コラム

HRからエンプロイー・エクスペリエンスへ

「ATD-ICE(タレント・ディベロップメント)」、「ニューロリーダーシップ・サミット(脳科学)」、「HRテック・ワールド(HRテック)」、そして「パフォーマンス・マネジメント・サミット(パフォーマンス・マネジメント革新)」、4つのテーマのカンファレンスから見える人事の新たなランドスケープ

国内外のカンファレンスに参加すると、今社会や業界でどんな変化が起きているかを俯瞰することができます。2017年は、海外で行われた以下4つのHR系カンファレンスやサミットに参加させていただく機会を得ました。

ATD-ICE2017

5月には、アトランタにて1万人規模で開催された、世界最大の「タレント・ディベロップメント」のカンファレンス「ATD-ICE」に参加し、人材開発のあり方について探求することができました。

パフォーマンス・マネジメント・サミット

また、6月にサンタ・クララで開催された「パフォーマンス・マネジメント・サミット」は、自社の「パフォーマンス・マネジメント」の革新に取り組む多くのグローバル企業のリアリティから学ぶ機会になりました。

HRテック・ワールド

その翌日にサンフランシスコで行われた「HRテック・ワールド」では、昨今関心度の高い「HRテック」の最新動向に触れながら、テクノロジーがHRをどう変えるのかを考えることができました。

ニューロリーダーシップ・サミット

そして、10月にニューヨークで開催された「ニューロリーダーシップ・サミット」では、今HRのあり方に大きな影響を与えている「ニューロサイエンス(脳科学)」の知見を生かしたマネジメントの進化の可能性を探求することができました。

1.エンプロイー・エクスペリエンスの登場

エンプロイー・エクスペリエンスという言葉が大きく登場し始めたのは、2015~16年ごろではないかと思います。そのころから、HR系のカンファレンスや雑誌の記事でもキーワードとして取り上げられるようになり、Airbnbなど西海岸系の企業が、HRの部署名を「エンプロイー・エクスペリエンス」に変えたり、HRリーダーの名称をCHRO(チーフ・ヒューマン・リソース・オフィサー)やCTO(チーフ・タレント・オフィサー)から、CEEO(チーフ・エンプロイー・エクスペリエンス・オフィサー)に変えたことなどが話題に上がりました。デロイト社が毎年発行している「2017 デロイト グローバル・ヒューマン・キャピタル・トレンド」のレポートによると、今年のヒューマン・キャピタルに関する10のトレンドの1つに、「エンプロイー・エクスペリエンス」が取り上げられるなど、関心度も年々高まってきています。

では、エンプロイー・エクスペリエンスとはどんな意味合いがあるのでしょうか。明確な定義が定まっているわけではないと思いますが、上述のデロイトのレポートでは、仕事を通じて、従業員は、生産性が高く、夢中になることができ、楽しさを感じられるワーク・エクスペリエンスを期待しており、「エンプロイー・エクスペリエンスとは、経営活動、人事施策、職場環境のような、仕事の中で”人”に影響を及ぼす因子によって醸成されるものである」としています。

また、GEのHRのシニア・ヴァイス・プレジデントであるスーザン・ピータース氏は、フォーブス誌において、「GEでは、エンプロイー・エクスペリエンスを、シンプルに、従業員の目で世界を見ること、従業員とコネクトすること、そして彼らの主要なマイルストーンに気づくこと、と定義しています。私たちは、従業員が働く物理的な環境、生産性を高めるためのツールやテクノロジー、そして最高の仕事を成し遂げるための学習を組み込んだエンプロイー・エクスペリエンスを生み出す戦略を開発しています。これらはすべて、私たちHRの能力を継続して進化させることに含まれるのです」と述べています。

これまでのHRのあり方は、企業を中心に置いた「カンパニー・センタード」になっており、会社の視点や都合で施策が展開されていたところもあるかもしれません。働く人々の多様性が増す今、そうした従来的なHRのあり方から脱却し、従業員一人ひとりを中心に置いた「エンプロイー・センタード」の視点から、自分たちの役割を再考する上での象徴的な意味合いとして、「エンプロイー・エクスペリエンス」という言葉が広がってきていると考えられます。

4つのテーマのカンファレンスに参加することで得られた気づきや学びには、様々なものがあります。その中で、今年は特に共通の傾向として「エンプロイー・エクスペリエンス(Employee Experience)」というキーワードを軸に、HRが自分たちの役割を大きくシフトさせていこうという動きが顕著になってきていることを強く感じました。本レポートでは、上述した今年1年のカンファレンス参加を振り返りながら、今、企業の人事が見るランドスケープ(景色)がどう変わろうとしているのかを、エンプロイー・エクスペリエンスをキーワードとして紹介してみたいと思います。

2.エンプロイー・エクスペリエンスの背景にあるもの

それでは、エンプロイー・エクスペリエンスが重視されるようになった背景や、促進するものには何があるのでしょうか。様々な影響関係が考えられますが、私が参加したカンファレンスでは、大きく以下に示す4つの観点から語られることが多かったように思います。

(1)カスタマー・エクスペリエンスからの流れ

1つの大きな流れとして、多くの企業が自社の戦略として「カスタマー・エクスペリエンス」を重視しており、それが企業内にも同様の影響を与えているといえます。商品やサービスといったモノだけでなく、カスタマーが得られる良質なエクスペリエンスをトータルで提供していくことで、カスタマーのエンゲージメントを高めていくことが、企業が顧客とともに持続的に成長していく上での鍵となっています。それと同様に、HRのカスタマーともいえる従業員が、豊かなワーク・エクスペリエンスを得ることで、従業員のエンゲージメントを高めていく取り組みが広がってきているといえます。

