組織にアジャイルを獲得する〜今、求められるエージェンシー〜
プロセス・ガーデナー 高橋尚子
激変する外部環境の中で、SDGsへの対応、イノベーション、生産性の向上などの山積するテーマを推進していくには、組織のメンバーの自律的取り組みが欠かせません。そういった背景から、メンバーの主体性を高めるにはどうしたら良いのかといった声がよく聞かれます。この課題に対し、最近、社会学や哲学、教育の分野で取り上げられている「エージェンシー」という概念が、取り組みを検討する上での参考になるのではないかと思います。本レポートでは、「エージェンシー」の概念と、それを醸成する観点を紹介します。
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主体性を超えた、より多様な能力を
こうした、組織にアジャイルな振る舞いを獲得するために、個人に求められる能力として大切なことは、「周囲の変化を捉え、より良くなるように、自らの価値観や考えに基づいた目的意識をもって、責任ある行動をし、周囲との相互作用を通して価値を生み出していくこと」とまとめられます。しかし、この内容を一言で表す単語は、日本の組織開発の文脈ではこれまで存在していませんでした。
近い言葉としては「主体性」が挙げられますが、この意味は、「行動する際、自分の意志や判断に基づいて自覚的であること。また、そういう態度や性格を言う」(日本国語大辞典)とあり、この中には、自らの価値観や目的意識、あるいは、周囲との相互作用を前提とするような概念は入っていません。
一方、哲学や社会学、教育の分野では、そうした概念を示す言葉として、「エージェンシー」があります。 それは私たちが馴染んできた代理業や代理店という意味とはまったく異なります。以下に、それぞれの分野でのエージェンシーの概念を紹介し、アジャイル組織開発でもエージェンシーという言葉を利用していく意味を検討してみたいと思います。
エージェンシーの定義とは
つまり、アマルティア・セン氏の言うエージェンシーは、人々が、自身の価値観や目的意識に基づき、自由に行動を選択できる能力を意味しているように思います。
また、教育の分野では、OECD(経済協力開発機構)が実施している、2015年から続く”OECD Future of Education Skills 2030”プロジェクトにエージェンシーが取り上げられています。この中で、エージェンシーは、「私たちが実現したい未来」を実現するために、生徒たちが高める必要のある能力として挙げられています。ここでのエージェンシーの定義は、「変化を起こすために、自分で目標を設定し、振り返り、責任をもって行動する能力」です。なお、ここに書かれている「責任」とは、「単に自分たちの欲求を実現することではなく、生徒が、その属する社会に対して責任を負うこと、また、そのことを自覚していること」(白井俊著『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』、2020年、ミネルヴァ書房 )とあり、責任は、エージェンシーの概念の基盤として位置づけられています。
つまり、OECDでいわれているエージェンシーは、属する社会をより良くするために、自分で課題を設定し、責任をもって働きかける能力を意味しているように思います。
さらに、”OECD Future of Education Skills 2030”では、エージェンシーは、周囲との相互作用の中で育まれていくことが書かれています。それは、「共同エージェンシー」と呼ばれ、「生徒、親、友人、教師が、教育経験を通じて、自分たちの発達を双方向的に共同して律すること」(前掲『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』)と定義されています。
つまり、複雑な課題を解決するためには、様々な人との協力が欠かせないことであり、協力することで、関わる人たちのエージェンシーが育まれるということがいわれています。
なお、OECDのミッションは、近年、経済的成長から、ウェルビーイング(究極的に人々が心身共に幸せな状態)をつくり出すことへと移行されています。そうした中で、「エージェンシー」の概念がキーとして挙げられていることも、興味深く感じます。
以上を整理してみると、エージェンシーとは、周囲をより良くしようと、自ら課題を設定し、周囲と協力し合いながら、責任をもって周囲に働きかけること。また、前提として、周囲への働きかけは、自らの価値観や目的意識に基づくものであると理解しました。
「主体性を高めるのにはどうしたらよいか」と考えている企業人がいうところの主体性とは、まさにエージェンシーの能力のことであるように思われます。組織にアジャイルな振る舞いを獲得するために、人や組織がエージェンシーを醸成することは、とても大切なことだと考えました。
そこで、ヒューマンバリューでは、「エージェンシー」を組織にアジャイルを獲得するために必要な人や組織の能力として、「周囲の変化を捉え、より良くなるように、自らの価値観や考えに基づいた目的意識をもって、責任ある行動をし、周囲との相互作用を通して価値を生み出していくこと」と仮止めですが定義してみました。
組織にエージェンシーを醸成するには
先述した”OECD Future of Education Skills 2030”では、周囲との相互作用から育まれる「共同エージェンシー」には9つの段階があるとしています。これは、プロジェクトの主導と意思決定に着眼し、生徒と大人との関係性を示したものです。このモデルは教育現場を想定したものになっていますが、生徒をメンバー、大人をマネジャーに置き換えると、企業の組織でのエージェンシーのレベルをよくイメージできると思いますので、言葉を置き換えた図を紹介させていただきます。
(8)メンバー主導: マネジャーとの対等なパートナーシップの下で意思決定を行っている |
