コラム:『会話からはじまるキャリア開発』あとがき
ヒューマンバリューでは、2020年8月に『会話からはじまるキャリア開発』を発刊しました。本コラムは、訳者として制作に関わった私(佐野)が、発刊後の様々な方との対話や探求、そして読書会の実施を通して気づいたこと、感じたことなどを言語化し、本書の「あとがき」として、共有してみたいと思います。
関連するキーワード
書籍に寄せられた反響から見えてきたキャリア開発の現在地
『会話からはじまるキャリア開発〜成長を支援するか、辞めていくのを傍観するか〜』は、2019年に出版された『Help Them Grow or Watch Them Go: Career Conversations Organization Need and Employees Want』の訳書であり、米国でエンゲージメントやキャリア開発の大家ともいわれているビバリー・ケイ博士と、ジュリー・ウィンクル・ジュリオーニ氏が共著で執筆されています。本書は、社員の成長やキャリア開発の支援をテーマに、マネジャーとメンバーの間で、短くても頻繁なキャリア・カンバセーションを行うことの重要性を説いた書であることに大きな特徴があります。また、「何になりたいか」に焦点を当て、組織の昇進の階段を順調に昇っていくことを目指す「はしご型」のキャリア観から脱却し、「何がしたいか」というキャリア・ビジョンに向かって、「組織内の上下横あるいは組織外などを自由に移動したり、昇進や昇格を伴わなくても成長できるといった考えをもとにした「ボルダリング型」のキャリア観への転換を促しています。」
本書の発刊に伴い、キャリア開発について社内のメンバーやクライアントの皆さまと対話することが増えたのですが、そこで寄せられた反響の大きさに驚きました。届いた声には多様なものがありましたが、キャリア開発の現状として、以下のような視点が見えてきたように思います。
まず、「キャリア」という言葉の定義の広さです。「キャリア」という言葉そのものが連想させるイメージは1つではなく、人によってそれぞれ異なっているように感じます。たとえば、「3年後には○○というスキルを身につけていたい」「管理職になってチームをマネージしたい」といった短期的・具体的な目標を掲げる人もいれば、「こんなふうに働きたい」という願いや仕事の価値観を語る人、あるいは「人生でこんなことを成し遂げたい」といった長期的なビジョンを語る人もいるかもしれません。本書の冒頭では、(メンバーの育成に携わる)マネジャーに向けて、「キャリア開発とは、他者の成長を支援すること」という明確な定義を提示しています。しかし、一人ひとりがもつキャリアのイメージは、それまでの経験や価値観、周囲の環境によって形づくられたもので、必ずしも一般的な共通認識があるわけではないと思います。
次に、一口にキャリアといっても、各組織の特徴や課題意識によって、手を打ちたい領域やその目的が異なっていることもあります。人事・人材開発に関わる方々と話す際にも、シニア社員について課題意識をもっている人もいれば、若手のリテンション、組織内のキャリアパスや仕組み、外国人・女性・非正規社員活躍の施策、年齢別キャリア研修、さらには人事としての自分自身のキャリアについて語る人にも出会いました。こうした理由から、「キャリア」というと、どことなく掴みどころがなかったり、話が噛み合わない、議論が拡散してしまうといったことが起きがちなのではないかということも感じます。
そうしたことを踏まえても、「キャリア」というテーマは今多くの人から関心を集めているテーマであるということも、実感するようになりました。また、人・組織に日々向き合う私たちにとって、キャリアは従業員のエンゲージメントやリテンション、モチベーションといった要素にも大きく関わる、大事なテーマとなっています。そのため、所属や役職を超えて情報共有をしたり、対話することで、何かしらヒントを得たり、共に探求したいというニーズをもつ人が非常に多いことに気がつきました。
そして、年代別キャリア研修、キャリアシートの記入、面談といった、従来からなじみのある施策について、課題感を口にする人にも多く出会いました。その要因として、キャリアについて考えることが、日々の仕事とのつながりがなく現実離れしているように感じられたり、人事に求められるままに施策を実施して形骸化してしまうなどといった声もありました。組織が提供している研修や制度が、日常の仕事とどう結びつくのか、そして、自らの成長や生き方にどんな影響を与えているのかということを、イメージしづらくなっている側面が少なからずあるのかもしれません。