たとえば、Adobe社は、人事評価制度を含むパフォーマンス・マネジメントの仕組みを革新するにあたって、HR内に閉じた検討を行うのではなく、グローバルで働く社員をネット上で広く巻き込みながら、自分たちが望む制度のあり方を検討し、働く人の視点から制度の再構成につなげていったことでも注目を集めました。同社では、その後、フロントラインでカスタマー・エクスペリエンスの向上を担う部門と、従業員の働く環境を支援するHRやファシリティ運営を担当する部門を統合し、新たにカスタマー&エンプロイー・エクスペリエンス・オーガニゼーションを立ち上げるチャレンジを行っています。

また、HRテック・ワールドでは、「コンシューマライゼーション」という言葉を聞く機会も多かったように思います。消費者向けの製品を企業向けのソリューションとして展開していくことで、パーソナライズされたエンプロイー・エクスペリエンスを生み出していくことの重要性が述べられていました。

このように、カスタマーとフロントラインで接する人々やその取り組みから、HRがより多くのことを学んだり、協働していこうとする姿勢が社会的に高まっているように思います。ニューロリーダーシップ・サミットでは、リーダーシップについて考えるセッションの中でさえも、「75%のグローバル・ビジネス・リーダーは、カスタマーの購買行動が、製品/サービスをベースにしたものから、エクスペリエンスをベースにしたものにシフトしている」というIBMによるレポートが引用されていたのが印象的でした。

エンプロイー・エクスペリエンスに基づいたパフォーマンス・マネジメントの革新について語る、
Adobe社のアンジェラ・ツィムジアック氏(左)

(2)カルチャーの変革におけるエクスペリエンスの意味

2点目は、「カルチャーの変革」と「従業員のエクスペリエンス」をつなげて考えようとする動きが広がってきていることが挙げられます。

VUCAワールドと呼ばれる、変化が激しく、正解の見えない今日において、企業の価値の源泉は、優れた商品やブランド以上に、新たな価値を生み出し続けられる「カルチャー」にあるという考え方が広がっています。グロース・マインドセット、アジャイル、コラボレーションを育んでいけるようなカルチャーをいかに築いていくが、ATD-ICEをはじめとした主要なカンファレンスにおいても大きなテーマになってきています。HRテック・ワールドで基調講演を務めたアディダス社CHROのカレン・パーキン氏は、「Turning Adidas into a culture-led organization(アディダスをカルチャー主導の組織にする)」と題した講演の中で、「カルチャーは、私たちの戦略を力強く後押ししてくれるものにもなるし、強力な阻害要因にもなり得るのです」と述べ、カルチャーがいかに大切かを語っています。

しかし、カルチャーの変革は一朝一夕で成し遂げられるものではありません。また、働く人々が頭で理解したり、デジタルのツールを導入したからといって、すぐにカルチャーが変わるわけでもありません。Steelcase社のグローバル・タレント・マネジメントのヴァイス・プレジデントである、ローレント・バーナード氏は次のように語り、エクスペリエンスとカルチャーの関係性に触れています。「カルチャーの変革はプロジェクトではありません。終わりがあるものではありません。私たちの行動の変化は、マインドセットが変わることによって起きるものですが、それは働く人々が仕事での『エクスペリエンス』を通じて得られるものなのです」。

HRテック・ワールドの中でも、SAP、Linked-in、Workday、Dropboxといったテクノロジー・ドリブンの企業が、自社のテクノロジーの話ではなく、従業員のエクスペリエンスを変えることを通してカルチャーを変革するという、テクノロジーの先にあるものについて、多くの時間を割いて講演していたことが強く印象に残りました。

カルチャーについて強く語るアディダス社のカレン・パーキン氏

ドロップボックス社のアーデン・ホフマン氏<HRテック・ワールド@サンフランシスコ>

(3)ミレニアル世代の台頭

3点目として、ミレニアル世代の台頭が挙げられます。米国では、2015年にミレニアル世代がX世代を抜いて、職場における最も人数の多い勢力になりました。デジタル・ネイティブ(生まれたときからデジタルデバイスと接している)であるこの世代は、個人の生活だけではなく、職場においても「デジタルな経験」を望みますが、実際に働く環境がそれに追いついていないという課題意識が、エンプロイー・エクスペリエンスの取り組みを加速させているといえます。書籍『The Employee Experience Advantage』の著者であるヤコブ・モーガン氏は、フォーブス誌に寄せたコラムの中で、エンプロイー・エクスペリエンスを構成する3つの要素のうちの1つに「テクノロジー環境」を挙げ、従業員が仕事を行う上で、必要かつ最新のツールを提供していくことが、豊かな経験を生み出す上で特に重要であると述べています。

また、多くのカンファレンスにおいて、ミレニアル世代のモチベーション要因について言及がなされていたことも印象的でした。ATD-ICEでセッションを行ったカルチャー・ワークス社では、グローバル85万人のデータから特定した23のモチベーション要因をもとに、ミレニアル世代がお金や地位ではなく、仕事のインパクトやラーニングに価値を置くことを発表していました。また、ニューロリーダーシップ・サミットでは、「約50%の人が、刺激的なパーパス(目的)をもつ会社で働くためなら、15%の給料のカットを受け入れると答えている」といったデータを紹介し、日々の仕事や経験の中でいかにパーパス(目的)を感じられるようにしていけるかについて、脳科学的な観点から探求されていました。

上述のヤコブ・モーガン氏は、「お金が従業員にとって大事なモチベーション要因でなくなった今日において、どんな『エクスペリエンス』を創り出していけるかが、選ばれる企業になる上での最も重要な要因である」と述べており、エンプロイー・エクスペリエンスを企業の差別化の要因としていこうという背景もうかがえます。