メンバーとマネジャーとの対等なパートナーシップの下で、プロジェクトが進められている。 メンバーがプロジェクトを主導し、意思決定はメンバーとマネジャーの協働で行われる。 |
(7)メンバー主導: メンバー主導による意思決定を行っている |
マネジャーの支援を受けながら、メンバーがプロジェクトを主導している。マネジャーは相談を受けたり、メンバーの意思決定を助けているが、すべての意思決定は究極的にはメンバーが行っている。 |
(6)マネジャー主導: メンバーも意思決定に関わっている |
プロジェクトの主導はマネジャーが行っているが、メンバーも意思決定のプロセスに加わっている。 |
(5)マネジャー主導: メンバーも情報は与えられていたり、意見が採り入れられたりする |
プロジェクトをどのように進めていくかについて、メンバーはマネジャーから相談されたり、その結果について知らされているが、プロジェクトの主導や意思決定はマネジャーが行っている。 |
(4)マネジャーによる指示: メンバーに情報は与えられているが、意思決定にはかかわっていない |
メンバーは特定の役割を与えられており、どのように、また、なぜやるのかについて知らされている。しかしながら、そうした自分たちの位置づけについて、メンバーが主導したり、意思決定を行うことには参加していない。 |
(3)見せかけ | マネジャーがメンバーに選択肢を与えているように見えるが、その中身や参加方法については、ほとんど、あるいはまったく選択肢がない。 |
(2)装飾 | マネジャーが自らの主張を強化するために、メンバーを利用している。 |
(1)操作 | メンバー主導であるかのように、マネジャーがメンバーの主張を利用している。 |
(0)沈黙 | マネジャーもメンバーも、メンバーが貢献できるとは考えておらず、マネジャーがすべて主導し、すべての意思決定を行う一方で、メンバーは沈黙している。 |
たとえば、レベル4「マネジャーによる指示」では、メンバーは特定の役割を与えられており、どのように、また、なぜその業務を行うのかを知らされているものの、そうした位置づけについて、メンバーが主導したり、意思決定を行うことはないという状態です。レベル7の「メンバー主導」では、マネジャーの支援を受けながら、メンバーがプロジェクトを主導しており、すべての意思決定はメンバーが行う状態です。レベル8の「メンバー主導」は、同じくプロジェクトの主導はメンバーですが、意思決定はメンバーとマネジャーの協働で行われる状態で、メンバーとマネジャーには対等なパートナーシップが築かれています。
レベル7は、組織において、いわゆる権限移譲と呼ばれる状態かもしれません。この段階では、メンバーの経験や知見は生かされ、エージェンシーが育まれていきますが、意思決定にマネジャーが関わっておらず、マネジャーの経験や知見は生かしづらいように思います。 レベル8では、意思決定の際にマネジャーとメンバーが協働することで、働く一人ひとりの経験や知見が生かされ、メンバーだけでなく、マネジャーのエージェンシーも醸成されているような状態であると考えられます。もちろん、すべての業務においてレベル8が望ましいということではありませんが、臨機応変に様々なレベルを行ったり来たりしながらも、レベル8のように、働く人たちが対等に関われるような状態を少しずつ増やせるよう、皆で努力をしていくことも、大切なことのように思います。
そうした、組織全体でエージェンシーを醸成し合える状態を実現するには、日頃からの工夫も大切になってきます。たとえば、話し合いの際、お互いの意見を、その背景にある思いや感情までイメージしながら最後まで聴くことを意識し合えると、多様な価値が生かされ、一人ひとりの場への参画が進み、新たな価値や取り組みにつながることもあるかもしれません。また、話し合いの場に原則を決めて明文化し、ルールとして共有することも1つの方法でしょう。ヒューマンバリューでは、アジャイルなチーム運営手法の原則として、「リスペクト」「目的主導」「自律性」「オープン性」「実験性」の5つを定め、提唱しています(詳しくは、こちら)。さらに、個人の内面にある心理的な妨げが、こうした原則の遂行を阻害することもあるので、一人ひとりが自身の内面を見つめ、心理的な妨げを自覚しておくことも大切なことのように思います。
おわりに:エージェンシーを醸成するプロセスが、組織の価値創出と人々のウェルビーイング向上につながる
また、一人ひとりも、自身の価値観や実現したい状態を自覚し、周囲と関係性を育みながら新たな行動を起こしていく過程を通じて、働きがいや生きがいを見出し、ウェルビーイングが向上します。
このことは、データからも示唆されます。本レポートを作成するに当たり、私たちが2019年にビジネスパーソン1万人を対象に行った、エンゲージメントに関する調査をあらためて解析してみました。重回帰分析を行い、変数間の重要度を調べたところ、ウェルビーイングに関連する「人生の充実感」「働く意味・使命感」「ビジョンへの共感」「自分らしさの発揮」の項目を高めるのに最も大きく影響する設問として、「私は、自分自身の実現したい状態に向けて、常に自分が置かれている環境でその時にすべきことを明らかにし、熱意をもって取り組み続けている」が挙がりました。自身の価値観を自覚し、課題を見出し、熱意をもって周囲に働きかけることは、自身のウェルビーイングの向上にもつながっていくという可能性が、データの側面から示唆されているように思います。
自身の価値を見つめ、仲間と対等な関係性を育み、恐れることなくアクションを生み出していく組織を実現していくといった、エージェンシーを醸成するプロセスこそが、組織にアジャイルを獲得し、組織の継続的な価値創出と、人々のウェルビーイングの向上の両立を実現していく営みです。こうした営みが、今、VUCAの時代において求められる人と組織のあり方なのではないでしょうか。