ワールド・カフェの「成り立ち」と「守りたいこと」について考える~ワールド・カフェ20周年に寄せて~
組織開発の代表的な手法の1つである「ワールド・カフェ」が誕生してから、今年で20年になります。1995年に創始者のアニータ・ブラウンやデイビッド・アイザックスたちの手によって生み出されて以来、数多くのワールド・カフェが実践され、今では世界中の企業やコミュニティで活用が進んでいます。日本においても、2007年に弊社からアニータ・ブラウンらの著書を『ワールド・カフェ~カフェ的会話が未来を創る』として翻訳出版させていただいたことも1つの契機となり、取り組みの輪が飛躍的に広がってきているように思います。
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かつてアニータ・ブラウンは、ワールド・カフェが生まれたときのことを思い返しながら、「カフェの空間で行われるこうした会話が、世界中の人々に貢献することを願って、『ワールド・カフェ』という名前を付けたのです」と私に語ってくれました。20年が経過した今、数多くのプラクティショナーの実践を通して、ワールド・カフェは世界や日本における話し合いのあり方に大きな影響を及ぼし、その願いがまさに実現していると感じられます。
誕生から20年が経過し、私たちを取り巻く環境や世界のあり方も、当時と比べて大きく変容しています。世界の不透明性や不確実性がますます高まる現在や未来において、ワールド・カフェや、ワールド・カフェに取り組む人々が果たす役割は、さらに大きくなるものと思われます。
そこで、本稿では、ワールド・カフェの今後のさらなる発展に向けて、ワールド・カフェが生まれた「成り立ち」を振り返り、あらためてワールド・カフェが何を目指していたのか、その背景にある哲学や原則を再探求してみたいと思います。そしてそこから、私たちが今後「守っていきたいこと」を考え、ワールド・カフェの可能性を広げるところに貢献できればと思います。
ワールド・カフェの原点に立ち返り、本質を見つめる
ワールド・カフェが生まれるきっかけとなったのは、アニータ・ブラウンたちが当時、世界的に関心が高まっていた知的資本経営に関するリーダーたちを自宅に招き、話し合いの場づくりを行ったことにありました。
当初アニータ・ブラウンたちは、雰囲気のよいテラスに出てダイアログを行う予定でしたが、その日はあいにくの雨でした。困ったアニータ・ブラウンたちは、家の中を見回しながら「この場に集まったゲストが、リラックスしてオープンに生成的な話し合いを行うには、どんな場や雰囲気が必要だろうか?」といった問いを自分たちに投げかけながら、テーブルに花瓶を置いたり、フリップチャートをテーブルクロスに見立てて敷いてみたり、テーブルの脇にコーヒーとクロワッサンを用意したり、「ようこそカフェへ」と書かれたかわいらしいサインを入り口に掛けたりと、楽しみながら、さまざまな工夫を凝らして、話し合いに臨みました。
ホスピタリティにあふれたその空間を訪れたゲストの人々は、コーヒーを飲んだり、クロワッサンを食べながら、カフェ・テーブルの周りで自然と会話をスタートしました。それはフォーマルなミーティングではなく、参加者の中から浮かび上がってくる想いや問いを共有し続けていくような話し合いの場でした。すると、誰からともなく自分たちの発想や考えをテーブルに敷いてあるフリップチャートに落書きし始めました。そうした話し合いがそれぞれのテーブルで行われている中で、一人の参加者から、「テーブル間を移動して、自分たちが発見したことや学んだことをお互いに共有したり、深めてはどうか」というアイデアが自然に生まれてきたとのことでした。
その結果として、想像できないほど多くの知識や洞察が生まれたことに感銘を受けたアニータ・ブラウンとデイビッド・アイザックスは、その経験を振り返って、大切な会話が自然と育まれるような話し合いのエッセンスを7つの原理として抽出し、1つの方法論としてまとめられたのが「ワールド・カフェ」です。
アニータ・ブラウンは、そのときのことを「フォーマルなガイドラインがなくても、あるいは参加者がダイアログの研修を受けていなくても、リラックスしながらも真剣な会話を自然に行うことができた」と振り返っていますが、私自身は、このことに大きな意味があるように感じています。
私たちは、効果的な話し合いを進める際には、有能なファシリテーターやリーダー、明確なゴールやアジェンダ、適切なルール設定などが必要であると思いがちです。しかし、ワールド・カフェが生まれたこのプロセスの意味からは、私たち人間は、ホスピタリティのある空間の中で、自然な会話の流れの中に身を置くことができれば、そこから大切な会話が育まれ、多様な考えへの理解が深まり、つながりが強まり、知識が共有され、歩むべき一歩がおのずと生まれてくるという本質を学ぶことができます。そこには誰かが何かをコントロールをする必要はないのです。ここにワールド・カフェの原点があるように思います。