ピープル・アナリティクスを扱ったセッションには多くの参加者が集う

(4)人のポテンシャルの解放

ここまで、エンプロイー・エクスペリエンスの背景としていくつかポイントを述べてきましたが、カンファレンスに参加しながら、こうした背景の根底には、AIを始めとしたテクノロジーの影響を受けて人の働き方や価値の生み出し方が大きく変わろうとしている現代において、「いかに人が持つポテンシャルを解き放つことができるのか」という命題があるようにも感じました。

たとえば、HRテック・ワールドにて、オープニングのキーノート・スピーカーを務めた、起業家であり、作家のピーター・ヒンセン氏は、私たちが生きる時代をDisruption(崩壊)と表現します(Disruptionという言葉は、世界を一変させてしまったり、崩壊させてしまうような、急激な変化の時代を表す言葉として、他のHR系のカンファレンスでも使われています)。その中で、こうした時代において新たなイノベーションを起こして時代に適応していく必要性と反して、組織は20世紀初頭の官僚的な形態のまま運用されており、それが人々のアイデアや創造性を殺してしまっていることに警鐘を鳴らしていました。講演の中では、ゲイリー・ハメルが提唱しているBMI(ビューロクラティック・マス・インデックス:自分たちの官僚組織度合いを測る指標)が引用されたり、「チーフ・アイデア・キラー」や「ディレクター・オブ・ビューロクラシー」といった過激な発言も飛び出していました。

エンプロイー・エクスペリエンスは、秩序化・構造化・硬直化した組織や職場のあり方を、人が本来もつ創造性という枠組みで再構成していくムーブメントとも捉えられるかもしれません。くしくも、私が参加したHRテック・ワールドは、来年(2018年)からカンファレンスの名前を「UNLEASH」に変えるとの発表が、12月にありました。これは、人の力や価値をUnleash(解き放つ)することを目指して、カンファレンスの場そのものをリブランディングしたものと考えられ、興味深く受け止められます。

3.エンプロイー・エクスペリエンスによるHRのアプローチの変化

それでは、豊かなエンプロイー・エクスペリエンスを生み出していくために、HRはどんなサポートや取り組み、働きかけを推進できるでしょうか。ここでは、HRテック・ワールドのエキスポやその他のカンファレンスのセッションで見えた光景を紹介することで、HRのアプローチがどのように変化してきているのかについて特に印象に残ったものを中心に眺めてみたいと思います。

(1)エンゲージメントにフォーカスを当てたソフトウェアの興隆 ~タレント・マネジメント・システムからピープル・マネジメント・システムへ~

HRテック・ワールドのエキスポを回りながら、まず印象に残ったのは、出展している多くのベンダーが従業員の「エンゲージメント」を中心的なコンセプトとして打ち出している点でした。過去のHR系のエキスポでは、HRの業務を統合するプラットフォームや大規模なラーニング・マネジメント・システムといった、どちらかというと、カンパニー・センタードで業務の効率を高めていくシステムが中心となっている印象がありました。それが様変わりし、リアルタイムで働く人々のエンゲージメントやカルチャーの状態、または健康や幸福度を把握するようなパルス・サーベイであったり、上司と部下のカンバセーションを促進したり、メンバー同士が、気軽につながり合い、フィードバックやレコグニションを与え合えるようなアプリであったり、チームでのコラボレーションやナレッジの共有を促進するようなプラットフォームなど、従業員の視点からエンゲージメントを高めていく環境をどうつくっていくかに完全にシフトしていることが見受けられました。

ここでいう、従業員のエンゲージメントとは、単に仕事や会社に満足しているといった静的な状態を表すものではありません。働く一人ひとりが、より能動的に自分の仕事と結びついていくようなダイナミックなものであり、最近ではエクスペリエンスと同義語のように使われている感もあります。

基調講演を行ったデロイトのジョシュ・ベルシン氏は、こうした変化について、「HRのシステムが、プロセスやインテグレーションにフォーカスを置いた『タレント・マネジメント・システム』から、エンゲージメントやワークライフの向上にフォーカスを置いた『ピープル・マネジメント・システム』へと移行している」と述べています。また、エキスポのメイン・スポンサーを務めたSAP社のイヴェッテ・キャメロン氏も、「デジタルは私たちのすべてを変えますが、重要なことは人々の『エクスペリエンス』を変えることです」といったメッセージを発し、テクノロジーが向かう先を示していました。

そして、セッションの中では、そうしたテクノロジーを用いながら、実際にエンプロイー・エクスペリエンスを高めていく取り組みも数多く紹介されており、すでに具体的な実践が進んでいることが実感できました。たとえば、上述したアディダス社のセッションでは、自分たちが重視するカルチャーを、「クリエイティビティ」「コラボレーション」「コンフィデンス」と定義し直すとともに、毎月質問を変えて6カ月1サイクルで行われるマンスリー・パルス・サーベイをグローバルで展開し、エクスペリエンスを通してカルチャーを築いていこうとしている取り組みが紹介されていました。

また、「Wellbeing, Technology & the Employee Experience(幸福、テクノロジー、そしてエンプロイー・エクスペリエンス)」のセッションの中では、マイクロン・テクノロジー社が、ヴァージン・グループのHRテックの会社であるヴァージン・パルス社と組んでセッションを行いました。その中では、個人の健康や幸福につながるようなパルス・サーベイを、個々人がカスタマイズしてつくれるようなプログラムを開発した事例などが紹介されていました。ヴァージン・パルス社やフィットビット社に代表されるような、従業員の健康にフォーカスを当てたソフトウェアのマーケットは、米国や欧州では、1つの大きな産業になってきており、今後グローバルに広がっていくことも予見されます。

