自律分散型組織で求められる個人のマインドセット変容
株式会社ヒューマンバリュー 会長
高間邦男
今日、企業がイノベーションを行っていくには、メンバーの自律性と創造性の発揮が必要だと言われています。それを実現するために、先進的な取り組みを行う企業の中には、組織の構造を従来の管理統制型のピラミッド組織から自律分散型組織に変えていこうという試みをしているところがあります。それを実現する方法としては、組織の文化や思想を変革していくことが求められますし、運用面ではコミュニケーションのあり方やミーティングの進め方などの新しいプロセスを獲得していくことなどが行われています。しかし、新しいパーパスを掲げ、新しいツールを導入して変革に取り組んでも、途中で壁にぶつかり頓挫したり、後戻りをする事態が起きがちなようです。その原因の一つとしては、経営層やメンバーの個人の意識にあるメンタルモデルが変わらないことが挙げられるでしょう。
本稿では、そもそも自律分散型組織がなぜ求められるのか、どのような状態を構築すればよいのかをおさらいしたうえで、組織のメンバーの意識の自己変容をいかに図ればよいのかを考察していきたいと思います。
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1. 自律分散型組織が求められる背景
企業のユーザーのニーズの変化が早く、技術のイノベーションが加速し、政治経済の環境変化も厳しくなってきている今日では、従来多くの企業がとってきた階層型の中央集権的な統制型組織の構造では、対応が難しくなっているのは自明なことだと言ってもよいのではないでしょうか。
以前のような変化のスピードが緩く、数年先まで見通せるような安定的な状況の中で、大きな固定資産を背景に、同じ製品を安く大量に作って販売することで成長できる時代では効果的であった、いわゆるピラミッド型組織が、今日では逆に企業の機動力を削ぐようになってしまったわけです。ピラミッド型の難点は、さまざまあるかと思いますが、第一はユーザーや外部環境のセンサーである現場の情報や感覚がトップに上がりづらいために、適切な意思決定がしづらいこと、第二は意思決定に時間がかかること、第三はメンバーが積極的受け身になってしまい、自律性や創造性が充分に発揮されないことなどが挙げられます。
そういった障害を克服して、企業がより成長するために、組織を自律分散型に変えていこうというのが、自律分散型組織が求められる背景の一つです。中央集権的だった権限を、チームや個人に分散させて、自律的に外部環境の変化やユーザーのニーズに対応して行動してもらうことを意図しています。これはいわゆる丸投げとは意味が違います。それぞれのチームや個人に高い基準と成果を求めるとともに、組織全体としての方向性が整合するようにしなければならないので、従来よりも複雑な、統制するのではないマネジメントシステムが求められます。また、指揮統制型のリーダーシップ・スタイルも通用しなくなりますので、マネジャーやリーダーに、コーチやメンター、ファシリテーターのスキルを持ったサーバント・リーダーシップ型への変容が求められます。
2. 人的資本経営に進化させるために
自律分散型組織が求められる背景のもう一つが、投資家からの要請です。近年に飛躍的に成長を続けている企業では、有形資産よりも無形資産が多くなっている傾向があります。米国のS&P500の企業価値に占める無形資産の割合は、1975年では17%だったものが、2020年には90%になっています。従来の財務報告では無形資産の状態が投資家に見えません。そこで、非財務情報の開示義務が企業に課せられるようになってきました。この無形資産の中でも、特に企業の成長に大きく影響するのが人的資本だと言われています。自社の従業員をコストではなく、企業が成長するための投資として人的資本を捉えます。日本でも人的資本経営がバズワードになってきています。大手企業は人的資本の状況を表す指標(メトリック)を報告することが、投資家や政府などから要請されるようになってきました。
ISO30414や国際会計基準財団などが要請している基準がどういうものかをイメージするために、参考までにさまざまな基準からおよそ共通する項目を整理してみました。それは次のようになります。
1. 人的資本情報属性(フルタイム、パートタイム、派遣など)
2. 採用、異動、離職
3. ダイバーシティ
4. ウェルビーイング
5. 安全衛生
6. スキル・ケイパビリティ
7. 人的資本投資
8. 後継者計画
9. 企業文化
10. 生産性
11. コンプライアンス、倫理
企業としては、これらの基準の数値が、他企業と比べて低いと公表が憚られるので、それぞれの項目の数値を個別に高めるような施策を打ちがちです。これはありがちな方法ですが、ギャップアプローチになってしまい、望ましいアプローチとは言えません。また、投資家が期待している内容でもありません。因果関係を押さえたシステム的なアプローチではないので、企業の持続的成長を促進させる原動力になることも期待薄です。望ましいのは、企業のパーパス(目的・存在意義)を明確にして、そこから実現したい状態であるビジョンを描き、達成するための戦略を模索していく中で、人的資本をどのように育てていくのかの一貫したストーリーを生み出すことだと言われています。