そして、実際にワールド・カフェには、コントロールが存在しなくても、自然に会話が生まれるようなたくさんの構造が、シンプルな進め方や場づくりの中に埋め込まれています。すべての人が話し合いに貢献しやすくなるような、各テーブルの人数や距離感の絶妙なバランス、ふと感じたことや大事だと思ったことを共有し、つながりを生み出す模造紙への落書き、思考を固着させずに、広がりを生み出す他花受粉のプロセス、個と集団と全体とが共時的に新たな意味を創発し、全体性を得るハーベストの時間、そして何よりも、いつもより少しだけ開放的になり、相手への配慮が生まれるホスピタリティにあふれた空間……。ヒューマンバリューが年に1回開催しているプラクティショナー養成コースでは、こうしたカフェの構造の1つひとつの意味を探求していくのですが、それぞれの構造の意味深さを感じるとともに、それが生態系のように、実にうまく結びついて、自然な会話の流れを生み出していることに気づかされ、毎回驚きがあります。
しかし、こうした背景にある意味への理解が失われ、無意識のうちにでもコントロールしようという意識が働いてしまうと、形だけはワールド・カフェのようになっていても、まったく別のことが起きてしまいます。
たとえば、「うちのメンバーは、話し合いなんかまともにやったことがない。きっと会話をうまく進めたり、まとめたりできないのではないか。だからテーブル・ホストをあらかじめ決めておいて、テーブル・ホストに話し合いをリードしてもらうことにしよう。また第2ラウンドでテーブルを移動するときも、どこに座っていいか迷うに決まっている。だから、あらかじめ移る席を決めておいて移りやすくしてあげよう……」といったスタンスでカフェを開催するとどうなるでしょうか。
もしかしたら、見かけはスムーズに話し合いが進み、それなりのアウトプットも出るかもしれませんが、一方で実際に参加している参加者は、気がつかないうちにホストに動かされているような居心地の悪い感覚をもつかもしれません。
また、以前に私が参加したあるカフェでは、主催者側からのメッセージの中に、「~はしないでください」「~は使わないでください」といった禁止用語がたくさん含まれていました。会場や時間の制約などもあって、無意識のうちにそうした発言が増えてしまったのかもしれません。しかし、そうすると参加している人々も、気がつくとどことなく萎縮したような、やらされ感のある雰囲気になってしまっていました。
また、「参加者にこんなふうに考えさせて、こんなアウトプットを出させたい」という恣意性の強いカフェの問いが、参加者の創造性を失わせてしまうということもあるかもしれません。
こうしたことが起こる背景には、世界観や哲学の違いがあるように思います。ワールド・カフェの中にある自然な会話を育むためのさまざまな仕掛けが、参加者を適切にコントロールして必要な会話を引き出すといった旧来型の枠組み・世界観のもとで活用した場合、逆に不自然な会話を引き起こすという矛盾に陥ってしまいます。それは、自然な会話の川の流れに乗っているというよりはむしろ、ベルトコンベヤーの上に乗せられて、製品として運ばれているような感覚に近いものかもしれません。
アニータ・ブラウンらは、次のように述べています。「ワールド・カフェの会話は、共に考え、コミュニティのつながりを強め、知識を共有することで、イノベーションを引き起こすために、私たちがごく自然に行う自己組織化のプロセスをいきいきと体験させてくれます。また生きた力としての会話の重要性をより明確に私たちに認識させるのです。そうして私たちは、より意図的に会話の力を活用することができるようになります」
私自身は、この言葉がワールド・カフェの1つの本質を表しているように思います。たとえばリード役を務めるファシリテーターのいないカフェのテーブルの中では、もしかしたら最初のラウンドはぎこちなく、声の大きな参加者がずっと話し続けているといったこともあるかもしれません。一見、それは望ましくないように見えるかもしれませんが、ラウンドが変わって違うテーブルに移ると、そこで自然と多様な意見に触れることができ、「自分一人が自分の考えを押し付けてしまっていたかもしれないな……」と自ら気づくこともあります。そうすると、3ラウンド目には、振る舞い方に少し変化が生まれます。そのような変化を感じられると、自分たちが会話を通して関係性を変えられることへの実感や小さな自信が生まれてきます。こうした自発的な変化の積み重ねが、私たちに本来備わっている自己組織化のエネルギーを高めていくのです。
ワールド・カフェの取り組みに携わる私たちは、ワールド・カフェをいかに適切に運用するかを考えるのではなく、私たち自身に本来自然に備わっている自己組織化が自然と起きるような流れや場をいかにデザインできるのか、そして実践家としてそこにどう関われるのかについて、今一度探求することが大切ではないかと思います。