バージン・パルス社のブース。 エキスポの中でも存在感を見せていました

その他のセッションにおいても、パルス・サーベイやソーシャル・レコグニションを促進するツールは、半ば常識のように活用が進んでいたように感じました。上述のジョシュ・ベルシン氏は、「1年に1回、大規模なエンゲージメント・サーベイやパフォーマンス・レビューを行う時代は終わった」と言い切っています。今後はより短いスパン、少ない質問、頻繁な機会を通じて、メンバーが自身やチームへのインサイトを得て、新たなアクションや習慣を継続的に生み出したり、仮説検証を回していけるような、活力のあるサーベイやフィードバックのあり方が模索されていくものと思われます。言い方を変えると、経験を固定化・化石化させたり、無機質なものにとどめるような施策の展開をやめて、ダイナミズムがあり、人々の感情が動き、共感を呼ぶような営みが増えていくといえるでしょうか。

(2)ラーナー・センタード(学習者中心)なラーニング・エクスペリエンス

少し前の話になりますが、4年前に行われたASTD2013のプレス取材の場において、元ゼロックス・パロアルト研究所のジョン・シーリー・ブラウン氏が、「決められた知識を『プッシュ』していくような企業内学習のあり方は、今後5年くらいで姿を消していくだろう。企業内でラーニング&ディベロップメントに携わる人の役割も、個人が自由に学び、起業家的学習が促進されるようなアーキテクトをいかに創るかといったことにシフトしていくだろう」と話されていたことが印象に残っています。

それから4年が経過した今、ブラウン氏が述べているような、ラーナー・センタードな学習経験をいかに生み出していくかが、HRテック・ワールドをはじめとしたカンファレンスで主要な探求テーマとして扱われているように思います。

たとえば、HRテック・ワールドで行われた「What if Technology Enabled Learning ? Transforming the Learning Experience(もしテクノロジーが学習を有効化したならば~ラーニング・エクスペリエンスを変革する~)」のセッションでは、マスターカード社CLOのジャニス・バーンズ氏から、デザイン思考とテクノロジーを生かして、自社の学習経験を再構築する取り組みが紹介されていました。その中では、働く人々をカスタマーとして捉え、彼・彼女らが歩むカスタマー・ジャーニーの中でどんな感情や経験が大切になるかについて、視点を変えて考えていきます。「もし入社初日が、あたかも自分のホームに帰るかのような機会だとしたら、それはどんな経験だろうか?」「もし廊下を進んだ先に自分が夢見た仕事が見つけられるとしたら、それはどんな経験だろうか?」といったWhat if(もし~だったら)クエスチョンを投げかけます。そこからHRやテクノロジー部門のクリエイティビティを最大限に発揮して、「ゲッティング・スターテッド・ブレーカソン」や「キャリア・ローンチ・パッド」といった新たなラーニング・エクスペリエンスを開発していった取り組みが共有されていました。バーンズ氏は、マスターカード社での学習経験を「プライスレス・ラーニング・エクスペリエンス」と呼び、働く人々のための、働く人々によるラーニング・エコシステムを、テクノロジーを活用して構築していきたいという同社のラーニングに関するビジョンを語っていました。

また、「Reimagining the Digital Learning Ecosystem for 2020(2020年に向けてデジタル・ラーニング・エコシステムを再想像する)」のセッションにおいても、シュナイダー・エレクトリック社が社員の学習経験や環境を再考し、デジタルなラーニング・エコシステムを築いていく取り組みが紹介されていました。同社では、ラーニング・エクスペリエンスを「プル型」と「プッシュ型」として捉えていこうとしています。プル型では、ネットフリックスで好きなビデオをダウンロードするような感覚で、社内外のリソースから学習を行えるような環境を構築しようとしています。また、プッシュ型では、トリップ・アドバイザーにように、自分のこれまでの経験や関心をもとに、自分が今学んだほうがよい学習コンテンツが推薦されるような仕組みをイメージしています。2020年に向けて、少しずつそうしたエコシステムづくりに取り組む様子が紹介されていました。

また、学習のあり方も、上述したパルス・サーベイ同様、より短く、頻繁に行っていく「マイクロ・ラーニング」の考え方が一般化してきています。ジョシュ・ベルシン氏は、2分くらいのコンテンツで構成されるマイクロ・ラーニングと、数時間、あるいは数日で構成されるマクロ・ラーニング、そして学習を支えるコーチングなどを組み合わせながら、ラーニングが持続するようなリ・デザインが行われていることを、トレンドとして話されていました。

学習者の視点で、自分たちの営みを捉え直してみることで、学習のあり方が根本的に変わっていくように思います。上述した2社に限らず、比較的伝統的な企業が、テクノロジーを生かして新たな学習経験を生み出すチャレンジを積極的に行おうとしている姿が印象に残りました。

HRテック・ワールドにおけるマスターカードのセッション

(3)実践フェーズに入ったピープル・アナリティクス

HRテック・ワールドでは、テクノロジーを生かして社員の膨大なデータを収集・分析し、働く人々のクリエイティビティや経験価値を高める人事施策や職場環境を生み出していく「ピープル・アナリティクス」にも、高い関心が集まっていました。エキスポにおいても、IBMをはじめ、様々なブースで自社のピープル・アナリティクスのサービスが紹介され、盛況を呈していました。

基調講演を務めたジョシュ・ベルシン氏は、「ピープル・アナリティクスは、すでにHRにとっての『良いアイデア』ではありません。それは必須のものとなっています」と述べます。また、別のセッションでは、コンサルティング・ファームのマーサが、43カ国300名のCHROを対象に行った調査結果から、ハイパフォーマンス組織におけるHRの特徴を挙げていましたが、その1つの要素にピープル・アナリティクスなどのテクノロジーに投資をしているかといったことが挙げられていました。