全ての基準を高めることよりも、自社の文化や状況を踏まえて、目的と連動した人的資本への取り組みを戦略的にデザインし、どこをレバレッジとして力を入れていくかを考える必要があります。それを、ナラティブにさまざまなステークホルダーとダイアログをして共有していくことこそが大切なことだとされています。
3. プロジェクトアリストテレスの知見を活かして
人材開発に携わる方には記憶にあることかと思いますが、2015年に発表された米国Google社のプロジェクトアリストテレスの調査結果には学ぶことが多くあると思います。この研究は、調査の規模においても、関わった研究者の質の高さからいっても、人事分野の研究成果としては重要な知見として踏まえておきたいものです。
プロジェクトアリストテレスとは、Google社が2012年に開始した労働生産性向上計画に与えられたコードネームです。Google社は、生産性の高いチームが持つ共通点を見つけるために、何百万ドルもの資金と約4年の歳月を費やしました。統計学者やエンジニア、組織心理学者、社会学者などさまざまな分野の専門家を召集し、Google社内に多数あるプロジェクトチームの活動成果と所属メンバーの言動を細部に至るまで調査分析しました。
その結果、心理的安全性が労働生産性を高める重要な要素であると結論づけたことで有名です。人的資本経営のあり方を検討する際に、この調査結果を踏まえておくことも大切ではないでしょうか。
この調査結果では、チームパフォーマンスに重要でないことも明らかにしています。
「誰がチームにいるのか」「チームメンバーがどのように協力し合っているのか」という点はそれほど重要でないことです。さらに、チームのパフォーマンスに大きくは関係していないこととして、次のことを挙げています。
・ 場所(同じオフィスに一緒に座っているか)
・ 合意形成による意思決定
・ メンバーの外出
・ 個々のパフォーマンス
・ 仕事量
・ 経験年数
・ チーム人数
・ 期間
4. アジャイル組織を実現するには
一方、チームのパフォーマンスにとって重要性が高いのは、以下の順になっています。
1位は心理的安全性、2位は信頼性、3位は構造と明快さ、4位は意味、5位は影響(インパクト)でした。
心理的安全性とは、対人関係のリスクの重要性に対する認識です。他者から無知、無能、否定的、破壊的であると見なされるような行動をしても安全だと感じることです。高い心理的安全性を持つチームでは、間違いを認めたり、質問したり、新しいアイデアを提示したりすることに恐れを持つことがないのです。それに加えて、メンバーは責任感を持って仕事を遂行し、各人が仕事の役割・達成プロセス・成果を理解しています。目標は個人やグループで設定することができ、具体的・挑戦的です。各人が存在意味としての目的意識を持ち、自分の仕事が組織の目標に貢献していることを認識しています。
こういったGoogleは、企業の成果はチームによってこそ生み出されるとして、そのチームのパフォーマンスを高めることは何なのかを明らかにしました。これらのポイントを考えると、従来型の計画統制型組織にみられる指示命令によるマネジメントでは、チームパフォーマンスを高めるのが難しいことが分かります。
自律分散型組織がチームのパフォーマンスを高める構造になっているのです。特にアジャイル組織が、心理的安全性を高め、チームの力を高め、主体性と創造性を高めることにつながります。それによりイノベーションなどのチームパフォーマンスが高まります。指示命令ではなく意義のある目的によって自律的に取り組み、自分達で仮説検証のサイクルを回すので学習性が高まり、個人の成長も図られるところから、人間が幸せに生きること、人の尊厳が守られるといったウェルビーイングも高まるなどの効果があります。こういった状態に適している組織の思想と構造、そして運用のあり方がアジャイル組織といえるでしょう。
自律分散型組織を実現するには、組織の中にアジャイルな振る舞いを定着させていくことが必要です。
アジャイルとは何か、アジャイル組織にしていくにはどうしたらよいのかについては別のレポートで紹介しているので、詳しくはそちらを参照してください。
ポイントを整理すると、アジャイル(Agile)という言葉は、直訳すれば「機敏な」「素早い」といった意味になりますが、変化を創造し、変化に対応する能力のことを指しているようです。アジャイル組織とは「自律したチームが、ビジョンや目的に基づいて、顧客のニーズを捉えて企画から実行、振り返りによる学習を短期間に反復することで、市場の変化に素早く対応して、高い成果を生み出していく組織」とヒューマンバリューでは定義してみました。
アジャイル組織に変革するためのアプローチとしては、第1に企業の文化や思想を変革させることがあります。第2に、組織の階層を減らす、職能横断的なチーム組織を作るなど組織構造を変えていくことがあります。第3に、計画統制のあり方、意思決定のあり方、評価制度、目標設定の仕方などマネジメントの運用の仕組みを変えることがあります。そして第4に、アジャイルの手法やフレーム、テクノロジーを導入することがあります。