ワールド・カフェのさらなる可能性を考える
そして、ワールド・カフェがもつ自然な会話による自己組織化の価値を最大限に高めることができたとき、単なる話し合いの一手法という認識を超えた、より大きな可能性を開いていくように思います。それは、1つのワールド・カフェの会話から、新たな変化の種が生み出され、それがさらに重要な会話を起こしていく、自己組織化のパターンの連鎖を生み出すことで、世界により大きな影響を与え得るということです。
アニータ・ブラウンらは、パターン・ランゲージで有名な建築家のクリストファー・アレグザンダーの言葉を引用しながら、社会において大規模な変革が生まれる背景について、次のように述べています。「彼(アレグザンダー)は、生命を高める進歩は、中央の権威が発令する大計画や法理によってではなく、小さな協働行為から共創されるのであると言っています。そして、その協働は、生命を肯定するパターン、つまりすべての規模において、大切な会話に参加する基本的なパターンの繰り返しに基づいているのです」
自分自身の体験を振り返ってみても、ワールド・カフェから生まれた自己組織化の小さなパターンが、次第に大きく広がっていく様を体験することがよくあります。たとえば、ある会社では、職場で働く人々の関係性を高めて、より良い職場を築いていくためのミーティングをワールド・カフェの原則に基づいて開催しました。それは一度限りのミーティングの予定でしたが、ホスピタリティあふれる場の中で、組織の垣根を超えてオープンな会話を行うことができました。すると、その場に参加した何名かから、「こうした話し合いを、イベントで終わらせるのではなく職場の中でも実現していきたい」「今行っている職場の会議が硬直化しているので、ここを変化させていきたい」という声が聴こえてきました。そこで、有志の社員による会議体の変革プロジェクトが自然とスタートしました。
しかし、実際に職場の中で行われる会議で、毎回ワールド・カフェをやるわけにはいきません。そこで、通常の会議のセッティングの中に、他花受粉やハーベストのエッセンスを組み込んだり、参加者から自発的に問いが挙がるようにするなど、進め方を工夫してカフェのエッセンスを取り入れていきました。これまで一方向的な会議のあり方に慣れ親しんできた人々は、最初こそ戸惑いはあったようですが、メンバーたちの努力もあり、次第にその価値や可能性を実感することができました。
そうした会議や話し合いのあり方が、職場の文化として定着してくると、これまで「こんなこと言っても無駄だから……」といって秘匿されてきた社員一人ひとりの想いがたくさん共有されていくようになり、そこから自発的なさまざまなプロジェクトが生まれてきました。それらのプロジェクトもカフェ的に進められ、取り組みを通じてたくさんのリーダーが育っていきました。そして、そうしたリーダーたちから、今度は「お客様や地域とともに価値を生み出していきたい」という想いが芽生え、現在では社員全員が参加しながら、お客様や地域を巻き込んだ大きな取り組みへとシフトしています。こうした広がりは最初から意図されたものではなく、小さなパターンがつながって生まれていったものだと思います。
私自身が、こうした一連のパターンのつながりから学んだことは、ワールド・カフェがもつ意味は、カフェの場でどんな話し合いが行われ、どんなアウトプットが生まれたかにあるのではなく、ワールド・カフェに参加した人々の世界観や捉え方に何らかの影響を与えることができたかといったメタ認知的なところにあるということです。
ワールド・カフェに参加し、一歩を踏み出した人々の中に、会話やホスピタリティの新たな意味が醸成されると、その人々が、自分の職場やフィールドにおいて周囲に対する会話や働きかけ方を変えていきます。すると、そこで新たな会話が育まれ、それが周りの人にも影響を与えていきます。ワールド・カフェの書籍では、こうしたリーダーシップを「会話型リーダーシップ」と呼んでいますが、ワールド・カフェのもう1つの本質は、ワールド・カフェの世界観がこのようなパターンの連鎖を通じて広がることによって、私たちの社会におけるものの見方や協働のあり方を変革していくことにあるように思います。
たとえば、気心の知れた仲間と気軽にカフェを始めるのもスタートとしてはよいかと思いますが、それがあまりに続いてしまうと、周りの人が入りづらくなってしまい、先に述べたような他に波及していくようなパターンの連鎖は起きません。私たちが実現したい世界に向けて、どんな人を招きたいかを考えながら、多様な人々と価値を生み出し続けていけるような場を創っていきたいものです。
20周年を迎え、これからさらにワールド・カフェの可能性を広げていく上では、ワークショップの手法としてのデザインを考えることを超えて、ワールド・カフェの中で育まれた素晴らしいパターンを、いかに外側の世界に広げ、連鎖を生み出していくかを考えることが大切な探求テーマになるのではないでしょうか。