ピープル・アナリティクスの実践については様々なものがありますが、特に注目度が高いように感じられたのが、チームや組織、企業内の関係性を分析する、Organizational Network Analysis(ONA:組織ネットワーク分析)の領域です。かつてないほどコラボレーションの重要性が高まっている現在において、企業の関心はいかに効果的なチームを形成していくかに向かっています。ONAでは、EメールやSNSなどの情報、また昨今ではウェアラブル・センサーの情報を分析し、関係性を可視化しながら、より良いチーミングを行うためのインサイトを得ていきます。私は参加できなかったのですが、HRテック・ワールドではIBMやGMといった企業が実際に取り組んだ例を発表していたようです。

ONAについては、少し未来の話になりますが、脳科学の活用も模索されています。ニューロリーダーシップ・サミットでは、これまでどちらかというと、個人のマインドセットやパフォーマンスにフォーカスが当たっていたように思いますが、今年のサミットでは、チームやコラボレーションを脳科学的な視点から考えるソーシャル・ニューロサイエンスに関するセッションが増えていました。たとえば、UCLAのマシュー・リーバーマン教授の研究チームでは、fNIRS(functional near―infrared spectroscopy)を用いて、チームで活動を行っているときの脳のシンクロ度合い(ニューロン・シンクロニー)を測定する取り組みが紹介されていました。まだ研究段階の話も多かったのですが、近い将来、成功するチームとそうでないチームでは何が違うのかを、脳の活性化状態やシンクロ度合いを通して理解し、チームでのエクスペリエンスの向上に役立てていくこともできるようになっていくかもしれません。

その他にも、AIを活用した、コーチング、ダイバーシティ、リクルーティング・システムなど多様なテーマが話題に挙がっていました。また、ピープル・アナリティクスを活用する上での組織体制に言及するセッションもありました。デロイトのマデューラ・チャクラバルティ氏のセッションでは、ピープル・アナリティクスがインパクトを生み出せる背景を調査していましたが、データアナリストだけではなく、HRやビジネス、そして一般の社員など、組織を超えて皆がデータを活用できるような文化を築いていくことが要因の1つに挙がっていました。

こうした議論がある一方で、IBMのピープル・アナリティクス・ソリューションのディレクターを務め、この業界における権威の一人であるデイビッド・グリーン氏は、ピープル・アナリティクスに関する6つのトレンドの1つとして、プライバシーや倫理の問題を挙げていました。これはピープル・アナリティクスを進めていく上で、最も大きなチャレンジといえるかもしれません。グリーン氏は、HRのH(ヒューマン)の部分を私たちは忘れがちになるが、決して忘れてはいけないといった警鐘を鳴らしています。

そうしたチャレンジがありつつも、ピープル・アナリティクスを積極的に活用し、エンプロイー・エクスペリエンスの向上に生かしていく流れは止まらないと考えられます。HRの実験的な営みから、実際に価値を生み出していく実践フェーズへと移行してきていることを実感することができました。

ピープル・アナリティクスを扱ったセッションには多くの参加者が集う

(4)シンプル化とコヒーレンス(一貫性)

エンプロイー・エクスペリエンスを高めていくためのHRのアプローチの1つの方向性として、「シンプル化」の流れが挙げられるように思います。上述したデロイトのグローバル・ヒューマン・キャピタル・トレンドのレポートにおいても、昨今の「Overwhelmed Employee(精神的に圧倒され、強いストレスにさらされている従業員)」を重要なトレンドとして取り上げており、その対応策として、HRが職場環境の簡素化に取り組んでいることが報告されていました。

そうした傾向は、私自身が参加したカンファレンスでも顕著に見受けられたように思います。サンタ・クララで開催されたパフォーマンス・マネジメント・サミットにおいても、GE、アドビ、ジュニパー・ネットワーク、CAテクノロジーズなど様々な企業が自社のパフォーマンス・マネジメント革新について話していましたが、共通のキーワードとして、「シンプルにしよう」ということが挙げられていました。GEデジタルのミーガン・グレゴルスキー氏は、「未来のHRの役割は、物事をシンプルに、クリアーに、そして実行可能にすることにあります」と語っています。

ニューロリーダーシップ・サミットにおいては、脳科学的な観点から、職場環境をシンプルにしていくことの意味が考察されています。オレゴン大学のエリオット・バークマン博士は、脳にはWhy(目的)を考えるネットワークと、How(手段)を考えるネットワークがあるが、この2つは同時に使うことはできないことを指摘しています。そして、特に現代のように、Overwhelmed(圧倒されるよう)なストレスのかかる環境においては、脳がWhyのネットワークに向かいづらくなることが報告されており、いかにWhyを考えられるような余裕のある環境を創り出していくが重要との議論がなされていました。

また、関連するもう1つのキーワードとして、「コヒーレンス(一貫性)」という言葉もよく耳にしました。これは、企業の目指すビジョンや大切にしたい文化やリーダーシップの原理、マネジメントの仕組みから日常の業務までが一貫して筋が通っている状態を指しています。この反対の状態を、デコヒーレンスやインコヒーレンス(一貫性がない)と呼びますが、そうした状態だと、脳が混乱し、社員はどういうアクションを取ってよいかわからなくなります。ニューロリーダーシップ・サミットでは、マイクロソフトやヒューレット・パッカードといった会社が、ミッションから戦略、ビジョン、バリュー、カルチャー、働き方といったものをシンプルに、そしてコヒーレントにしていくことで、働く人々の認知的負荷を下げ、混乱を起こさせずに、自分の力を発揮しやすくなるような環境を創ろうとしている取り組みが紹介されていました。

カンパニー・センタードな時代のHRは、現場にとっては、余計な仕事、一貫性のない取り組みを押し付け、負荷を増やす存在として認知されていたところもあるかもしれません。そうしたあり方を顧みて、ピープル・センタードなHRは、できるだけ仕組みやマネジメントをシンプルに、そしてコヒーレントな状態を生み出し、現場のメンバーやマネジャーが自分の仕事や成長に集中できるような、そして自ら創造的なエクスペリエンスを解放していけるようなサポートを行っていくことに役割がシフトしているといえるかもしれません。

