人などをつなげることが効果的です。
⑤ 目的主導(パーパス・ドリブン)
チームが自律的に裁量して動くためには、パーパス(目的)を明確にし、目的に沿って意思決定をしていくことが必要です。企業全体の目的から、各プロジェクトの目的が設定されていきます。目的やビジョンが絵に描いた餅のように、経営層や従業員が本気になっていない場合は、自律分散型組織はうまく機能しません。このチームとしての目的は、固定したものではなく暫定的なものとして、プロジェクトが進むにつれて進化していくのが望ましいとします。メンバーの一人ひとりも自分の役割ごとに目的(貢献する価値)を明確にしていきます。
⑥ 毎日のミーティング
毎日決まった時間に15分から30分程度のミーティング(チェックイン)を行います。メンバーが互いの持つ情報を最新の状態にします。メンバーは、「完了したこと」と、自分の業務を行う妨げになっている「気がかりなこと」(テンション)を手短に話します。短い時間で行うために立ったまま(スタンドアップ)、全体の進捗を見える化したボードなどを囲んで行うスタイルが一般的です。これはメンバーからの主体的な情報の共有とメンバー間の協力を促進することを狙いとしています。時間をかけて検討が必要な複雑な問題や、メンバー間の感情的な問題が出てきたときは、改めてミーティングを設定します。
⑦ 顧客視点
プロジェクトの顧客となるユーザーや社内部門のユーザー体験がより高い価値を生み出すことを目指して、ユーザーのペルソナを設定したり、ユーザーストーリーを作成します。
⑧ 反復的(Iterative)な仮説検証
仮説検証を短い期間で繰り返すことにより、進捗状態を見える化し、柔軟に軌道修正をしていきます。タイムボックス化したイテレーションで作業をすることで(スプリント)、変化し続ける顧客のニーズやフィードバックを適切に反映して調整する機会が得られます。
時間に限りがある規則的なサイクルが、プロトタイプを軽量なものにさせ、早めの軌道修正の機会を作るのです。
⑨ 振り返りを行う(Retrospective)
プロジェクトがしばらく進行した後、またはプロジェクトの終了時に、メンバー全員で振り返りを行います。チームの仕事の仕方を検討し、うまくいったことといかなかったことを率直に話し合います。次にはどんなやり方をすれば、自分たちと顧客が望む価値を達成できるのかをお互いで確認します。
⑩ 改善し続ける(Continuously Improving)
顧客の価値を上げ続けるために改善し続けます。
⑪ メンバーを支援する体制を作る(ピープルマネジメント)
従来の人事制度では、上司のいないアジャイル組織のメンバーを評価できないので、諸制度を変更する必要があります。こういった制度や予算、人材などのリソースを整えるには、経営層の全面的な支援が必要です。またチームにはマネジャーいないので、アジリティを適切に維持し、メンバーを元気づけ、支援するコーチ・メンター役が必要となります。メンバーでなくてもよいのですが、経営層とチームの間をリンクするリード役でもあるプロダクト責任者(スポンサー)も必要です。
⑫ デジタル・トランスフォーメーション(D X)
アジャイル組織を運営するにはテクノロジーのサポートが欠かせません。顧客を理解するためのデータ、オペレーションシステムの進化に合わせた運用ツールやシステム、コミュニケーションをオープンに促進するツールなどが必要です。リモートワークが常態になった場合には、効果的なITツールを使えるかどうかが、成果に大きく影響するでしょう。新しいテクノロジーを開発・導入・活用するために、IT部門のエンジニアと従業員が協働して取り組んでいくことが求められます。
二項対立としてアジャイルを取り上げないやり方
こういったアジャイルを進めるためのポイントや特徴は、あえてアジャイルとうたわなくても現在の組織に取り入れていくことで、成果が期待できるものが多くあります。変化に対しては必ず抵抗があるものですから、ステルスのように人々が気づかないうちに静かにアジャイルのマインドセットが広まっていくようにしていくのも効果的かと思います。
また、全てがアジャイルになればよいということではないでしょう。
バリー・ベームとリチャード・ターナは、適応的 (アジャイル) な開発手法と計画重視の開発手法のどちらを選択するかという問題に対する指針として、リスク分析手法を提案しています。ベームとターナは、アジャイルにも計画統制型のウォーターフォールにも、それぞれ得意分野があるとしています。
■アジャイル開発の得意とする状況
▷クリティカルではないシステム (顧客の業務に重大な支障を来す可能性がなく、人命に関わらないシステム)
▷熟練した開発者が参加する場合
▷開発中に頻繁に要件が変わる場合
▷開発者が少ない場合
▷混沌とした状況に対しても意欲的に取り組む組織的文化
■計画重視開発の得意とする状況
▷クリティカルなシステム(顧客の業務に重大な支障を来す可能性がある、もしくは人命に関わるシステム)
▷経験の浅い開発者が多い場合
▷開発中に要件がほとんど変わらない場合
▷開発者が多い場合
▷秩序を重視する組織的文化
二項対立的にアジャイルを捉えるのではなく、組織の置かれた状況に応じて、まさにアジャイルなアプローチによって、アジャイル組織への変容の問題を捉えていくのが適切に思えます。