こうした声は、私自身が本書の翻訳プロセスを通して探求してきた「キャリア」というテーマを立体的に、さらに深く探求するきっかけを与えてくれました。
読書会が広げてくれたキャリア開発の地平
そして、今回初の試みとして、発刊後に読書会を行いました。キャリア開発に関心をもつ多くの方々と本書を使って対話を行うことで、上記のような課題に対するたくさんのヒントが得られたように思います。
読書会は、冒頭で簡単に本書の概要をお伝えした後、参加者が分担して各章を読み、印象に残ったこと・大事だと思ったことを共有し合い、最後に全体を通しての感想やさらに探求してみたいことを対話するスタイルで実施しました。各回2時間程度で、10名ほどの参加者の皆さんとオンラインで実施したこともあり、短時間で1冊の本が読めて、対話もできるという手軽さも好評でした。
この読書会ですが、もともと発刊前から計画していたものではありませんでした。まずは出版元である自分たちが本書の内容について理解を深めたいという想いから、社内のメンバーと実施したのがきっかけとなり、ぜひ社外の方々にも本書を知ってもらいたいという感想のもと、ヒューマンバリューと普段から関わりの深いクライアントの方々にお声掛けをし、読書会を実施することになりました。ここでも、本をきっかけとして互いの悩みや考えを共有したり、対話することの価値を感じてくださる方が多く、さらに一般向けに広く募集をするなど、参加者の幅が自然と広がっていきました。
こうしたことが、最初からすべて計画されていたわけではありませんでしたが、読書会を開催してみて、関心をもってくださる方が多かったこと、対話の深まりや気づきの大きさに非常に驚きました。ホストした私たちも当初は、参加してくださった方がなぜ読書会を「良かった」と感じてくれたのか、よくわかっていませんでしたが、読書会というスタイルそのものの特徴がこの取り組みを価値あるものにしていたということに、だんだんと気づくようになってきました。
そうした、読書会そのものの価値やそこで得られた気づきを以下にご紹介し、キャリアをテーマとした取り組みを行っていく上でのポイントを探ってみたいと思います。
働く仲間と「キャリア」や「成長」について会話する価値
本書では、マネジャー・メンバー間のキャリア・カンバセーションに焦点を当て、日常的かつ頻繁に、キャリアについて話し合うことを提案しています。しかし、クライアント企業内で行った読書会を通じて、必ずしも上司・部下の関係でなくても、共に働く仲間と「キャリア」や「成長」について会話する場をもつこと自体に価値を感じました。読書会は多様な組織からの参加者と行う場合もあれば、普段、共に仕事をしている同一組織の仲間と行う場合もありましたが、同じ職場の仲間と話し合ったときのほうが、日々の仕事や行動とのつながりの中で、普段感じているリアルなもやもやについて話し合う機会となり、より具体的で有意義な対話が可能になったように感じました。
そもそも、普段一緒に仕事をしていても、タスクや目標管理についてではなく、キャリアについてあらためて話すという機会は少ないかもしれません。本書の中に、「採用面接のときのように、上司が自分に関心をもち、深い問いを投げかけてくれた体験をもう一度してみたい」という従業員のコメントがありますが、これは、読書会の中で多くの人が取り上げ、何度も話題に挙がったパートでもあります。日々共に過ごす職場の中で、上司や仲間とのつながりを感じられる会話をすることで、キャリアという言葉にリアリティを感じ、日々の仕事の中で成長していくイメージをもちやすくなるのではないでしょうか。また、そうした会話を共に働く仲間と行うことが、互いのつながりを深め、信頼関係や安心感を高めていくようにも思います。
それぞれにとっての「キャリア」「成長」を受け止め合う