パーパスをテーマにしたパネル・ディスカッション
(ニューロリーダーシップ・サミット@ニューヨーク)

4.豊かなエンプロイー・エクスペリエンスを生み出すもの

ここまで、HRのアプローチがどのように変わってきているのかについて、具体的な例を交えながら紹介してきました。それでは私たちが生み出していきたいエクスペリエンスとはどのようなものでしょうか? それは単に経験を積むということではないように思います。いったい何がエクスペリエンスを豊かなものにするのでしょうか。正解があるわけではありませんが、いくつかの観点から、エクスペリエンスが含むべきもの、必要なものについての仮説を、筆者の所感も交えながら考えてみたいと思います。

(1)ジャーニー

エマキナ社のEmployee and Client Experienceのヘッドであるベルトランド・デュッペリン氏は、HRテック・ワールドに寄稿した記事の中で、エンプロイー・エクスペリエンスを構成する4つの要石の1つとして、「ジャーニー」を1番目に挙げています。ここで述べられているジャーニーは、「カスタマー・ジャーニー」の意味合いが強く、単発でバラバラなイベントやタッチポイントではなく、一連のシーケンスとしての経験を構築していくことの重要性を語っているものと思われます。同氏の記事以外でも、カンファレンス全体を通してジャーニーという言葉を耳にする機会も多くありました。

ジャーニーには、その他にもいろいろな比喩的な意味が含まれるように思います。たとえばトリップのような、目的が明確で短期の旅行という意味合いよりは、船旅や当てのない旅といった比較的長期間の旅路といったニュアンスがあります。そこには、想定していなかった出来事や驚き、人との出遭い、世界観の広がり、また、旅から得られる教訓や成長、内省、進歩といった意味が見出されます。私たちがたどるエクスペリエンスに、もしそうしたエッセンスがないとしたならば、予定調和的で決められたレールの上を進むような旅路であったならば、そこには“豊かな経験“は存在していないといえるかもしれません。

こうしたジャーニーという言葉がもつエッセンスは、単に比喩的な役割を超えて、私たちがアプローチをデザインする上で、重要な教訓を与えてくれます。たとえば、ATD-ICEをはじめとしたセッションで紹介されている例の中でも、表面的にはエンプロイー・エクスペリエンスやジャーニー的な施策やプログラムを展開しているように見えて、実情はHRがすべてラーニング・プロセスをデザインし、レールを当てはめるような形で参加者を学ばせ、カンパニーが連れていきたい目的地に連れていくような、カンパニー・センタードなトリップになってしまっている取り組みを見ることも少なくありません。その一方で、特別なプログラム(旅)に出なかったとしても、働く一人ひとりが、日常の仕事への向き合い方や捉え方を少し変えるだけで、あるいは変わるようなサポートをするだけで、毎日がたくさんの学びと発見の連続になるような、豊かな経験や旅路を生み出すことにつながる例も数多く存在しています。

ジャーニーとは異なる比喩としては、ATD2017において、エンゲージメントやキャリア開発の第一人者であるビバリー・ケイ氏が、働く人々が歩むキャリアのメタファーとして、「テレスコープ(望遠鏡)からカレイドスコープ(万華鏡)へ」という考え方を提唱しており、エクスペリエンスの観点からも興味深く感じました。キャリアのメタファーとしての望遠鏡は、先を予測するイメージです。そこで問われる質問は、「5年後はどこにいると思いますか?」「あなたのキャリア・ゴールは何ですか?」「成長したらどうなりたいですか?」といったものです。しかし、実際のところ、こうした質問に人々はうんざりしているとケイ氏は述べます。新しいメタファーは万華鏡であり、これは、経験、選択、機会、可能性などがちりばめられた世界が、人が進むにつれ、あたかも万華鏡のように変容していくという世界観を表しています。そして、多様な経験が新しいパターンを生み出していき、そうしたパターンそのものがキャリアとなるというプランドハプンスタンス的な解釈を示し、共感を呼んでいました。

豊かなエンプロイー・エクスペリエンスというのは、すべてが鋳型にはめられ、計算可能なものではなく、ケイ氏が言うような万華鏡のようなジャーニーを歩んでいくことにあるといえるかもしれません。

ビバリー・ケイ氏と。ATD2017@アトランタにて

(2)エクスペリメント(実験)

エクスペリエンス(経験)と近い語感をもつ言葉に「エクスペリメント(実験)」がありますが、この2つの言葉は同じ語源をもつようです。東京大学社会科学研究所の宇野重規教授によると、共に「向こうに行く」という原義から派生して、「(向こうに行って)調べる、試す」ことを意味するようになったexperi-を語幹とするとのことです。宇野教授は、エクスペリエンスとは、エクスペリメントを通して得られる知識のことであると指摘しています。自分の枠組から外に出て、いろいろ試してみることで得られるものこそが経験といえます。逆にいうと、内にこもって、目的なく、何かをこなしていて発見がない状態は豊かな経験とは呼ばないのかもしれません。

私が参加したカンファレンスの中でも、幾度となくエクスペリメントという言葉を聞いたように思います。ニューロリーダーシップ・サミットでは、「The Neuroscience of Growth Mindset(グロース・マインドセットのニューロサイエンス)」というセッションが行われていましたが、その中で講演を行ったコロンビア大学のケビン・オシュナー博士は、グロース・マインドセットを促進するものの1つとして、エクスペリメント(実験)に注目しています。日常的なルーティンや反応的・反射的な行動と異なり、エクスペリメントには、努力、集中力、アウェアネス、創造的な思考、学習、洞察といったものが伴い、それがグロース・マインドセットを育むといったポイントが脳科学的な視点を交えて紹介されていました。