当然、経営トップの強いコミットメントがないとうまくいきません。部分的に一部の組織に導入することは可能ですが、その場合は全社的な広がりが起きづらいようです。
アジャイルの重要性が言われて、何年も経っているのですが、IT部門への導入はかなり進んできたものの、それ以外の組織への導入は進んでいないようです。スタートアップ企業などで最初からアジャイルに進める場合はうまくいくようですが、既存の組織にアジャイルな組織を作ったり、ツールを導入してもうまくいかないことが多く、途中で壁にぶつかって止まってしまう、時には経営層が変わって後戻りしてしまうことが起きがちです。
5. 求められる個人の自己変容
アジャイルな組織の運営をしようとして、壁にぶつかりうまくいかなくなる原因としては、コミュニケーションを補完するツールがなかったり(Slackなどを使うのが効果的ですが)、従来の伝統的な階層組織構造による上からの圧力やサイロ化された組織間の壁だったり、個人の成果だけを評価する人事制度など多々考えられます。
しかし、本質的な原因としては、個々人の意識にあるメンタルモデルが阻害要因になっていることが多いのではないかと思います。このメンタルモデルは、誰もが持ちがちな個人の不安・煩悩と言い換えてもいいでしょう。その不安や煩悩が、アジャイル組織の持つ理念や思想を実践するときに抵抗感を起こします。先に述べた、心理的安全性を高めるという取り組みも、個人の不安を減少させようという意図です。
心理的安全性の高い環境を周囲で用意するということは、重要なことだと思いますが、周りが個人に不安を感じさせない環境を整えると個人の脆弱性が克服できない恐れもあります。ストレス耐性が強くなりません。例えば、子供を安全な砂場だけで遊ばせて、転んでも大丈夫なように石などは全部取り除いておくと、怪我はしませんが、自然な環境で対応する力が育たないでしょう。同様に心理的安全性の確保を周囲に期待するだけでなく、個人としては、別に自分の内面で強靭性を育てる必要があります。
不安や煩悩が、完全に消滅することは普通にはありません。そうした不安を払拭したり、個人の強靭性を高めていく上で、現在ビジネスの世界においても、レジリエンスや、マインドフルネス、認知行動療法のACTなど、様々なアプローチが試行されています。その中でもたとえば、マインドフルネスなどにも大きな影響を与えている仏教では、煩悩が完全に消滅した状態を涅槃と言い、悟りの境地となります。それには長い年月の修行が必要とされていますが、こうした仏教の考え方からも私たちは学べるところが多くあります。
組織の活動をしている中では、さまざまな不安や煩悩が立ち上がります。不安については、前に心理的安全性のところで触れました。そこで煩悩にはどういったものがあるでしょうか。世間では108の煩悩とか、8万4千の煩悩とかも言われています。
苦を招く基本的な心作用としての煩悩は、仏教では代表的なものとして貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)・慢(まん)などと整理しています。貪は生存への執着で貪りの心です。瞋は怒りで、自分の思い通りにならないことから発生します。痴は無明ともいい、事理に暗いことです。何が正しいのか理解できません。慢は人に対する優越意識です。自分は他の人より優れていると思って、人の話を聞かず、見下す態度を取ります。
こういった煩悩が、アジャイルな組織運営を行うときに、心の中で立ち上がり抵抗するわけです。自律分散型では、フラットな組織になりますし、全てのメンバーが平等の価値や尊厳を持っていると考えますので、自分が中心になって決めることができませんし、発言量も平等になるように制限されます。こういった自分の思い通りにはならない状況をすんなり受け入れることができないと、心の中にある煩悩が疼いて抵抗し始めます。その時に、自分の煩悩が立ち上がっているのを自覚しないで、この会議の進め方はおかしい、時間の無駄だというように、他を攻撃するようになりがちです。
そこで大事なのは、自分の煩悩を自覚できることです。それには自分の心をその都度に内省する力が必要です。煩悩が立ち上がったなと気づきますが、その煩悩を押さえ込んだり、否定したりせずに、自分の手のひらに載せるように受容します。自分が反応的な行動を起こす前に一呼吸して立ち止まります。そして次に、本当に自分が目指す理念や実現したい価値に照らして、自分の思い方や行動を修正していくことが大切です。
人的資本経営では、メンバーのスキルやケイパビリティをアップすることが求められます。個人のスキルとして測定できる能力も大切ですが、こういった個人の意識のレベルを高めることも大切です。個人が自分の地位の向上を目指す出世や、収入増を目指す手柄集めに囚われていると、自律分散型組織の育成や、社会的な大義を目指すパーパスの実現、働くメンバーたちのウェルビーイング、イノベーションを阻害するようになるでしょう。
個人が実現したい姿や価値への強い願いを持っていて、それが企業のパーパスと共振していることが必要です。そしてメンバーは、不安や煩悩から自己を解放させながら、願いに向かって自分を磨き続けているのが理想です。こういった個人の意識変容に対して、どのように企業がサポートし、働きかけができるのかが、これからの企業にとっては重要な課題になっていくと思います。