あるクライアントの社内で読書会を行った際に、「キャリアについては話すこと自体にハードルがある」「しっかりとキャリア・ゴールをもたないといけないというプレッシャーがある」という声が出てきました。こうした声にを受けて、後に運営メンバーで行った振り返りでは、「私のキャリア・ゴールが何か、まだよくわかりません」と率直に場に出せることが大事なのではないかと話し合いました。本当はよくわからないのに、あるべき姿にとらわれて、「明確なキャリア・ゴールがあります」「3年後にはこうなっていたいです」と言ってしまうと、有意義な対話や探求が行えなくなってしまうからです。そうした意味で、安心・安全な場で率直に意見を伝え、受け止め合えるということが、キャリアを探求する上では重要なことであると気づきました。
前述の通り、本書でキーワードとして取り上げられている「キャリア」や「成長」は、人によって多様な定義やイメージをもっている言葉だと思います。読書会の参加者の中にも、「キャリアについて話すことの大切さに気づいた」という方から、「私は成長したいとは思わない」「キャリアってよくわからない」「キャリアについて話すのって、少し構える……」といった率直な感想を述べてくださる方まで、多様な意見が出されました。
そうした中、読書会というフォーマットで対話ができたことは、非常に効果的だったのではと感じています。研修などのように講師からレクチャーを受けるわけではなく、書籍というニュートラルなコンテンツを「参加者全員で読んで感想を話し合う」というスタイルが、「あるべきキャリア開発」「答えがあるもの」「教えられるもの」といったイメージから離れ、個人の経験や価値観に基づく対話が行えるように導いてくれました。
また読書会では、「キャリアとはより多様なもの」「自分のこれまでの経験や感覚は間違いではない」といった前提を参加者の皆さんがもった上で、発言したり、他者の意見を受け入れる場ができていたように思います。キャリアのあるべき姿を学び、客観的な正解を求めるのではなく、職場内で自分たちなりの「成長」や「キャリア」とは何かといったことについて話し合ったり、共有することで、互いの成長やより良い働き方を支援し合えるようになることのほうが、ずっと重要なことではないかと感じています。
一人ひとりが自らの成長やキャリアに責任をもつ
キャリアに関する議論では、「メンバーのキャリア・ゴールを聞いても、自分の権限ではそれをかなえられない」といったマネジャーの悩みをよく聞くことがあり、部下の成長やキャリアについて、マネジャーが責任を負い過ぎている傾向があるようにも感じます。「育成する」「成長してもらう」といった言葉がマネジャーの重圧になってしまうこともありますが、同時にそれは、日々の成長の主役を部下から奪うことになっているのです。それぞれが多様なキャリア、成長の定義をもっていることを認め合い、役職に関係なく対話を行うことができれば、「マネジャーが責任をもつ」キャリア観から、「一人ひとりが自らの成長に責任をもつ」キャリア自律を促すことにもつながるのではないかと思います。
終わりに
社会的にも、様々な組織内でも、キャリア開発の重要性が叫ばれていますが、そうした中で、今回の発刊をきっかけに取り組んできた読書会は、単に書籍の内容の理解を深めるだけではなく、対話を通して個人のマインドセットを変え、同時に組織内の文脈やカルチャーを変化させる可能性を秘めた取り組みであったように感じました。職場には異なる世代、異なる役割や経験をもったメンバーが集い、それぞれがキャリアや成長といった言葉に対して多様なイメージをもっています。世間では、「今後求められるキャリアのあり方とは何か」といったテーマで語られることが多いですが、そうしたものにとらわれることなく、身近な場所で共に働く仲間一人ひとりがどのようなキャリアや生き方を求めているのか、判断や批判なしに耳を傾けてみることも大切ではないでしょうか。
もちろん、キャリアについて、具体的に取り得るアプローチや施策は様々あります。キャリア開発は、たくさんの要素が絡み合っているテーマであるからこそ、何か1つの施策ですべてが解決するわけでもありません。複雑に絡み合う要素を意識しながら、どこにどう働きかけるのが効果的かを見極めつつ、小さな変化を起こし続けていく必要があることは明らかです。しかし、「あるべきキャリア」を手放し、目の前の仲間のありたいキャリア、働き方、生き方に耳を傾けることで、「キャリア」という言葉をイメージする際に見える世界が少し変化してくるのではないかとも感じています。そうした土壌からこそ、キャリアや成長のありたい姿についての探求が生まれてくると感じます。