ここで使われているエクスペリメント(実験)は、決して科学者やエンジニアが研究室の中で行う実験のみを指しているわけではありません。自分が置かれた不確実な仕事の環境の中で、自分なりの問いや仮説を推論として掲げ、その推論に基づいて調べたり、試してみたり、環境に働きかけてみる(実験)。その営みを通じて、新たな洞察や信念を得て、次の異なる問いや仮説を生み出していくという一連の能動的な探究のプロセスがエクスペリメントであり、これはすべての人に関わるものといえます。そして、推論をもって実験するということは、あらかじめ答えがわかっている枠組みや前提の中で行う分析作業ではありません。推論、つまりアブダクションを行うことは、その人の創造性に依存します。そして、既存の枠組みや前提から一歩踏み出して推論を掲げるということは、必ずそこに誤謬をおかす可能性(可謬性)があるわけです。私たちは間違っているかもしれない、失敗するかもしれない、という可能性を常に念頭に置き、許容しながら、勇気をもって自分なりの仮説に踏み出し、知識や知恵を拡大していく、自分自身で未来を切り拓いていく行為が豊かな経験であるのではないかと思います。

パフォーマンス・マネジメント革新に先進的に取り組んでいる企業として、必ずといってよいほど取り上げられるGEでは、リーン・スタートアップに着想を得た「ファストワークス」を展開しています。ファストワークスでは、「お客様にとっての成功って何?」という仮説をもつこと(Discover)から始まり、より早く、よりシンプルな方法を探し(Develop)、試すことで学び(Learn)、これまでの学びに基づいて行動に移す(Act)というサイクルを高速で回転させていきますが、これはまさに推論を伴ったエクスペリメントであると思われます。GEでは、このプロセスを、エンジニアだけではなく、あらゆる社員に適応していこうとしています。これは、カスタマー・フォーカスとエンプロイー・エクスペリエンスがインテグレーションされた働き方や生き方を、日常の仕事の中に埋め込んでいこうとする行為として捉えられるかもしれません。

また、前述したパルス・サーベイの広がりなども、単に診断の回数を多くしようということではなく、誰かが良い職場をつくってくれるのを待つのでもなく、自分たちで仮説をもち、創造性を発揮して自ら環境に働きかけて、変化を創出していこうという主体的なエクスペリメントを生み出しやすくするためのものであるはずです。

(3)ミーニング(意味、つながり)

本レポートの前半で、ミレニアル世代のモチベーション要因の1つに「インパクト(自分が仕事を通じて生み出す価値)」があることを紹介していましたが、これは決してミレニアル世代に限ったことでないように思います。ヒューマンバリューが行った「働きがい調査」においても、働きがいと最も相関が高いのは、「今現在の仕事に使命感や働く意味を感じている」ことでした。カンファレンスの中でも、パーパス(目的)、ミーニング(意味)、コネクション(つながり)といった言葉がキーワードとして何度も登場しており、豊かなエクスペリエンスと関連の深いものと考えられます。

HRテック・ワールドでは、ワークディ社のレイハン・レベンセイラー氏が、「HR Tech for Good(善のためのHRテック)」というタイトルで講演を行っていました。冒頭でワークディ社内のサーベイの結果として、社員が同社を偉大だと感じる理由のトップに、「自分たちがコミュニティに貢献していると感じる」という項目があったことを取り上げ、人々がより大きなものに貢献できるようなカルチャーやエクスペリエンス、エンゲージメントを築くことの重要性を述べ、そこにいかにテクノロジーが貢献していくかが、具体的な取り組みとともに語られていました。

また、同じくHRテック・ワールドにて、Linked-inのCHROのパット・ウェイダース氏は、「Capturing the Power of Belonging & Purpose(一員になることとパーパスのパワーをつかむ)」というタイトルのもと、「Belonging」という言葉をテーマにセッションを行っていました。ウェイダース氏は、Belongingを「私がチームの中で本物で(自分らしく)いることができ、大切にされていて、本質的な存在である」と感じていることと定義づけます。そして、こうした感覚を日々のどんなMoment(時)の中でももてるようにすることが素晴らしい経験につながると述べます。ウェイダース氏は、次のように語ります。「月曜日の朝、同僚と出会ったときに、さっさと立ち去ってしまわないで、『週末はどうだった?』と耳を傾けるのです。私はあなたの週末が聴きたい。それはきっと私のものとはまったく異なり、私とは異なる意味のあるものでしょう・・・(中略)Linked-inでは一人ひとりのBelonging Momentのストーリーを語ってもらうことを大切にしています。ストーリーを通して、その人を受け入れることができ、そこでエンパシー、コンパッションが高まるのです」。

また、ニューロリーダーシップ・サミットでは、ダニエル・ゴールマンとともにEQの研究や執筆を行い、新著「How to be happy at work」を出版した、アニー・マッキー氏がパネル・ディスカッションに登壇しました。マッキー氏は自身の研究成果を踏まえて、次のように語ります。「幸せには3つの構成要素があります。パーパス(目的)、ホープ(希望)、そしてフレンドシップ(友情)です。中でも、パーパスは、私たちを動かす源泉となります。なぜ自分は、朝起きて、子どもたちを家庭に置いてでも、職場に行くのか。それは、そこにパーパスがあるからです」。

そして、後に続くディスカッションの中では、次のようなテーマのもとで探求が行われていました。「企業にとってのチャレンジは、何千、何万といる社員一人ひとりが、個人のパーパスと会社のミッションをコネクトできるか、そして、それをどのように支援できるのかにある・・・」「何が良いパーパスを育むのだろうか? より簡単に、より頻繁にパーパスにアクセスするにはどうすればよいのか?」「働く意味について、Self-Reflectionをしたり、Self-Awarenessが起きる場を日常の中にいかにつくっていけるだろうか?」

Belongingをテーマに講演するLinked-inのパット・ウェイダース氏

こうした光景を目にしながら、働く人々が、仕事を通じて、自分より大きなものとつながり、仲間とつながり、働く意味を見出し、エンゲージしていくプロセスが、手段ではなく企業の目的や存在意義として語られていることに、大きなパラダイム・シフトが起きていることを実感します。エンプロイー・エクスペリエンスとは、そうした「新たな意味やつながりが生成される場や空間」を目指す概念なのかもしれません。

5.終わりに

ここまで、エンプロイー・エクスペリエンスについて、様々な角度から眺めてきました。エクスペリエンスという言葉にも様々な意味が包含されていることを実感します。しかし、エクスペリエンスとは何かに好奇心と興味をもって調べていくと、それは決して目新しいものではなく、私たちが古くから大切にしている哲学に根付いているもののように思えてきます。

今から約100年前に、「経験のための理論」の確立を目指したジョン・デューイは、一人ひとりの個人が様々な実験をし、経験を深めていくことを許容する、経験の民主化が図られた社会を提唱しています。そして、「いまやわれわれの教育に到来しつつある変革は、重力の中心の移動である。それはコペルニクスによって天体の中心が地球から太陽に移されたときと同様の変革であり、革命である。このたびは子どもが太陽となり、その周囲を教育の諸々のいとなみが回転する。子どもが中心であり、この中心のまわりに諸々のいとなみが組織される」とし、今起きている学習者中心のシフトの本質を言い表しています。少し大げさにいうならば、エンプロイー・エクスペリエンスの興隆は、VUCAの時代、Disruptionの時代において、私たちが本来もつ人間を中心に置いた学び方や生き方を、テクノロジーや脳科学を強力な道具として、解放し、再構成していくルネサンス的な営みであるように感じます。

マイクロソフトで大きな変革に挑んでいるCEOサティア・ナディア氏は、著書『ヒット・リフレッシュ』の中で、次のように述べています。「私は、CEOのCは『Curator of Culture』のCだと書いた。文化とは実際、社員の間に広まるものであり、何千、何万もの社員が毎日下す数え切れないほどの判断の総体である。CEOがそうした文化の管理人であるとは、社員がマイクロソフトと取り決めたそれぞれのミッションを達成するのを手助けするということだ。裏を返せば、マイクロソフトが社員を雇うのではなく、人々がマイクロソフトを「雇う」とも言える。10万人を超える社員のマインドセットを、雇われる側から雇う側に変える時、どんなことが可能になるだろうか。」

2017年のカンファレンスへの参加、そして日々の実践を通じて、自分の中にも、「働く人々がエクスペリエンスを通じて、自らの視野と知識を拡大していけるようなマインドセットの転換や環境づくりに、私はどう貢献できるのだろうか」という意味や問いが生まれてきました。そうした問いをもとに、HRに携わる自分自身が、様々なエクスペリメントに挑み、ジャーニーを楽しみたいと思います。

そして、日本でHRに関わる人たちとも、探求と学びの輪を広げていきたいとも思います。来たる2018年2月19日には、ヒューマンバリュー主催(PMI研究会共催)で、「パフォーマンス・マネジメント革新フォーラム2018」を開催します。この場では、日本において、社員を中心に置いた、パフォーマンス・マネジメント革新に挑んでいる会社の事例を中心に、エンプロイー・エクスペリエンスをいかに解放していくかについて、多様な人たちと学び合うことを目指していきます。日本でも舵を切り始めたこうした取り組みの現実を共有し、皆さんとともに、これからの人事のあり方、未来の可能性を探求できればと願っています。

【参考文献】

・2017 デロイト グローバル・ヒューマン・キャピタル・トレンド ・デロイト グローバル・ヒューマン・キャピタル・トレンド2016
・The Employee Experience Is The Future Of Work: 10 HR Trends For 2017、Jeanne Meister、Forbes
・Facing the storm Navigating the global skills crisis、IBM Institute for Business Value
・Adobe check-in site (http://www.adobe.com/check-in.html)
・Experience Matters, Donna Morris, Executive Vice President, Customer and Employee Experience (https://theblog.adobe.com/experience-matters/)
・Why The Future Of Work Is All About The Employee Experience、Jacob Morgan、Forbes
・Creating the Link Between Learning and Innovation -The Employee Experience- LAURENT BERNARD, Vice President, Global Talent Management, Steelcase
・The Employee Experience Advantage, Jacob Morgan、Wiley ・HRTECHWORLD - THE HR SOFTWARE MARKET REINVENTS ITSELF - Josh Bersin ・HRTECHWORLD - PEOPLE ANALYTICS: MARKET TRENDS AND INNOVATIONS - David Green
・What are the 4 Cornerstones of Employee Experience? Bertrand Dupperin, Unleash Up Is Not the Only Way: Rethinking Career Mobility, Beverly Kaye, Lindy Williams,? Lynn Cowart, Berrett-Koehler Publishers ・「民主主義のつくり方」、宇野重規、筑摩選書
・「プラグマティズムの思想」、魚津郁夫、ちくま学芸文庫
・「GE変化の経営」、熊谷昭彦、ダイヤモンド社
・「2011年 会社員1000人の働く意味調査」、ヒューマンバリュー
・「How to be happy at work」, Annie McKee, Harvard Business Review Press
・「学校と社会」、ジョン・デューイ(著)、宮原誠一(訳)、岩波文庫
・「Hit Refresh(ヒット リフレッシュ) マイクロソフト再興とテクノロジーの未来」、サティア・ナデラ,? ・グレッグ・ショー、ジル・トレイシー・ニコルズ,? ビル・ゲイツ、山田美明/江戸伸禎(訳)、日経BP社

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